そんな美味しそうなお菓子がたくさん登場するミステリ小説を集めて、作中の気になるお菓子のレシピを紹介してくれるのがレシピ本の『アメリカ菓子とミステリ』(原亜樹子著)。作中の味を味わえるだけでなく、物語の名場面やアメリカの菓子文化も楽しくガイドしてくれます。そんな『アメリカ菓子とミステリ』より、「はじめに」を抜粋して公開します。
「謎解き」にお菓子とコーヒーは必須アイテム
ミステリとひとくちに言っても、ジャンルはさまざま。本書で取り上げたのは、アメリカのいわゆる「コージー」ミステリです。
その対極にあるのは、レイモンド・チャンドラー著の〈フィリップ・マーロウ〉シリーズに代表される「ハードボイルド」。“hard boiled=情にほだされない”という言葉通り、冷静沈着で感情に流されないタフな主人公が描かれるミステリです。
一方でコージーは、〞cozy=くつろげる”の言葉通りに暴力的な描写はほとんどなく、多くの場合はプロではない素人探偵が活躍します。
ひとりで、または猫や犬、あるいは家族と暮らす主人公の日常生活が丁寧に描かれていて、お菓子やコーヒー、ときにはお酒を楽しむシーンが頻繁に登場します。
たいていの事件は日常生活の周辺で起こり、巻き込まれた主人公が自主捜査を進めます。スッキリと解決することが多いので読後感がよく、寝る前に読めば気持ちよく眠りにつけるようなものがほとんどです。
日本で、「アメリカのコージーミステリ=お菓子とコーヒー」という印象を決定づけたのは、ダイアン・デヴィッドソン著の〈クッキング・ママ〉シリーズとジョアン・フルーク著の〈お菓子探偵〉シリーズでしょう。
どちらも食を生業とする素人探偵が活躍し、随所に魅惑的なレシピが掲載されています。その後もレシピ付きのコージーミステリが続々と誕生していますが、実は人気作品の多くにレシピは掲載されていません。
そこで本書では、コージーミステリにつきもののアメリカの伝統的な菓子を取り上げ、それらがアメリカの文化のなかでどういった存在なのかを、登場する作品の印象的なシーンと共に紹介し、さらに、オリジナルレシピも載せました。
本書のレシピは基本的に、アメリカの伝統的なスタイルを踏襲しています。コージーミステリに登場する菓子はたいていの場合、そういった伝統のスタイルそのまま、もしくはそれにオリジナリティを加えて作られたものです。
時代が変われば暮らしも探偵も変わる
コージーミステリは、時代を如実に反映しているのもおもしろいところです。特に女性を主人公にしたものが分かりやすく、たとえばレスリー・メイヤー著の〈ルーシー・ストーン〉シリーズでは、主人公とその家族は保守的で、妻であり母であるルーシーは家庭を居心地よく整え、どんなときでもおいしいごはんを用意しないと、夫にチクチク言われる場面が特に最初の方で目に付きます。今読むと、モヤモヤする部分は当然あるのですが、その時代のその土地の日常をのぞき見ているような、ちょっとした歴史書というと大げさですが、時代背景が垣間見えるところも、古いコージーミステリをあえて今読むおもしろさだったりします。
これに対して今人気を博しているのが、ジャナ・デリオン著の〈ワニ町〉シリーズ。女性が当たり前のように自立していて、歳を重ねてもなお元気に楽しく暮らしています。今のリアル、または理想像のひとつでしょうか。
とはいえ、これは今現在の価値観。これがあと10年もすると、また古い価値観になったりするのでしょう。
こうしたおもしろさも味わいながら、本書を楽しんでいただければ、と思います。
[書き手]原亜樹子(菓子文化研究家、製菓衛生師)
アメリカの高校へ留学。東京外国語大学で食をテーマに文化人類学を学んだ後、特許庁へ入庁。後に菓子文化研究家へ転身。『アメリカ菓子図鑑』『アメリカンクッキー』(共に誠文堂新光社)、『アメリカ郷土菓子』(PARCO出版)ほかアメリカの食に関する著書多数。