対談・鼎談

『ルーツ』アレックス・ヘイリー|丸谷才一+木村尚三郎+山崎正和の読書鼎談

  • 2017/10/15
山崎 いま木村先生がおっしゃったことと大半は重なるんですけれども、わたくしは、この本がアメリカでこれほど驚くべき大衆的支持を得た理由は、三つあると思うんです。

第一に、アメリカという国には、もともと自分の国をきわめて理想化する傾向と、それに対して自虐的にアメリカを見る態度とが縄のように絢(な)い合わされていると思うんです。それを反映して文学の場合でも、すぐれた部分は、いつもアメリカの悪口を書くというところがあって、これはほかの国の文学とは顕著に違った特色じゃないか。つまり、純文学の作品でさえ、アメリカというものをいつも意識している。

その自虐癖がベトナム戦争後また戻ってきた。自分の国の大統領はかつて神様のように偉かったものを、これが泥棒の次くらいに悪い奴だというところまで追い詰めたわけですが、そういう形で贖罪をしないとおさまらないという
気が、ベトナム戦後のアメリカに流れていて、これは、当然、黒人問題にもともと根ざしているわけです。

ベトナム戦争問題は半分くらいは黒人問題であったと思うんです。ベトナム戦争でたくさん死んだのも黒人兵ですし、ベトナム戦争に負けた理由も、実は、国内の黒人問題であったわけですから。したがって、ここに白人社会を全体として告発するような黒人の声があがってきたときに、それを実際以上に評価し、できるだけ誠意をもって受けとめたい、という姿勢が出てきた。これは一種のアメリカの自虐の表現だという面がありますね。

二番目は、エスニック(ethnic)意識の問題ですけれども、ご承知のように、かつてのアメリカの理想は、アメリカを人種のるつぼにすることだった。ところが、そういう人種のるつぼは、もはや現実的ではない、という意識は、六〇年代を通じてはっきり現われてきて、たとえばモイニハンの『ビヨンド・ザ・メルティングポット(るつぼを越えて)』という名著が出たわけです。それ以後、全人種を融かし合ってしまうのではなくて、サラダボールというたとえが出てくるんですが、サラダボールのように、野菜はみんな違ったままで……。

木村 融け合わないわけですね。

山崎 融け合わないままで、しかし、ドレッシングかけてまぜてしまえ、ということになり、そういう方向に、実際問題としてアメリカ社会全体が進んでいるんですね。

そういうエスニック・プライドがめばえてきたときに、その中でいちばん大きな声で主張する権利をもっているのが、じつは黒人だったわけです。ほかの人たちは、エスニック・プライドを叫ぶと、必ずうしろめたいものがくっついてくる。黒人だけは手が汚れてないので、いわばアメリカ全体のエスニック・プライドを代表する資格があるということですね。ですから、この小説は黒人の話ですけれども、これを読む気持の中には、当然、それぞれの人種の自己発見というか、自己再発見の願望が潜んでいると思います。

三番目は、明らかに自然崇拝だと思うんです。これもアメリカの伝統の一つでして、コロンビア大学のジョナサン・フリードマンという社会学者が『群居と行動』という本で強く主張していることなんですけれども、アメリカは伝統的に農民的な社会であって、反都市的な国民なんですね。マーク・トウェインやソローのような文学者はもちろん、いわゆる建国の父たちという人たちは全員、都市が嫌いで、アメリカからターザンが生まれてきたのは、まことに自然な現象なんです。そこで、いままさに反都市主義と反近代主義、反工業主義がもう一度めばえている最中に、こういう本が出てきて、いってみればこれは新たなるターザンの出現なんですね(笑)。

丸谷 自然崇拝ということを、小説技術的に考えてみると、こういうことじゃないでしょうか。日本のある種の小説を読みますと、こんなにみじめな目にあっている人間がどうしてさっさと自殺しないんだろうか、という感じがするんですね(笑)。生きるべき理由がまったくないように書いてあるんですよ。それだったら自殺するのが正しいと思うんです。ところが、なぜ生き続けるかという理由をしめしていない。暗示さえしていないから、だからあの手の小説は嘘だと思うんです。

山崎 なるほど、それはいい言葉だ。

丸谷 迫害されているクンタ・キンテが、故郷の自然を思い出してうっとりするでしょう。すると、それがこの男の生きる理由だという気がして納得がゆくんですね。

山崎 それは本当に、アメリカ人には実感としてあるようです。というのは、わたくしの友人で劇作家なんですが、ベトナム戦争と黒人問題でアメリカ社会が身悶えているときに、わたくしにつくづくいいましたけど、「自分はアメリカというのがいやになることがある。そのときに自動車に乗ってまっしぐらに自然の中へ行くんだ、この自然だけはアメリカだ、おれはこれに最後の望みを繋ぐことができるんだ」。彼がかなりのインテレクチュアルであっただけに、わたくしは愕然として、どうもこの部分はわたくしには理解できないと思ったことがあります。

(次ページに続く)

初出メディア

文藝春秋

文藝春秋 1977年10月8日

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