文芸時評

中江有里「3冊の本棚」東京新聞『東京の老舗を食べる』『池波正太郎の銀座日記〔全〕』『買えない味』

  • 2017/10/15

受け継ぎたい良い味

時折仕事で故郷大阪へ行くと、母が「帰りに食べて」とお弁当を持たせてくれます。中身はおにぎり、だし巻き卵、焼き魚、煮物、酢の物…良くあるメニューなのに、どれも懐かしい味。そんな話をしたら妹が「お母さんのお弁当って、お母さんの出汁(だし)が効いている」と言いました。お母さんの出汁って、まるで母の手からしみ出す味のようだわ、と笑っていたのですが、案外本当かもしれません。母が作る筑前煮は材料と調味料、作り方を真似(まね)ても同じ味にならない。もはや「母ブランド」と呼びたい味です。

東京には、ここにしかない味が集まっています。<1>安原眞琴『東京の老舗を食べる』(画・冨永祥子(ひろこ)、亜紀書房・1,728円)は伝統と個性ある名店が25店紹介されていて、写真を眺めるだけでもお腹(なか)が空(す)いてきます。本書冒頭に掲げられた老舗料理店の定義に「50年以上にわたって続いている」とあります。つまり50年その味を支え続ける職人がいなければならない。職人と呼ばれる人が少なくなっていく現代、同じく老舗店も絶滅の危機に瀕(ひん)しているそうです。老舗というと堅苦しいし、入りにくいし、お財布も心配、と敬遠する方もいらっしゃるかもしれません。

東京の老舗を食べる / 安原眞琴
東京の老舗を食べる
  • 著者:安原眞琴
  • 出版社:亜紀書房
  • 装丁:単行本(224ページ)
  • 発売日:2015-06-26
  • ISBN-10:4750514497
  • ISBN-13:978-4750514499
内容紹介:
予算5000円以内!
接待に、親孝行に、夫婦水入らずのデートにもちろん、普段使いののランチにも――

ちょっと贅沢な時間を過ごせる、とっておきの東京の老舗飲食店25店をご紹介!
単なるグルメ本ではなく、お店の歴史や食材についてのうんちくを語りながら、「文化としての老舗」の味わい方も指南する、新しい名店ガイド。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

しかし本書の登場する店はどこも5,000円以内で楽しめる。店の由来、主人の話を聞けば老舗との距離は縮まるでしょう。

食にこだわった作家の本と言えば<2>『池波正太郎の銀座日記〔全〕』(新潮文庫・853円)。少年時代から通い続けた銀座の味、人、出来事を簡潔に綴(つづ)っています。池波さんは大変な健啖家(けんたんか)。食べて、映画を見て、人と会って、また食べている。味が良いときは「うまい」と書き、そうでないときは「なぜうまくないのか」を考察する。その目は実に鋭い。時に胃薬を服用してまで食べていた池波さん。食べることは仕事の原動力であったのかもしれません。

池波正太郎の銀座日記  / 池波 正太郎
池波正太郎の銀座日記
  • 著者:池波 正太郎
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:文庫(578ページ)
  • 発売日:1991-03-27
  • ISBN-10:410115659X
  • ISBN-13:978-4101156590

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

<3>平松洋子『買えない味』(ちくま文庫・743円)はどの店でも味わえない味の宝庫。「指 かぶりつく直前の味」というエッセイは、大変共感しました。料理人は食べる前に指先が味わっている。指先は食材に触れ、触感で味を知るのだから。わたしも旅先で買ってきた生そばを家でゆでて水にさらし、指先で触れたときに「これは絶対美味(おい)しい!」と感じたことがありますが、実際美味しかったです。わたしの指からもいつか母と同じ出汁が出てくることを願います。

買えない味  / 平松 洋子
買えない味
  • 著者:平松 洋子
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:文庫(237ページ)
  • 発売日:2010-12-10
  • ISBN-10:448042783X
  • ISBN-13:978-4480427830
内容紹介:
電話一本で、ネットのワンクリックで、老舗の鍋セットや地方の旬の野菜、海産物が手に入る時代。それは便利だけれど、ホントにそれでいいのでしょうか?一晩寝かせたお芋の煮っころがし、土瓶で… もっと読む
電話一本で、ネットのワンクリックで、老舗の鍋セットや地方の旬の野菜、海産物が手に入る時代。それは便利だけれど、ホントにそれでいいのでしょうか?一晩寝かせたお芋の煮っころがし、土瓶で淹れた番茶、風にあてた干し豚の滋味…日常の中にあるおいしいものたち。お金では決して買えない味がある。自分の身の回りにある買えない味の数々を綴ったエッセイ集。第16回Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

  • 週に1度お届けする書評ダイジェスト!
  • 「新しい書評のあり方」を探すALL REVIEWSのファンクラブ

初出メディア

東京新聞

東京新聞 2015年12月

関連記事
ページトップへ