書評
『葬送―時代をきざむ人生コラム』(社会思想社)
「葬儀」から浮かび上がる昭和
人はいかに死ぬか、最近は死に方についてさえ、自らの意思でコントロールしたいという人が増えている。死ぬまでの医療においてしかり、死んでからの葬式においてしかり。しかしいかにコントロールしたくともしきれぬものが一つある。それは何か。他ならぬ新聞の訃報欄である。たとえ自らの死を伏せておくように命じたとしても、後に死が判明した際には逆に仰々しく報道されてしまう。これは大いなる誤算だ。だが、必要最低限のことしか書いていない数行のさりげない訃報の中に、しばしばその人の人生が息づいていることを誰もが感ずるであろう。
その点に目をつけ「ライブ感覚で葬儀をとらえた記事」として始まったのが、産経新聞の「葬送」というコラムであった。今回一九九一年から九三年までの三百人余のコラムを改めて読み直してみて、感慨を新たにさせられた。毎日目にする一回ごとのコラムの中に、いかに個人=故人の生き様を描き出すか。記者の苦労と工夫はこの一点にあった筈だ。
「葬送」のコラムは、いずれも故人の人生のハイライトと親しい者だけに見せる素顔とを浮かび上がらせる。同時に故人を通してプロフェッショナルの意味を問い直している。通読しているうちに、それらの実にさまざまな職業の実態の彼方に、何か一つのモチーフが見えてくるではないか。目をこらせば、それは個々の人生を超えた昭和という時代イメージであり、日本という国家のあり方であった。世紀末に死にゆく人々には、何がしかの共通体験がある。節目はあの戦争と高度成長ということになろうか。
そこに至って、はたと未来の「葬送」に思いを馳せる。はたしてポスト高度成長期の世代が送られることになる二十一世紀に、何がプロで何が共通体験となるのであろう。時代を映す鏡として、今後とも葬送記者の健筆を期待したい。
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