前書き
『中国拘束2279日 スパイにされた親中派日本人の記録』(毎日新聞出版)
身に覚えのない「スパイ罪」で中国当局に約6年拘束。刑期を終え、2022年10月に帰国した日中青年交流協会元理事長の鈴木英司さんが、拘束から収監、出所までの過酷な体験を綴り、手記を出版しました。習近平政権は2014年以降、「反スパイ法」を施行するなど中国で活動する外国人の管理を強化しています。2023年7月の改正「反スパイ法」施行によって、いつスパイの疑いをかけられてもおかしくない状況になると予想されます。世界を戦慄させる習政権下で拘束された日本人の実情を明らかにした「プロローグ」の一節を、特別公開します。
午後2時前後だった。最も暑い時間帯だ。湿気はないが、日差しはきつい。40度ぐらいはあっただろう。ホテルの車寄せにタクシーはとまっていない。少し待って前の通りに出た。
手を挙げ待つこと7、8分。全身から汗がじっとりと噴き出してきた。反対車線を走っていた白色のタクシーの運転手がクラクションを鳴らして手を振り、こちらに合図してきた。北京を走るタクシーは緑と黄土色などのツートンカラーが多い。白いタクシーは珍しいし、反対車線からわざわざ回ってくるのも普通ではないなと感じたが、ようやく来たタクシーだ。暑さから逃れたくて乗り込んだ。
「北京首都国際空港第3ターミナルまで」。タクシーが走り始めてすぐ、私が求めた道(空港高速)とは違うことに気が付いた。おかしいなと思い運転手に声を掛けたが、気にするふうでもない。淡々とタクシーを走らせていく。途中、スマートフォンで何かを打ち込んでいる。そんなことをするタクシー運転手は見たことがない。
走ること小一時間。汗もひき空港の出発ロビー階に着いたのは午後3時10分ごろ。特に車寄せはないため道路に誰もがとめる。運転手は白いワンボックス車の斜め後ろにタクシーをとめた。車の周囲にはTシャツ姿の体格のいい男らが6人ほど。ガラの悪い男たちがたむろしているところにタクシーをとめられたことに少し不快感を覚えたが、トランクから荷物を出して歩き始めた。飛行機は午後5時半の予定だった。
とその時、「你是鈴木嗎(ニーシーリンムーマ/お前は鈴木か)?」と、男のひとりが問いかけてきた。
「そうだ」と答えるや否や、3、4人の男が私を押しながら車に押し込もうとする。私は当時、体重が96キロあったが、かなわない。
「お前ら誰だ?」
「北京市国家安全局だ」
そう聞いた私は、頭が真っ白になった。安全局と言えば、スパイ組織だ。スパイの取り締まりもする。なぜ私が、との疑問がよぎる。なすがままに車に入れられ、3列シートの中央から最後列へ、さらにその一番奥の座席まで押し込まれた。最も逃げづらい場所だ。車の助手席にはビデオを回している男がいた。
「身分証明書を見せろ」と私は言ったが、男たちは「その必要はない」と言う。「なぜ私を拘束するのか」と問うと、やせてめがねを掛けた男が、北京市国家安全局長・李東の名の記された紙を目の前に広げた。
そこには私をスパイ容疑で拘束することを許可する旨が記されていた。今思えば、タクシーも国家安全局が手配したものだったのではないか……。ワンボックス車のすぐ近くにとめたのも、偶然とは思えない。ことの真相は分からないが。
車内では無理やり携帯電話、腕時計を奪われ、自殺防止のためか、ズボンのベルトを外された。さらに黒いアイマスクを着けられた。
「どこに行くんだ?」。私は中国語で問うた。
「それは言えない」と、男のうちの誰かが言う。
「日本大使館に連絡しろ」と求めたが、「それは着いてから、担当の人間に話をしろ」と言うのみだ。
会話をしてもらちが明かない。どこに向かっているのかもまったく分からない。抵抗しても無駄だと思い、私は静かに車の中で座っていた。
突然現れた北京市国家安全局の男たち
2016年7月15日。中国・北京の日本大使館近くにある二十一世紀飯店(ホテル)内の日本料理店で中国の知人と昼食をとった後、エアコンがきいたホテルから外に出た。嫌というほど太陽が照りつけている。シンポジウム開催の打ち合わせなど5日間の北京出張で最後の日程を終えた後だった。午後2時前後だった。最も暑い時間帯だ。湿気はないが、日差しはきつい。40度ぐらいはあっただろう。ホテルの車寄せにタクシーはとまっていない。少し待って前の通りに出た。
手を挙げ待つこと7、8分。全身から汗がじっとりと噴き出してきた。反対車線を走っていた白色のタクシーの運転手がクラクションを鳴らして手を振り、こちらに合図してきた。北京を走るタクシーは緑と黄土色などのツートンカラーが多い。白いタクシーは珍しいし、反対車線からわざわざ回ってくるのも普通ではないなと感じたが、ようやく来たタクシーだ。暑さから逃れたくて乗り込んだ。
「北京首都国際空港第3ターミナルまで」。タクシーが走り始めてすぐ、私が求めた道(空港高速)とは違うことに気が付いた。おかしいなと思い運転手に声を掛けたが、気にするふうでもない。淡々とタクシーを走らせていく。途中、スマートフォンで何かを打ち込んでいる。そんなことをするタクシー運転手は見たことがない。
走ること小一時間。汗もひき空港の出発ロビー階に着いたのは午後3時10分ごろ。特に車寄せはないため道路に誰もがとめる。運転手は白いワンボックス車の斜め後ろにタクシーをとめた。車の周囲にはTシャツ姿の体格のいい男らが6人ほど。ガラの悪い男たちがたむろしているところにタクシーをとめられたことに少し不快感を覚えたが、トランクから荷物を出して歩き始めた。飛行機は午後5時半の予定だった。
とその時、「你是鈴木嗎(ニーシーリンムーマ/お前は鈴木か)?」と、男のひとりが問いかけてきた。
「そうだ」と答えるや否や、3、4人の男が私を押しながら車に押し込もうとする。私は当時、体重が96キロあったが、かなわない。
「お前ら誰だ?」
「北京市国家安全局だ」
そう聞いた私は、頭が真っ白になった。安全局と言えば、スパイ組織だ。スパイの取り締まりもする。なぜ私が、との疑問がよぎる。なすがままに車に入れられ、3列シートの中央から最後列へ、さらにその一番奥の座席まで押し込まれた。最も逃げづらい場所だ。車の助手席にはビデオを回している男がいた。
「身分証明書を見せろ」と私は言ったが、男たちは「その必要はない」と言う。「なぜ私を拘束するのか」と問うと、やせてめがねを掛けた男が、北京市国家安全局長・李東の名の記された紙を目の前に広げた。
そこには私をスパイ容疑で拘束することを許可する旨が記されていた。今思えば、タクシーも国家安全局が手配したものだったのではないか……。ワンボックス車のすぐ近くにとめたのも、偶然とは思えない。ことの真相は分からないが。
車内では無理やり携帯電話、腕時計を奪われ、自殺防止のためか、ズボンのベルトを外された。さらに黒いアイマスクを着けられた。
「どこに行くんだ?」。私は中国語で問うた。
「それは言えない」と、男のうちの誰かが言う。
「日本大使館に連絡しろ」と求めたが、「それは着いてから、担当の人間に話をしろ」と言うのみだ。
会話をしてもらちが明かない。どこに向かっているのかもまったく分からない。抵抗しても無駄だと思い、私は静かに車の中で座っていた。
ALL REVIEWSをフォローする
































