本書では、不安や怒りを煽り、社会を分断する「情報兵器」=ナラティブ(物語、言説)のメカニズムを解明します。
著者の大治朋子氏に、刊行に寄せて自著紹介を綴っていただきました。
なぜ私たちはナラティブ(物語)に動かされるのか――そのメカニズムを追う
ナラティブという英語がある。物語とか語り、ストーリー、筋立て(プロット)、言説などと訳される。日本ではまだあまり聞き慣れないが、英語圏では日常的に用いられている言葉だ。同じように幅広い物語性を含む単語は日本語にはない。誰かの語るナラティブが心の中で暴れ出し、感情を揺さぶられることがある。怒りで眠れなくなったり、嬉しさが止まらなくなったり。その感情が私たちの行動を変えていく。
だがなぜナラティブが人間を突き動かすのか。私たちはそのメカニズムをほとんど知らない。
ナラティブという概念に関心を持ったのは、エルサレム特派員時代だ。過激派組織イスラム国がSNSで発信するナラティブに少年たちがのめり込み、「自爆テロをすれば天国に行ける」という物語を信じて命を捧げていた。
一方で、紛争や自然災害で過酷な経験をした人々が、そこに何らかの「意味」を見いだすことで新たな人生物語を再構築し、生きる力に換えていく姿も目の当たりにした。
ナラティブは人を生かしも殺しもする。人間の感情をかきたて、良くも悪くも個人を、社会を突き動かす。そのメカニズムを知りたい。そう思ったのが取材のきっかけだった。
「ナラティブは我々の脳が持つほとんど唯一の形式」
イスラエルの歴史学者、ユヴァル・ノア・ハラリ氏は、「ホモ・サピエンスは物を語る動物」だと述べた。いかなる人間、集団、国家にも「独自の物語や神話」があり、20世紀が提示したのはファシズムと共産主義、自由主義という「三つの壮大な物語」だという。また解剖学者の養老孟司さんは私のインタビューにこう語った。
「ナラティブっていうのは、我々の脳が持っているほとんど唯一の形式じゃないかと思うんですね」
人間は社会的な現象や自分の人生を物語形式で理解し、記憶しているのだという。
脳科学や認知心理学の専門家への取材も重ねた。私たちは誰かの「語り」に共感を覚えると共感ホルモン・オキシトシンが分泌され、ナラティブ・トランスポーテーション(没入)と呼ばれる状態に入る。物語の世界に入り込み、日常においてもそのストーリーに沿うように行動するのだという。
没入するナラティブがテロや陰謀論か、それとも大谷翔平物語か。その違いが、その人の人生を変えていく。
メカニズムを知れば知るほど「その先」が見たくなり、米国の軍事技術研究機関(DARPA、ダーパ)や 英国のデータ分析企業にも取材した。彼らは物語としてのナラティブが人間の脳や心に与える影響を脳科学や心理学の観点から調べつくし、人工知能(AI)などを駆使して個人を、社会を動かす世論操作の技術開発に躍起だった。
日本では近年、安倍晋三元首相銃撃事件、映画「ジョーカー」を真似た京王線乗客襲撃事件など、特定の「物語」にとりつかれたように凶悪事件を起こす単独犯が目立つ。特に犯罪に走る人々の中で目立つのが「被害者物語」だ。自分を絶対的な被害者と見立て、「正義」を掲げて狂気の世界へと暴走していく。
「人は物語を生きている」。ノンフィクション作家の柳田邦男さんが私に語った言葉が忘れられない。
本書はこうした取材を通じ、何が人を動かし、社会をどう変え、未来はどうなるのかという疑問を「ナラティブ」という概念を足がかりに追いかけた記録でもある。
他者のナラティブに思考をハイジャックされないための非認知的(社会情動)スキルの磨き方も、脳科学者へのインタビューなどから提示した。
[書き手]大治朋子(毎日新聞編集委員)