作家論/作家紹介

【ノワール作家ガイド】ジャン・ヴォートラン『パパはビリー・ズ・キックを捕まえられない』『鏡の中のブラッディ・マリー』

  • 2018/01/06
一九三三年、フランス、口レーヌ地方に生まれる。パリ映画高等学校を卒業、二〇代には映画監督ロベルト・ロッセリー二らの助監督を務め、本名ジャン・エルマンでアラン・ドロン主演「さらば友よ」を監督する。

「ジャン・ヴォートラン」を筆名とするノワール作家としてデビューしたのは、一九七三年の『Abulletins rouges』。二作目の『パパはビリー・ズ・キックを捕まえられない』で作家としての地位を確立する。

その評価は犯罪小説界のみにとどまらず、短篇集『Patchwork』でドゥ・マゴ賞を、長篇『Un grand pas vers le Bon Dieu』でゴンクール賞を受賞している。

一九六〇年代以降のフランス産ノワールを読むと、そこにはつねに、「体制」がもたらす閉塞感が描かれていると言っていい。フランシス・リックの『危険な道づれ』や、J=P・マンシェットの『地下組織ナーダ』をみれば、政治性すら秘めた、この時期のノワールの激烈な反抗心を感じとれるだろう。

このふたりよりは、いささか時代は下るものの、ジャン・ヴォートランも明らかにこうした流れのなかにあるノワール作家であり、また、もっともラディカルなノワール作品を著した作家だと言えるだろう。

ヴォートランの代表的著作と言われる『パパはビリー・ズ・キックを捕まえられない』『鏡の中のブラッディ・マリー』、そして未訳の『Groom』は、いずれも舞台をパリ郊外の低家賃の団地「H・L・M」においた三部作である。

『ビリー・ズ・キック』も『ブラッディ・マリー』も、物語のほとんどが団地で展開される。前者は、この団地に住む刑事が娘に語り聞かせるために造り出した架空の悪漢、〈ビリー・ズ・キック〉が、現実に団地内で若い女を次々に殺害しはじめる、という奇妙な筋立ての物語である。このシュールレアリスティックな事件の周囲で、団地の住人たちが歪んだ行動を繰り返す――タフなアメリカ風刑事を夢見る主人公、セックスと残虐行為に憑かれた七歳になる刑事の娘、娼婦でもあるその妻、精神を病んだ元中学教師などなど……。カオティックな狂騒が、ビリー・ズ・キックをめぐる大捕物に発展してゆく。

『ブラッディ・マリー』も、やはり同じような道具立ての小説だが、前作で「ビリー・ズ・キック」が担っていたような「物語」の中心軸はなく、同様に奇矯な人物たち(前作と重なる属性をもつ者がいるのが興味深い)――超タ力派の刑事、娼婦の人格を持つ妻、故郷アフリカを思いつつ誘惑に狂わされる黒人、部屋に寵もってニュースを見つづける男、手榴弾を大量に抱えた脱走兵――が、それぞれに勝手な暴走をはじめ、最終的に巨大なカタストロフィに雪崩れこむさまを描く。これがたった一日の物語で、その「風が吹けば桶屋が儲かる」的な構造に、シニカルなヴォートランの視線をみることができる。

両者を眺めわたすと、つまるところすべての登場人物は、理性と衝動のバランスを欠いていることがわかる。誰もかれもが、性衝動や破壊衝動を制御できないのだ。そうした人物たちが住まう団地――これは明らかに、近代社会における人間の理性/非理性のせめぎ合いのメタファーだ。

低所得者に安価で衛生的な住居を与えるために造られた団地という、きわめて近代的な意図のもとに造られた画一的な「枠組み」――理性。そこに押し込められたインモラルで暴力的で反社会的な住人たち――非理性。いかに理性が強大になっても、非理性的衝動は厳然として存在しつづけるという構図。

そうみると、『ブラッディ・マリー』のなかで印象的に描かれる「下水道」のイメージが大きな意味をもってくる。整然とした近代都市の直下に、巨大な黒い流れとなって存在する下水。これを「無意識」とするのはうがちすぎだろうか? 端整な意識の底にありつづけるどろりとした無意識だと? そして『ビリー・ズ・キック』の最終場面において発される「ビリー・ズ・キックは死なない」という一文が、決して非理性/無意識を人間から排除できないことを意味するとみるのは?

現代ノワールは、二〇世紀末に完成をみた理性による世界支配のなかで、近代以来ずっと冷や飯を喰わされてきた非理性/衝動が逆襲をかけはじめた顕れともとれる。なんのかんの言っても、人間のなかにはインモラルな衝動がつねに脈打っているのだと。それは社会的規範によってとりあえず隠蔽され抑制されているにすぎず、機会さえあればいつでも噴出し得るものなのだと。それが、システムの網の目に雁字搦めにされたわれわれの内部をつよく撃つのではなかろうか。だからこそ、ノワールのような暗く暴力的な小説が、その反倫理性、反社会性にもかかわらず、多くの読者の願望充足の役割を果たし、ひとつのブームとなり得たのではないのか。

そういう意味で、ヴォートラン作品は、ノワールの根本の根本を鋭利に挟りだしたものなのだと言える。『ビリー・ズ・キック』も『ブラッディ・マリー』も、登場人物たちの暴走がカタストロフィに向かって速度を増してゆくにつれ、徐々に躁的な馬鹿騒ぎの様相を強めてゆく――祝祭的な様相を。

つまりここで描かれているのは、抑圧された非理性/無意識が、理性の圧制をひっくり返し、束の間の凱歌をあげるカーニヴァルなのだ。スクウェアな団地が、黒く不定形の糞便に覆われるカタストロフィ/カタルシス。その無敵の黒さこそが、ヴォートランの「ノワール」だと言えるだろう。

【必読】『パパはビリー・ズ・キックを捕まえられない』『鏡の中のブラッディ・マリー』
パパはビリー・ズ・キックを捕まえられない  / ジャン・ヴォートラン
パパはビリー・ズ・キックを捕まえられない
  • 著者:ジャン・ヴォートラン
  • 翻訳:高野 優
  • 出版社:草思社
  • 装丁:単行本(277ページ)
  • 発売日:1995-07-00
  • ISBN-10:4794206259
  • ISBN-13:978-4794206251
内容紹介:
パリ効外の団地で、結婚式をあげたばかりの花嫁が射殺される。純白のウエディングトレスの胸を真っ赤に染めた花嫁が握りしめていたのは一枚の紙切れ。そこにはこう書かれてあった。「ネエちゃ… もっと読む
パリ効外の団地で、結婚式をあげたばかりの花嫁が射殺される。純白のウエディングトレスの胸を真っ赤に染めた花嫁が握りしめていたのは一枚の紙切れ。そこにはこう書かれてあった。「ネエちゃん、おまえの命はもらったぜ」。シャポー刑事はその下に記された署名を見て愕然とする。ビリー・ズ・キック。それは彼が娘のために作った「おはなし」の主人公ではないか。続けてまた一人、女性が殺される。そして死体のそばにはビリー・ズ・キックの文字が…。スーパー刑事を夢見るシャポー、売春をするその妻、覗き魔の少女、精神分裂病の元教師。息のつまるような団地生活を呪う住人たちは、動機なき連続殺人に興奮するが、やがて事件は驚くべき展開を見せはじめ、衝撃的な結末へ向かって突き進んでゆく。

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鏡の中のブラッディ・マリー  / ジャン・ヴォートラン
鏡の中のブラッディ・マリー
  • 著者:ジャン・ヴォートラン
  • 翻訳:高野 優
  • 出版社:草思社
  • 装丁:単行本(341ページ)
  • 発売日:1995-12-00
  • ISBN-10:4794206682
  • ISBN-13:978-4794206688
内容紹介:
パリ郊外、低家賃団地が建ち並ぶ街サルセル。団地の人びとは誰もが鬱屈した思いを抱き、少しずつ常軌を逸していた。異常なまでに秩序にこだわる刑事シュナイダー、二重人格のその妻フランス、1… もっと読む
パリ郊外、低家賃団地が建ち並ぶ街サルセル。団地の人びとは誰もが鬱屈した思いを抱き、少しずつ常軌を逸していた。異常なまでに秩序にこだわる刑事シュナイダー、二重人格のその妻フランス、1日中、ラジオやテレビをつけっ放しにしている「ニュース狂い」の青年、九官鳥に人種差別的な言葉を教えこむ老人、巨大な双頭の鯉と格闘する下水道の掃除人、そして軍隊からごっそりと手榴弾を持ち出した志願兵のジャン・イヴ。パリの街に次々と手榴弾が炸烈する。事件を追うシャナイダー刑事の胸に抑えがたい暴力への衝動が突きあげる。そして妻のフランスの心の中では、別人格「娼婦のマギー」が死に、「ブラッディ・マリー」が現れる…。病めるフランスの現代社会を映し出した衝撃の作品。仏ミステリー批評家大賞受賞。

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ユリイカ

ユリイカ 2000年12月

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