作家論/作家紹介

村上春樹

  • 2018/01/22

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以上を記したあとで、2006年3月に国際交流基金による村上春樹シンポジウムが無事開催された。以下に読者が読まれるのは、その結果報告を踏まえた、わたしの考察である。

3月25日からほぼ一週間にわたって、東京、神戸、札幌で、世界中の村上春樹作品の翻訳者を招待して、シンポジウムが開催された。作家や芸術家と違い、ふだん日のあたらない場所で仕事をしている翻訳者たちに脚光を当て、彼らの目を通して日本文学が国際的にどのように受け入れられているかを知るという意味では、これはきわめて成功した催しであったと思う。この企画の最初の提唱者として、また実際に企画に携わった4人の文学研究家の一人として、自分なりにその意図を説明しておきたい。 日本は1980年代まで、国際的な意味での経済力と文化力の隔たりに、大きな悩みをかかえてきた。日本文化は洗練されてはいるが、きわめて特殊な性格のものであって、国際的にポピュラリティをもちえないのではないかという議論が、しばしばなされてきた。

日本とはトランジスターラジオにはじまり、ヴィデオデッキ、ウォークマン、カラオケ、デジカメといった電化製品の輸出国ではあっても、こうしたテクノロジーが運搬することになるソフト面の文化の輸出に関しては、著しく遅れているという印象のもとに語られてきた。

だが80年代の終わりから少しずつ、文化編成をとりまく状勢に変化が見られるようになった。グローバルな巨大メディアが出現するようになり、日本が生み出した文化商品が次々と海外へと進出するようになったのである、今日では日本のサブカルチャーは近隣の東アジアはもとより全世界的に受け入れられ、新しい世代の感受性に決定的な影響を与えつつある。

1990年代に本格的となったハルキ文学の海外でのブームは、アニメとゲームソフトの世界市場への参入と時を同じくしている。村上は、これまでの谷崎潤一郎や川端康成とは違い、日本文化を代表する作家として海外で翻訳され、消費されているのではない。どこの社会でも、自分たちの政治的挫折や恋愛観、孤独と虚無を癒してくれるテクストとしてまず受け入れられ、読者はその後で著者が日本生まれであり、手にしていた書物が実は翻訳書であったことに改めて気付くといった按配である。なるほど村上は日本語で執筆する日本の作家ではあるが、彼が依拠している文化的感受性や、言及している音楽や映画、あるいは都市生活のあり方は、今日のグローバリゼーションのなかにあって世界的に流通し浮遊しているものであって、特定の土地や民族に帰着しえない性格をもっている。今回のシンポジウムでなされた発言には、それを証拠立てるものがいくつも見受けられた。伝統的に反日意識の強い韓国で、ハルキは日本文学としてではなく、ハルキの文学としてまず享受されている。『ノルウェイの森』の登場人物の名前をデンマーク風やポーランド風に直してみれば、デンマークやポーランドの読者はそれをたやすく自国の小説と勘違いして読み通してしまうだろう。云々。

ハルキ・ブームのこの性格は、1983年にNHKテレビで放映された後、アジア・アフリカ・旧ソ連の国々に渡って爆発的な視聴率を得たドラマ『おしん』と比較してみたとき、いっそう明らかとなるだろう。貧困の身から立ち上がり、困苦のすえ幸福となる女性の一代記には、日本人が伝統的に規範としてきたエートスがきわめてわかりやすい形で描かれている。そしてそれは発展途上国がある時期、イデオロギーとして必要としてきたものでもあった。だがハルキの小説には、こうした伝統的な日本らしさを感じさせるものがほとんど存在していない。いうなればそれは、文化的無臭性において国境を越え、外国人に強く支持されることになったのだ。『ノルウェイの森』のなかにはビートルズへのノスタルジアはあっても、サムライもゲイシャも登場しない。いわば日本的ステレオタイプの不在において、この小説はきわだっているのである、そして1990年前後に国際的な日本文化のイメージ領域において生じたのは、『おしん』からハルキへのモデルの転換であった。

今回のシンポジウムの主眼は、村上文学を日本文学の代表として顕彰することでもなければ、次はノーベル賞かと、国威発揚を無邪気に祝賀することでもなかった。特定の言語と言語の間の翻訳において立ち現れる細部の疑問を解き明かすことも必要ではあるが、「ハルキおたく」がナルシシズムを確認しあうだけであってはならない。真に問題とすべきことは、文化の翻訳の次元において考えられなければならない。日本文化は今後も、国境を越えて海外で大きく受容されてゆくことだろう。だがそのさい、それがグローバリゼーションの状況にあって大衆的人気を獲得するために、文化的無臭性を必然的に身にまとわなければならないとすれば、はたしてその現象を無邪気に歓迎しているだけでいいものだろうかという問いである。日本文化が国際的に理解されるためには、地政的に背負っているローカリティはどこまで犠牲にされるべきなのか。文化的なコスモポリタニズムと、それに対するローカリティの問題が、ここで新たに議論されなければならない。

このシンポジウムでなされた発言と証言の数々は、国際交流基金企画による『世界は村上春樹をどう読むか』(文藝春秋)に収録されており、そうした問いをわれわれが考えるにあたって、貴重な資料となることだろう。

(初出:1 「東京新聞」2006年2月20日夕刊 2 「遠近」2006年8月号)

【この作家論/作家紹介が収録されている書籍】
人間を守る読書  / 四方田 犬彦
人間を守る読書
  • 著者:四方田 犬彦
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:新書(321ページ)
  • 発売日:2007-09-00
  • ISBN-10:4166605925
  • ISBN-13:978-4166605927
内容紹介:
古典からサブカルチャーまで、今日の日本人にとってヴィヴィッドであるべき書物約155冊を紹介。「決して情報に還元されることのない思考」のすばらしさを読者に提案する。

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