読書日記

『リバティー百貨店』アリソン・アドバーガム (パルコ出版)|丸谷才一+木村尚三郎+山崎正和の読書鼎談

  • 2018/02/11
リバティー百貨店―ドキュメント   / アリソン・アドバーガム
リバティー百貨店―ドキュメント
  • 著者:アリソン・アドバーガム
  • 出版社:PARCO出版局
  • 装丁:-(200ページ)

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丸谷 ロンドンのリージェント・ストリートに、リバティーという百貨店があります。百貨店といっても、衣服、家具、陶磁器、宝石貴金属など限られた商品を自分の店の趣味によってデザインし、つくって売っているんです。つまり、リバティー様式を売る百貨店なんですね。これは、そのリバティー百貨店の社史なんです。リバティーが非売品として出版したものではありませんが、悪口は一言も書いてないから、日本の社史に非常に近い(笑)。著者は「ガーディアン」紙のファッション・ライターです。

創始者のアーサー・リバティーは、レース業者の息子で、王室御用達のショールと外套の専門店に勤めるんですが、万国博もあって日本趣味がはいり出した頃、東洋物品部門の店長になり、十年後の一八七五年(明治八年)に独立します。この出発は、経済的には、ちょうど後期ヴィクトリア朝の帝国主義的繁栄と重なりますし、芸術的にはオスカー・ワイルドの擡頭とほぼ一致しています。ワイルドは十八カ月にわたるアメリカ講演旅行を行なっていますが、そのときの演題の一つに「住まいと装飾」というのがあり、これがリバティーのたいへんな宣伝になりました。

その後リバティーは、婦人服部門を設け、在来の旧式な婦人服のイメージを一新したり、アール・ヌーヴォー、アール・デコその他、新しい様式を巧みに導入して発展していきます。アーサーは叙爵してサーになり、第一次大戦中に亡くなりますが、リバティーのほうは、ポール・ボワレが婦人服のデザインを引き受けて評判になったり、第二次大戦後は、メアリ・クワントのファッション革命をうまく捉え、パリのサン・ローランと提携したりして、社運は隆隆たるものとなります。

いまでは日本へ生地を輸出しているんですが、リバティーはもともと日本の絹の輸入ではじまった店だから、日本へ生地を輸出するようになったところで、この百貨店の歴史の筆を置くのは、きわめてふさわしいことだろう、といって著者はこの本を終えています。

デパートというのは、現在の都市文化の一中心なんですけれども、わりに論じられていないので、あえてこういう本を取りあげてみました。

山崎 個人的な感想から申しますと、アメリカ留学の帰りに初めてイギリスへ行きまして、ロンドンで買物をしようと思って飛びこんだのがリバティーだったんです。たいへん懐しい名前です。

うしろの年表を見ますと、いわゆるデパートメントをもった店というのは、十九世紀の後半、ということは後期ロマンティシズムと時期を同じくして出てくるんですね。そこに一つの時代の暗合があると思うんです。

たとえばロマンティシズムというのは、演劇の世界でひどく栄えるわけですが、リバティー百貨店がやったことは、まさに生活の演劇化ですね。舞台装置である家の室内装飾、そこへ男女が芝居がかりで、衣裳や宝石をつけて現われる。

セルフリッジの創始者の言葉として「偉大な商人は世界人であって、地方人であってはならない」というのが出てきますが、この”世界人”という意識も、やはり、ロマンティシズムの特色だと思うんです。その世界主義の最先端が東洋だったわけですから、リバティー百貨店が東洋趣味からはじまったということは、まさに後期ロマンティシズムというものの反映だったんだなと思うんです。

一方、アーサー・リバティーその人の趣味を見ると、ロンドンで大儲けしておいて、できたお金で田舎に別荘を買って、ここで郷紳、カントリー・ジェントルマンの生活をはじめる。これまた、ワーズワースに代表されるロマンティシズムの大きな特色なんですね。

この本を読んで、ロマンティシズムというものもよくわかった気がしたし、ロマンティシズムと突き合わせることによって、百貨店というものもよくわかったような気がしました。

木村 いま、イギリスは経済的にも没落し、いわばECの辺境になっているわけですが、ここに出てくるのは、イギリスのデザインをフランス人が真似をしたということです。「“まね”は”最も偽りのないおせじ”」と書いてありますけれども、中世以来伝統的に文化の中心であったフランスを、イギリスが支配したという話ですね。だからこれは、いわばイギリス・ナショナリズムの本ですな。

産業革命の技術的成果がイギリスから大陸へと裨益しだして、イギリス人が、産業だけではなく文化に対する自信ももつようになった。そしてまたイギリス人はこのリバティー百貨店の時期に世界を制覇して、土離れというか、世界人としての性格を備えるんですね。彼らはインド、中国、日本にも来て、”羊皮紙色の皮膚をした人々”――いまみたいに黄色とはいわないところがいい――と接し、色合いとか、デザインなどの新しい感覚に触れ、これを自分たちの生活に貪欲に取りこんでいこうとした。当時のイギリス人にはそうした精神的な活力があったということでしょうね。

大陸でも十九世紀の末から二十世紀の初めはベル・エポックといわれた時代で、いわば市民革命とか、産業技術の進展の成果が、日常生活の中に現われてくる時期です。四人ではじめた小さな店が次第に大きくなっていくこの時代の、期待と可能性に充ちた状況がよくわかっておもしろかったです。

丸谷 山崎さんがおっしゃったように、生活を演劇化するための道具を提供したのがデパートだとなると、宣伝者はまさしくオスカー・ワイルドでなきゃいけないわけで、じつにうまい出会いだったと思うんです。しかし、逆にい
えば、ワイルドが出現するような時代だからこそ、リバティー百貨店ははじまったわけですね。

山崎 商売が、人の生活様式を積極的にリードしてやろうという方向に動き出したものが、このリバティーでしょうね。その時期に、芸術の側でも、芸術のほうから生活を動かしてやろうといった傾向が生まれている。まさにこれはロマンティシズムの一つの特色であって、非常にうまく気脈が合っている。

丸谷 生活の芸術といえば、日本人の昔の生活がそうだった。利休にはじまり、江戸の町民が開拓した技術は、生活をいかにして芸術に仕立てるかということでしょう。そうすると、日本の様式を取り入れることによってリバティー百貨店がはじまったというのは、これまた非常に符節を合しているわけですね。

ところで日本のデパートというのは、よくいえば活気があるということだけれども、ものすごい混雑だし、まるで縁日みたいな感じですね。こういう騒がしさ、埃っぽさ、騒々しさというものは、西洋のデパートにはないんじゃないでしょうか。

木村 ほんとにそうですね。静かなもんです。日本のデパートは縁日とおっしゃったけど、もっと適切にいうと遊女屋、遊廓なんですよ。

山崎 どうして?

木村 遊廓へ行くときは、みんな晴れ着を着て行ったでしょう。つまり、非日常的な、楽しい、秋祭りのようなハレの空間のわけです。だから遊廓では朝から晩まで祭りの太鼓をドンドン鳴らしていた。デパートも朝から晩まで音楽を流しているじゃないですか。

山崎 なるほどねえ(笑)。

(次ページに続く)
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初出メディア

文藝春秋

文藝春秋 1978年11月10日

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