自著解説

『平戸記1』(八木書店)

  • 2023/11/24
平戸記1 / 奈良中世日記研究会
平戸記1
  • 著者:奈良中世日記研究会
  • 出版社:八木書店
  • 装丁:単行本(330ページ)
  • 発売日:2023-11-15
  • ISBN-10:484065218X
  • ISBN-13:978-4840652186
内容紹介:
平経高(1180-1233)の日記で、姓の「平」と民部卿の唐名である「戸部尚書」の「戸」から『平戸記』と称されている。
承久の乱後、朝幕関係の転換期を生きた廷臣の日記。90年ぶりの翻刻と校合を行った校訂者が、その読みどころを紹介します。

史料纂集本 平戸記の底本

平戸記(へいこき)は、有識な公卿として宮廷社会で重んじられた平経高(たいらのつねたか)(1180-1255)の日記である。現存するのは、彼が60歳代であった延応2(仁治元)年(1240)、仁治3年(1242)、寛元2年(1244)、寛元3年(1245)の4年分と、部類記(ぶるいき)などに載るいくつかの逸文(いつぶん)に過ぎないが、その記載内容は詳細かつ周到なもので、これまでも、鎌倉時代中期における朝儀や公武関係、仏教信仰などを考察する上で欠かせない史料となってきた。

従来、利用されてきたのは、矢野太郎による校訂で昭和10年(1935)、11年に刊行された史料大成(しりょうたいせい)本と、それを再録した増補史料大成本であった。史料大成本が底本としたのは修史局(しゅうしきょく)が明治期に編纂した本で、その内実は、流布本を基本として、足りない部分を明治16年(1883)に九條道孝の蔵本で補い、なお足りない部分について、明治8年の浦野直輝による伏見宮本(ふしみのみやぼん)の書写本に基づき、明治21年、22年に補訂したというものである。中院本(なかのいんぼん)や松岡本など近世の写本で校合を行っているものの、底本自体は寄せ集め的な性格が強いもので、また、現存する唯一の古写本の伏見宮本についても、伏見宮本そのものではなく、その転写本を用いることしかできなかった。印刷時に伏見宮本を閲覧した矢野は、伏見宮本に基づく正誤表を作成してそこに掲載したが、課題の残る翻刻であった点は否めない。

およそ90年ぶりに新訂した今回の史料纂集(しりょうさんしゅう)本では、矢野が活用し得なかった伏見宮本と、東山御文庫(ひがしやまごぶんこ)所蔵の新写本を底本に用いることとした。19冊からなる東山御文庫本は、全ての冊に「明暦」の蔵書印を持つもので、後西天皇(ごさいてんのう)が作成させた「禁裏御文庫本(きんりごぶんこぼん)」の副本と推定される。万治4年(1661)の大火で焼失した「禁裏御文庫本」の平戸記については、その内容を具体的に知ることができないが、その副本である東山御文庫本は、伏見宮本と重なるところが全くなく、特に寛元2年は伏見宮本に、寛元3年は東山御文庫本に所収されるというように、互いを補完する関係にある。15世紀前葉には、平戸記は伏見宮家に一括して所蔵されていたことが他の文献から確認でき、東山御文庫本の親本である「禁裏御文庫本」と伏見宮本とは、本来、一体のものだった可能性があろう。自筆本が伝えられていない現時点においては、伏見宮本と東山御文庫本とを最善の写本と見るのがよく、史料纂集本では、これらを底本とすることによって、史料大成本の欠点を乗り越えることとした。


平戸記新訂の意義

底本を変更することによって、史料大成本から翻字(ほんじ)を訂正し得た箇所が少なくない。とりわけ重要と考えるのは、現存しない平戸記のもとの姿を推定できるような記載を掲載できた点である。例えば、仁治元年11月27日条に収載された文章博士(もんじょうはかせ)藤原経範(ふじわらのつねのり)の款状(かんじょう)には、墨線で消された「一天之対不見書落歟」(一天の対、見えず。書き落とせるか)という記載が見える(146ページ)。これは、「百僚率舞、何不致鷰賀於翰林之花、一天欣躍、何不休魚楽於詞海之波」といった対句について、取り違えて理解してしまったことを表す文言で、経高が記したものと判断して問題はない。抹消された文章であるため、修史局の編纂本には記載されず、当然ながら、史料大成本にも採用されなかった情報である。同様のことは、仁治3年3月7日条に引載された除目聞書(じもくききがき)からも窺え、「少允、此事為畏入参入候き、能々可洩申入給候」(少允、此の事、畏み入らむが為め参入し候き。よくよく洩れ申し入れ給ふべく候)との記載を墨線で消している(228ページ)。目移りなどによる単純な誤写とは考え難く、経高が得た除目聞書に記されていたと捉える余地もあるだろう。

これらは、古写本である伏見宮本で看取できる事柄だが、新写本である東山御文庫本に目を転じると、仁治3年9月20日条の定文(さだめぶみ)に付された「本字等随分不被読解、非歟、 筆染少重令書之歟、仍不致改直」(本字など随分読解せられず。非か。筆染め少なく、重ねて之を書かしむるか。仍て改直を致さず)という傍書が目を惹く(313ページ)。史料大成本では「本字等随分不被読解、非経筆課少奉令書歟、仍不致改直」とされていたものだが、東山御文庫本を用いることで、文意を明確に理解することが可能となった。いずれかの書写の段階で書き入れられた可能性は皆無ではないものの、経高が加えた当初からの注記であったと見ることも十分できる。仮にそのように捉えてよければ、定文を尋ね、熱心に写し取ろうとする経高の姿を、より鮮明に思い描けることとなる。

勅問御教書(ちょくもんみきょうじょ)やそれに応じる請文(うけぶみ)、審議の前提となる申文(もうしぶみ)や勘文(かんもん)、審議の結論を記す定文(さだめぶみ)など、政務に関わる各種の文書を引載する点に、平戸記の大きな特質を見出すことができるが、それらの文書が漢籍の引用など高度な知識で記されていることも多い。そして、書写を繰り返す中で、難解な記載が誤写されて読解できないものに変化してしまうことも、往々にして存在する。仁治3年8月23日条の定文に見える「虎児出柙、猶為忠守之過」(虎児、柙より出づは、猶ほ忠守の過ちと為す)といった記載は(302ページ)、史料大成本では「虎光出拝猶為忠守之過」と翻刻されていたものだが、これは『論語』巻8の「虎児出於柙、亀玉毀於櫝中、是誰之過與」(虎児、柙より出で、亀玉、櫝の中に毀るは、是れ誰の過ちや)に出典があるもので、『論語正義』の「失虎毀玉、豈非典守之過邪」(虎を失ひ玉を毀るは、豈に典守の過ちに非ずや)を参考にすれば、「忠守」が「典守」の誤写であろうことも推測できる。今回の史料纂集本では、最善の写本をもとに、当時の知識に可能な限り近づくことも1つの課題とした。ただし、浅学の故に十分に解釈することが叶わず、碩学による今後の判読に委ねねばならなかった箇所がなお存在することも、偽らざる事実である。


史料纂集本平戸記の構成と記載内容について

史料纂集本の平戸記は3冊に分冊して刊行する予定で、延応2(仁治元)年正月から仁治3年9月までの日次記(ひなみき)を収めた第1冊に続けて、仁治3年10月から寛元3年12月までの日次記と部類記などに引載された逸文を、第2冊から第3冊に掲載することとしている。第1冊において特筆すべき記事としては、経高の和漢に渡る豊富な知識がいかんなく発揮された仁治改元(延応2〈仁治元〉年7月16日条〈73ページ〉)、四条天皇の急逝に伴う後高倉(ごたかくら)皇統の断絶と、鎌倉幕府の意向に従う形で実現した後嵯峨天皇の践祚(せんそ)(仁治3年正月20日条〈198ページ〉)、執権(しっけん)として鎌倉幕府の政治の中核にあった北条泰時(ほうじょうやすとき)の死去と、死去に至る間の混乱した状況(仁治3年6月20日条〈289ページ〉)、などの記事を挙げることができる。いずれも時代の大きなうねりを表すような記事ばかりである。

こうした時代のうねりを示す記載は、第2冊以降においても続いて現れることとなる。第2冊の冒頭に登場するはずの順徳院(じゅんとくいん)の壮絶な崩御記事などは、かつて順徳院に仕えた経高の悲嘆に思いを馳せずには読み進めることができない。寛元2年、3年で多くの紙数を割く記事としては、石清水八幡宮で発生した神殿汚穢(おあい)事件の審議に関するものがある。作成された定文は我々を圧倒する長大なもので、定文に律の逸文が多く見出されることや、当時の律令条文解釈を知る格好の史料となっていることも、周知のところである。

有識な公卿である経高の日記、平戸記について、最善の写本を底本に据えることにより、これまでよりも精緻な読みが可能となった。新訂の試みを世に問うことによって、多少なりとも研究の進展に資する点が存在するのであれば、望外の喜びである。

[書き手]
吉江 崇(よしえたかし)
1973年長野県生まれ。大阪府出身。京都大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在京都大学大学院人間・環境学研究科教授。

[著書]
『日本古代宮廷社会の儀礼と天皇』(塙書房、2018年)
平戸記1 / 奈良中世日記研究会
平戸記1
  • 著者:奈良中世日記研究会
  • 出版社:八木書店
  • 装丁:単行本(330ページ)
  • 発売日:2023-11-15
  • ISBN-10:484065218X
  • ISBN-13:978-4840652186
内容紹介:
平経高(1180-1233)の日記で、姓の「平」と民部卿の唐名である「戸部尚書」の「戸」から『平戸記』と称されている。

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ALL REVIEWS 2023年11月24日

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