書評
『ならずものがやってくる』(早川書房)
文体を変えながら生みだす情感
一、過ぎ去った時間はもどらない。二、人間はいつか死ぬが、だからといって無になるわけではない。
ものすごく端的に言えば、文学、いや、すべての芸術は、何千年もの間、主にこの2つのことを言う(またはそれに反論する)ために存在してきたんではないだろうか。そして無数の方法でそれらを表現してきた。「ディルドズ」というパンクバンドとそのメンバーに関わる人々の群像劇である本書も、「帰らぬ時」と「そこに人が残すなにか」というありきたりな主題をめぐる、しかし全くありきたりでない小説である。
本書は章ごとに語り手と舞台時代をめまぐるしく替えながら、最後に一つの世界を浮かびあがらせる。それもまたもっと大きななにかの一部なのだ。こういう手法はバルガス=リョサの代表作『チボの狂宴』などにも見られるが、本書が果敢なのは章ごとに大きく文体まで変えている(語り口が少々変化するだけではない)点だ。その内容と形式・叙法の取り合わせやギャップが時に抱腹絶倒の笑いを誘い、深い哀惜の念を呼び起こしもする。
敏腕プロデューサーとなった元パンク男を描く章は、『失われた時を求めて』スタイルのみごとなオマージュ。仕事でここ一番という瞬間に甦(よみがえ)ってくるのは、恥ずかしいあの時の記憶…!? また、投獄された芸能ライターの記事は脚註(きゃくちゅう)付きの論文風であり、さっぱり売れないギタリストの述懐は論理学の証明のごとき小難しさ。二人称を用いた章あり、パワーポイントの図表を駆使したプレゼン風の章あり。背景には9.11の影もちらつく。
甦るのは過去だけではない。未来に見るだろう記憶を幻視する場面がいくつかあるが、ある章でナポリの安部屋から見る夕陽が、未来のカリフォルニアの砂漠に沈む西陽と重なりあうシーンは、本書の手法の白眉だ。さて、「ならずもの」とはなにか? 人間はみなそれに忍び寄られ浸食され恥を重ねて生きていく。
最終章で登場人物たちの環(わ)がひと繋(つな)がりになる。ウソにまみれて生きてきた男と女たちが生みだす深い情感は、しかし本物だ。まさに傑作。
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