前書き

『歴史の本棚』(毎日新聞出版)

  • 2022/10/07
歴史の本棚 / 加藤 陽子
歴史の本棚
  • 著者:加藤 陽子
  • 出版社:毎日新聞出版
  • 装丁:単行本(ソフトカバー)(256ページ)
  • 発売日:2022-08-17
  • ISBN-10:4620327492
  • ISBN-13:978-4620327495
内容紹介:
東大教授の加藤陽子氏による書評が書籍化! 小説、エッセイ、写真集など数々の名作を日本近現代史の泰斗がその感性ですくい上げる。
日本近現代史の泰斗、東京大学教授の加藤陽子さんは「本読みの名手」でもあります。「この人の書評は面白い」「読書の幅が広がる」など、高い評価を得ています。世の中の動きや世界情勢に読者の目を向けさせ、考えるきっかけを作ってくれる、非常に示唆に富む書評です。それぞれの本の書き手が、いかなる分析視角によって紡ぎ出したのか。傑出した書評の数々が収録された加藤さんの著書『歴史の本棚』の「はじめに」を特別公開します。
 

読む前と後で、風景が違って見えてくる

これまで刊行された拙著のタイトルは、すべて編集者の発案によったものだ。ただ一つの例外は、筆者にとって初めての単著となる『模索する一九三〇年代 日米関係と陸軍中堅層』(山川出版社、1993年、新装版2012年)位だろうか。出版文化の力と技を深く信頼しているがゆえに、書店の棚に並ぶ際の本の最終的な「たたずまい」については、プロの判断にまかせてきた次第である。

ただ、本書の『歴史の本棚』という直球ど真ん中のタイトルには、厚顔の筆者も少し気後れがしたことは告白しておきたい。歴史の意味を漢字からひもとけば、「歴」とは軍功を重ねること、権力=暴力の象徴などを意味するといい、「史」とは祭事=政事を記録するものを指す、との説明がなされる(佐藤卓己『ヒューマニティーズ 歴史学』岩波書店、2009年、1〜2頁)。一方、イギリス近世・近代史が専門で、E・H・カー『歴史とは何か』の新訳をこのほど刊行した近藤和彦氏によれば、英語でいう歴史(history)には、①出来事や現象についての語り、表現、研究という意味と、②過去の事象及びその関連という、若干意味の異なる二つの語義があるという(E・H・カー、近藤和彦訳『歴史とは何か』岩波書店、2022年、337頁、訳者補註部分)。

筆者の専門は1930年代の日本の軍事と外交である。東西の知見から判明するところの「歴史」の本義と引き比べれば、たしかに筆者の研究は、過去の権力や政治についての事象を記録し、表現してきたものといえるので、その点で「歴史」の内容に沿ってはいる。よって本書は、歴史を学んできた筆者が「推す」本がこちらです、といったコンセプトでまとめられた本という位置づけになろうか。

本書に収めた書評は、主として、「毎日新聞」の「今週の本棚」欄に掲載されたもの、今はなき月刊誌『論座』(朝日新聞社)に「新・文庫主義」として連載されたもの、本の解説として執筆したやや長めの文など、3種から構成されている。書評の対象となった本の内容に従って、Ⅰ「国家 国家の役割〜個人のために国家は何をなすべきか」、Ⅱ「天皇 天皇という『孤独』〜戦後史からひもとく天皇の役割」、Ⅲ「戦争 戦争の教訓〜人は過去から何を学び取ったのか」、Ⅳ「歴史 歴史を読む〜不透明な時代を生き抜くヒントを探す」、Ⅴ「人物と文化 作品に宿る魂〜創作者たちが遺した足跡をたどる」の五つの柱に分け、どの部分からでも読み始められるような工夫がなされている。

日中戦争中の1937年12月、中華民国政府の首都・南京で日本軍によって起こされた南京事件について、そのような虐殺はなかったとする言説を今に至っても耳にすることなどがあると、日本という国に住む少なからぬ人々は歴史に学ぶのがあまり好きではないのかもしれない、との思いにかられることも正直に言えば、ある。

ただ、自分の国の過去の歴史に人々が必ずしも興味を持てない理由を考えれば、無理もないとも思われる。夏目漱石が100年以上前に喝破していた。歴史は過去を振り返る時に初めて生まれ出るものだ、と。悲しいかな、今(明治が終わる頃、引用者註)の我々は時間に追われ、瞬時も一カ所に止まれない、と。過去を振り返る暇がない我々にとって、過去はなかったことと同じだ、つまり、過去は「未来の為に蹂躙」されているのだ、と(『定本 漱石全集』第16巻、岩波書店、2019年、364頁)。漱石の見立てはさすがだ。だが、漱石の言に感心してばかりもいられない。むしろ、未来のために過去はある、と言いたくて、本書『歴史の本棚』に収録した書評は書かれたといえる。

[書き手]加藤陽子
歴史の本棚 / 加藤 陽子
歴史の本棚
  • 著者:加藤 陽子
  • 出版社:毎日新聞出版
  • 装丁:単行本(ソフトカバー)(256ページ)
  • 発売日:2022-08-17
  • ISBN-10:4620327492
  • ISBN-13:978-4620327495
内容紹介:
東大教授の加藤陽子氏による書評が書籍化! 小説、エッセイ、写真集など数々の名作を日本近現代史の泰斗がその感性ですくい上げる。

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