読書日記

鹿島茂|文藝春秋「エロスの図書館」|『別冊太陽 発禁本Ⅱ 地下本の世界』

  • 2017/10/13

堅忍不抜のエロ事師、官憲と闘う

ここのところ、北京、上海、ホーチミンと共産圏の都市を旅しているが、その風俗を観察していてつくづく思うことは、男のスケベと女のオシャレはどんな強圧的な体制でも弾圧できないということである。とりわけ、男のスケベは、たとえ死罪をもって抑圧しようとしても、必ずや法網をかいくぐって活路を見いだそうとする。しばらく前の中国では、売買すれば死刑になるはずの裏ビデオが高官によってワイロとして要求されたというのだから。

『別冊太陽 発禁本Ⅱ 地下本の世界』(平凡社 二六〇〇円)は、一般書として発行されながら発禁となった本を集めた『発禁本Ⅰ』とは異なり、初めから非合法で出版された猥褻文書を中心にグラフィックな編集をほどこしたもので、その変遷を眺めていると、弾圧をものともしない男のスケベの本源的な力というものを実感することができる。

地下本の世界―発禁本 2  /
地下本の世界―発禁本 2
  • 出版社:平凡社
  • 装丁:ムック(204ページ)
  • 発売日:2001-06-01
  • ISBN-10:4582943632
  • ISBN-13:978-4582943634
内容紹介:
数多くの発禁本の中から、地下本、私家本、機関紙、同人誌、パンフレット、チラシといった非公刊本を中心に、ヴィジュアルに紹介。巷間に流布することなく人知れずに消えていった出版裏面史。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

もっとも、明治の初めは、非合法どころか、合法も合法の医学出版がエロとして利用されていたようだ。それは、明治九年に男女性器の図解を載せたゼームス・アストン著『通俗造化機論』が翻訳出版され、すでにこの頃から性医学書をエロ本として活用する流れが確立されていたことからも明らかである。

克明に描き込まれた銅版による女性器、男性器の挿絵はリアルで、それまでの木版の春画とは違った新しい時代のエロチシズムを大衆に感じさせ、科学知識の普及の名の下に、全国に広まっていった。書店だけでなく、薬局や雑貨屋でまで売られたと伝えられる公認のH本、『造化機論』は明治十年から三十年頃まで、様々な形で刊行され『明治期性典物』として広く読まれた

掲げられている図版を見ると、たしかにリアルなそのものズバリの性器で、明治という時代のおおらかさを伝えている。この流れから生まれたベストセラーが『衛生交合条例』(明治十六年)と『男女交合得失問答』(明治十九年)というものすごいタイトルの性交解説書。思えば、この時代は西洋一辺倒の鹿鳴館時代。セックスでさえ、西洋に価値を置く啓蒙が大手を振って歩いていたのである。

しかし、時代が進んで、明治末から大正初めにかけて道徳の反動が起きると、スケベは今度は科学の鎧を借りて、性科学雑誌へと姿を変える。そのキャッチフレーズはなんと「変態」。『変態心理』『変態性慾』などのまじめな研究雑誌が創刊され、一種のブームとなるが、しかし、「その大半は、大衆の好奇を刺激し、弱みに付け込むような『科学』の名を借りた通俗エロ雑誌だった」

この性科学雑誌の中から派生してきたのがかの有名な小倉清三郎夫妻の相対会雑誌だが、この相対会が出版の歴史において画期的だったのは、会員制限定販売という頒布方法を編み出した点にある。というのも、これこそは官憲の目をかいくぐってスケベを売るエロ・ゲリラにまたとない地下出版の方法を提供することとなったからである。この方面でのパイオニアが不撓不屈、堅忍不抜のエロ事師、梅原北明と伊藤竹酔。「公刊本では許されない性研究や資料を発表していく会員内研究雑誌は、だが商売にも結びついており、一山当てることを狙う珍書屋たちの群によって次々と、好事家たちを甘言で誘っていった」

本書で一番の見物(みもの)は「予約限定会員制猟奇雑誌」がズラリと並べられているページだろう。なぜかといえば、この部分にこそ、何事も創意工夫によって「極めなければ」すまない日本人の気質がよく現れているからである。エロにおいてさえ、日本人は勤勉で、キッチリとした仕事をするのだ。

まず、会員制であるにもかかわらず、雑誌のデザインとレイアウトが優れているのが興味を引く。雑誌のデザイン史の観点からもこの部分は貴重な資料である。しかし、なんといっても圧巻は、芋小屋山房の職人仕事。この芋小屋山房が昭和二十三年に限定三十部で発行した『南無女菩薩』(昭和二十二年の初版題名は『女礼讃』)は、世界に類のない装丁として書物史に残るかもしれない。「上部四センチを白色に残し桃色に染分けて腰巻と見立てた帙(ちつ)入り本で、その腰巻を脱ぐと、純白の和紙に女性の下腹部が迫真的に彫られ、その中央部には何やら黒くてふさふさしたものが逆三角形に一本一本丹念に移植されていて、本物と見紛うばかりの表紙」。この好評に気をよくした芋小屋山房主人は昭和二十八年に『女礼讃』二号(おめかけ)版を世に問うた。これは外側の袋がズロースそっくりのピンクの布地で、中は表裏に女性の下腹部の拡大写真を点描したもの。「この本は、無修正写真が表紙に使われたとして芋小屋山房主人、検察庁送りとなった」

ただし、こうした豪華限定本志向は戦後は少数派で、地下出版の主流はむしろ、ガリ版、孔版などの簡易印刷による素人出版だった。「戦後、地下本は、食うに困った人間たちや戦前の趣味人、好事家の生き残りといった素人たちによって、ガリ版の粗末な小冊子で始まったようだ」

しかし、生活の安定とともにそうした素人出版は専門職人による孔版、さらには活版へと移行し、それとともにイラストにも多色刷などの工夫が凝らされ、なかには芸術的な鑑賞に堪えるものもあった。こうしたプロによる戦後の地下本には一つの共通した特徴があった。それは装丁は地味な一般書そっくりでタイトルも『哲学物語』とか『聖雲』など堅そうな表題がついていること。「内容がそのものズバリであるが故に、人目についても安心できるような外側(パッケージ)が求められたのだろう」。これなど、ビニ本で裏本が登場したときに『信濃川』といったようなおとなしいタイトルが使われたのに似ている。中で傑作は、岩波文庫そっくりな装丁の「秘文庫」(昭和二十五―二十七年)だろう。内容も『四畳半襖の下張』などポルノの古典が選ばれていた。

このほか、個人的に感慨を誘われるのは、昭和二十年代から三十年代にかけて駅売りされていたエロ系のカストリ夕刊紙が多数収録されていることである。とくに、ヌード満載の『東京毎夕新聞』と『日本観光新聞』は感動的だ。これらを中学生のときに初めて買って、このようなステキなものがこの世にあったのかと、心ときめかせて読んだことを思い出す。

いずれにしても、劣情よりも、郷愁をそそられる一冊であった。

【この読書日記が収録されている書籍】
オール・アバウト・セックス  / 鹿島 茂
オール・アバウト・セックス
  • 著者:鹿島 茂
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:文庫(258ページ)
  • 発売日:2005-03-10
  • ISBN-10:4167590042
  • ISBN-13:978-4167590048
内容紹介:
鹿島教授曰く「書評を通して日本のセックスのフィールド・ワークを試みたいと思った」意欲作。古今東西あらゆる分野のエロス本の書評を通じ、フーゾク、SM、AVなど、日本のセックスの驚愕の実情が明らかにされていく。紹介されるエッチ本は百数十冊―まさに空前絶後の“エロスの総合図書館”誕生である。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

  • 週に1度お届けする書評ダイジェスト!
  • 「新しい書評のあり方」を探すALL REVIEWSのファンクラブ

初出メディア

文藝春秋

文藝春秋

関連記事
ページトップへ