香月利一と落流鳥
藤本 70年代〜80年代にかけてビートルズ研究が進みました。なかでも2人の日本人は欠かせない。『ビートルズ事典』(立風書房/1974年)を出した香月利一と、ビートルズの『赤盤』『青盤』をはじめ、東芝EMIの公式版の訳詞を多く手掛けた訳詞家の落流鳥の両氏。香月さんはこれからという51歳で心筋梗塞で早すぎる死を迎えてしまい、落流鳥さんは自身に関するインタビュー取材はほとんど受けてこなかった謎の多い人物です。本橋さん、落流鳥さんと会ってるんですよね?本橋 ええ。この本の編集プロデューサー・原田英子さんの橋渡しで会ってるんです。2012年12月号「オール讀物」誌上で書いた「ビートルズに死す 香月利一」がきっかけで。藤本さん、原田さんと知り合えたのも、「オール讀物」の書き下ろしが縁でしたよね。
藤本 そうでしたね。
本橋 デスクで後に編集長になられた武田昇さんが、私が深い関心のある人物をルポルタージュしようということで、ビートルズ・マニアである私なら、世界初の『ビートルズ事典』を出したり、来日したリンゴに仲人を頼んで結婚したビートルズ研究家の香月利一さんなら関心があるだろうと。すでに香月さんは亡くなられていたんですが、地上から消えた人物を周辺関係者の証言で浮かび上がらせるというルポルタージュ手法は私も好きなアプローチでしたから。それで紹介されたのが原田英子さんだったんです。
2012年夏、うちの父が交通事故で突然亡くなり、まだ頭の芯がジーンとしていた9月、版元の文藝春秋の会議室で原田さんとお会いしたんですよ。そのときの印象を私はこう書いてます。
〈文藝春秋本社の一室にやってきたフリーランスの編集プロデューサー原田英子は、ジョージ・ハリスンの元妻パティ・ボイドが歳を重ねたらこんな感じになるのではないかという女性だった(本家のパティは見事なまでに太ってしまったが)。〉
藤本 おおっ、原田さん=パティ説!
本橋 1970年代初頭、ポールの脱退でビートルズは事実上解散になっても、関連書は相変わらず売れてました。
原田さんの言葉です。
〈ビートルズで絶対にない本は? 事典だ! ひらめいたの。これが最初。事典を絶対作ろう! 企画がすぐ決まって、では誰にやらせようということになった。そしたらもう鳥居ちゃんしかいない!〉(「ビートルズに死す」より)。
藤本 香月さんの『ビートルズ事典』が、どういう経緯で誕生したかについては、長い間、謎でしたよね。そしてその鳥居さんは、落流鳥さんの本名。
本橋 そうです。原田さんは旧知の仲の鳥居さんの六本木の仕事場に行って、事典の企画を説いたんですね。そこにたまたま鳥居さんの栃木高校時代の同級生で慶応を卒業してサラリーマンをしている青年に会った。それが香月利一さんでした。原田さんが『ビートルズ事典』の話を鳥居さんにしたら、鳥居さんは猛烈に忙しいので難色を示した。それでその場にいた香月さんがやることになったんです。
香月利一の印象を原田さんが「ビートルズに死す」で語っています。
〈香月さんと最初にパッと会ったときの印象、憶えてますよ。みんな「利一(リイチ)って呼んでいた。〉
ネットもパソコンもない時代だから、人力だけで膨大な量のビートルズ関連の資料を集め整理することは困難を極めたんです。香月さんは所有しているビートルズ関連資料の他に、徹底して調査、収集をしました。会社が終わると原田さんの事務所で夜遅くまで編集や執筆に追われます。香月さんが書いた原稿は積み上げると1メートル以上に達して、文字数がどれくらいかわからなくなった。
原田英子さんはどうやって処理したのか――。
〈それをどうしたのかというと、デザイナーが〝字数をいちいち数えるの大変だし、ペラで30枚あったら何グラムか、秤で量ってやればいい〞って(笑)。30枚だったら何グラム、50枚なら何グラムという表を作ったの。いまならパソコンで簡単にわかるんだけど、あのころは秤で量った(笑)。でもだいたいあってましたね。そうするしかなかったんです。あまりにも原稿が多いから!〉(「ビートルズに死す」より)。
藤本 私は珈琲豆はグラムで量って淹れてますけど、原稿の文字数を量るなんて、聞いたことがないです(笑)。『ビートルズ事典』は、そんなところからして香月的、いや画期的(笑)。
本橋 原田さんの話を聞いているうちに脳裏にぼんやりしていたものが、だんだん形になって見えてきたんです。鳥居という苗字はどこかで聞き覚えがあった。たしかペンネームで訳詞か何かをしていたはずだ。鳥居さんはある雑誌を編集プロダクションで丸ごと1冊請け負っていたっけ。版元にはだだっ広い畳の間があって、そこが編集部だった。もしかして……。
1980年の記憶がそのとき、2012年に甦ってきたんです。32年前の記憶が。
水道橋駅の目の前にある芳文社という漫画専門出版社から出ていた「大学マガジン」という風変わりな月刊誌を請け負っていたのが鳥居さんたちだったんですね。編集部は大広間の和室で、そこにフリーランスの物書き稼業になったばかりの24歳の私が通っていたんです。ときどきミニスカートをはいた和製パティ・ボイドのような女性が大広間にいたんです。鳥居さんと同じプロダクションにいた女性で、一度も話したことはないけど、編集部にやってくる女子大生とは違う大人の女性という印象でした。私が文藝春秋会議室で話を聞いている女性というのは、あのとき大広間にいたパティ・ボイド!? この本の編集プロデューサーの原田英子さんだったんです。32年ぶりに再会したことに気づいたわけです。そのときの取材の目的は香月利一とは何者だったのかというものでしたから、香月さんと同じ高校で舟木一夫ファンだった香月さんにビートルズを教えたのも鳥居さんだったから、これはなんとしてでも鳥居さんから話を聞きたいと、同時に鳥居さんと32年ぶりに会いたいと、連絡先を知っている原田さんに中継ぎをお願いしたところ、原田さんから返ってきた言葉が、〈絶対会わない。だって世離れしちゃったんだから。彼はすごい優秀な人でしたよ。この世界が嫌になってかかわりたくないといって去っていったんだから。無理〉(「ビートルズに死す」より)。
[書き手]藤本国彦・本橋信宏