作家論/作家紹介

村上春樹

  • 2018/01/22

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ことの起こりはなかば冗談から始まった。わたしは映画研究家という仕事がら世界のあちこちを旅行してまわることが多いのだが、行く先々で村上春樹の大ファンを自称する人にあったり、日本研究のシンポジウムなどを通してハルキの翻訳者と語りあう機会が多い。あるとき彼らが、民族や言語を異にしながらも、ある一点において共通するところをもっていることに、気づいたのである。誰もが、ハルキの母国である日本はさておいて、彼の小説作品を世界でもっとも近しく、また深く理解できるのは自分たちに他ならないと、自信をもって語るのだ。

香港人は、中国語圏において東京に匹敵する大衆消費社会を実現させた香港こそ、ハルキを理解することができるといい、韓国人は、70年代以降の民主化闘争を戦ってきた自分たちこそ、『ノルウェイの森』の世代だと熱弁を振るう。アメリカ人は、ハルキがアメリ力文学の影響から書き出したことをことのほか重視し、モンゴル人はロシア語の訳を片手に、『羊をめぐる冒険』、あれはモンゴルの物語ですよと主張する。ロシアでは分厚い研究書が近年刊行されたし、ドイツではハルキの性描写の受容をめぐって、高名な文学者を巻き込んだ激しい討議がなされた。

どの国もハルキに関するかぎり、けっして譲らない。だったら世界中の翻訳者の全員に集まってもらって、討議をしてもらったらどうだろう。もちろん使用言語は日本語。その場合、あくまで司会役の日本人は厳正なる中立を守る。この学会(?)は、日本人にとって見えない角度からハルキ文学の本質を知る絶好の機会となるとともに、今日の日本文化の海外での受容をめぐる興味深いケーススタディとなるはずだ。わたしのこうした思いつきはたちまち国際交流基金の理解するところとなり、かくして2006年3月25日から30日にわたって「春樹をめぐる冒険 世界は村上文学をどう読むか」というシンポジウムが開催されることになった。

村上春樹は1979年に『風の歌を聴け』で群像新人文学賞を取り、デビューした小説家である。アメリカの都会小説を思わせるクールな作風が話題を呼び、別年代には若い世代に圧倒的な評判を得た。当初は文芸評論家も書評や賛辞を書き送ったが、『ノルウェイの森』が爆発的なヒットを飛ばして以来、彼の書いたものは「純文学作品」としてではなく、もっぱら社会現象として受け取られるようになった。90年代中ごろに日本を震憾させたオウム真理教事件と阪神・淡路大震災は、村上に社会への関与を示唆し、彼はユング心理学に助けられながら現下の混乱を理解する手立てを探ろうとした。だが日本国内ではその作品は熱狂的なファンと同伴者に支持はされても、真面目な文芸批評の対象とは見なされていない。奇妙なことに海外ではそれとは裏腹に、彼は現在の日本を代表する作家として認められ、数十冊の翻訳がクンデラやガルシア=マルケスの隣に並べられている。村上がヴォネガットやサリンジャーから強い影響を受けたように、今日の東アジアの作家や映画監督のなかには、彼に示唆を受けて創作活動を始めた者も少なくない。

わたしは二重の意味で村上が興味深い作家であると考えている。ひとつには欧米の先行する文学と映画から巧みに素材と文体を借用し、作品として提出するという彼の作家としてのあり方は、クラブミュージックや韓流メロドラマに似て、独創性と天才をもってよしとする19世紀以来の「作家」の観念を解体する契機となりうる点。もうひとつは、日本人の作家でありながら、およそ作品世界に日本らしさの記号を登場させず、文化的無臭性の強調を通して日本のみならず世界的に対抗文化たりえている点。シンポジウムではこの点をめぐり、より大きな文脈での討議がなされればいいと期待している。

(次ページに続く)
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