対談・鼎談

『佐佐木幸綱歌集』佐佐木幸綱|丸谷才一+木村尚三郎+山崎正和の読書鼎談

  • 2017/10/28
丸谷 「人喰いの遺産」という文章で、気が弱くなったときに短歌を詠むのが、日本人と短歌との関係だ、と据えていますね。この捉え方は、日本文学史の把握としておかしいんじゃないか。日本人は気が弱くなると短歌的になる例として、金嬉老が例の事件のときに「夕暮れに小鳥さえずる声聞けば我れ帰りたや母待つ家に」という歌をつくったとか、シンガポールで学徒兵が死刑の前夜に「をののきも悲しみもなし絞首台母の笑顔をいだきてゆかむ」という歌をつくったとか、吉田松陰が死刑が決まってから父母に送った手紙の中にうたった歌「親おもふ心にまさる親心けふの音つれ何ときくらん」、この三つをあげて論じている。

しかし第一に、この三つは素人の歌でしょう。それを材料にして、芸術家の歌を論ずるのは、カテゴリックに間違っている。

第二に、これらの原型として有間皇子の歌を引いてますね。「磐代の浜松が枝を引き結び真幸くあらばまた還り見む」「家にあれば笥(け)に盛(も)る飯(いひ)を草枕旅にしあらば椎(しひ)の葉に盛(も)る」、有間皇子が死を予感してつくった歌で、これを三首の歌の原型として引いてある。しかし、古代人である有間皇子の歌は、自分を激励するためにつくった呪文なんですよ。いちばん基本的なところでは、芸術でも文学でもない。

そしてそういう呪文の末裔が、吉田松陰、学徒兵、さらには金嬉老の歌であって、それは自分を激励する実用的な歌なんで、その実用性によって自分を励ますことができたんだから、彼らにとって、それでいいわけなんですよ。

山崎 それは重大な問題です。

丸谷 そして、死ぬに当って自分を激励して、ちゃんと死のうとする人間の態度は、決して弱いんじゃなくて、むしろ強い態度です。たとえば「風さそふ花よりもなほ我はまた春の名残りをいかにとやせん」と浅野内匠頭が詠んだ。詠むのは、自分をちゃんと死なせるために詠むわけでしょう。

山崎 いま、丸谷さんがおっしゃったことに全面的に賛成で、まさに辞世の歌というのは、弱さではなくて、強さの表現だと思います。ただ、ここで彼が「人喰いの遺産」を書かなければならなかった動機は、それとは別に、よくわかるような気がするんです。副題にも“なぜ短歌か”と書いていますけど、日本の伝統的詩形式たる俳句や短歌は、つねに外から攻撃されて、”なぜ短歌か”“なぜ俳句か”と考えながらうたわせられてきた一つの宿命をもっているような気がするんです。そして、実際には、そうやってつねに脅迫されながら、“なぜ短歌か”と考えたときの短歌がいちばんいいですね。

ここで彼がいちおう承知したような顔をして、短歌というのは心の弱いときにつくるものだ、と認めているように見えるのは事実ですが、その主張は、むしろ彼の主張ではなくて、たとえば大江健三郎氏は、日本人は「一応は短歌的におだやかに終結する辞世をのこす」姿勢があって、これが日本人の弱点だといったり、臼井吉見氏が「『一億総懺悔』が素直に入り込む場所であり、つねに回想に泣きぬれる場所である」と決めつけてきたような、通俗的な批判を引用していると見るべきでしょう。

それに対する答え方の論理の上で、幸綱氏の論理に乱れがあることは認めます。しかし、彼がいちばんいいたかったことは、「ぼくはいつも、心弱さとやさしさの厳密な区別を自分に強いつつ歌を書かざるを得ない」ということで、これが本音であり、そうした俗流批判に対する答えだろうと思うんです。

丸谷 ぼくは、それにかなり同感しながら、しかし大江健三郎や小野十三郎のいったことが、現代短歌に対する批判としては、ずいぶん当っていると思うんです。

山崎 どうして?

丸谷 つまり、明治維新以前の日本の和歌、ことに王朝和歌に対しては、当てはまらない。あれは三十一音でも、縁語、かけ詞、枕詞、歌枕、本歌どりなんて具合にいろいろ仕掛けがあって、ずいぶん複雑なことをいえるんです。ところが明治維新以後の歌人たちは、そういう仕掛けはないのに、そして社会の条件はひどく厄介なものになっているのに、いいたいことを無理やり三十一音に盛ろうとするあまりに、非常に話を単純にしちゃっている。

山崎 あ、その批判は、また別の高級な批判ですよ。いま、わたくしがいいたいのは、あまりにも型にはまった歌の批判が横行している中で、著者は心優しい反論をしているのだ、ということです。

丸谷 あの手の紋切型な短歌批判には反対ですよ。しかし佐佐木君の自己批判もおかしい。三代か四代つづいた歌道の家の当主が、古典和歌と現代短歌とをちっとも区別しないでものを考えてるのは、不思議だったな(笑)。

山崎 それにもかかわらず、たとえば現代短歌だけを取りあげても、「短歌的な発想の特殊さ」即ち「いかなる怒り、怨念に燃えて不当な死をとげる人間も、一応は短歌的におだやかに終結する辞世をのこすといった特殊さ」という大江健三郎氏の解釈は、著者による引用が正確だとすれぱ、あまりにも粗雑でしょう。もし短歌がそういうものであれば、むしろ文学として立派だといわねばならない。

丸谷 むしろ、たいていの現代歌人にとって不可能なことなんです。

(次ページに続く)
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文藝春秋

文藝春秋 1977年11月11日

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