読書日記

『リバティー百貨店』アリソン・アドバーガム (パルコ出版)|丸谷才一+木村尚三郎+山崎正和の読書鼎談

  • 2018/02/11
丸谷 あれだけ品物が多種多様にたくさんあるということも、西洋のデパートにはないんじゃないですか。

山崎 ヨーロッパ大陸の百貨店は、要するに、安物を売っているところですね。パリでちょっとした買物をしようと思ったら、下手なフランス語を使って専門店へ行く以外にない。イギリスの場合は専門店もたくさんありますが、一方でセルフリッジのような大きな大衆的百貨店にかなりいいものもある。

その点、アメリカと日本は百貨店王国で、いちばんいい百貨店に行けば、最高級のものから大衆的なものまで一堂に集まっているわけです。こうしてみると、百貨店というのは大衆社会というものの成熟度を非常にうまく表わしていると思います。

さらに、日本の場合は非常に大きな百貨店の革命が行なわれました。大阪の阪急百貨店が最初だろうと思うんですが、ターミナル百貨店というものができた。それが大衆化の進展に応えて、いまお話しになっているような縁日性を非常に強めたと思います。そういう点では、日本の百貨店は世界の最先端ということになるかもしれませんね。

木村 ヨーロッパで百貨店があまり発達しないのは、一般の商店にまだ相対(あいたい)の精神が生きているからなんですよ。

山崎 なるほど、一対一の……。

木村 ええ、店のおやじとお客が一対一でやりとりする、その買い方が普通なわけですね。だからデパートのほうは、手っ取り早く買えるもの、用が足せればいいものを売ることになる。ヨーロッパは言葉と言葉のやり取りの社会なんですね。

日本人は言葉を喋るというのが嫌いで、たとえば靴を買いにいって気に入ったのがなくても、目の前に三十足くらい並べさせておいてやっぱりやめたなんてちょっといえないですね。デパートならはじめから全部並んでいるから黙って買える。日本の無言文化とデパートは非常にうまくマッチしているんですよ。

山崎 それは、わたくしもぜひいいたいことだったんです。わたくしがリバティー百貨店へ行ったのはマフラーを買うためだったんですが、オーバーを着ていって、これに合うマフラーを買いたい、といったわけです。「合う」というのを「スーツ」といったら、店員が「マッチング」か、「コントラスティング」かと訊いてきた。つまり、色を合わせるか、反対色でいくかというんですね。こちらは、そんなこと考えてもいない。

丸谷 なるほど。

山崎 わたくしたち日本人は店へ入るときに、決心することをできるだけ排除したいわけです。まあいってみれば、百貨店の入口を入るときには、きょうは買物をするか、しないかということすら決心しないで入るわけです。何となく入るといいものがあって、しかもそれが少しバーゲンであった、などという口実でズルズルと買って帰る(笑)。この状態が、日本の百貨店を栄えさせたのだと思うんです。

木村 フランスの本屋さんへ行くと、「おまえ何が欲しいんだ」と、まずいわれる。「ただ見ているだけだ」というと、不思議そうな顔をして、しばらく引っこむ。ところが三分くらい経つとまた出てきて、「何買うんだ」って聞きます。とにかくボヤッとしてられない(笑)。本当に初めから意志的、目的的にしか生きられないんですね。

丸谷 お話うかがって年来の疑問が氷解したなあ。日本の百貨店で売り子に商品について訊いても、明快な答えが返ってきたためしがない(笑)。

山崎 お互いさまなんですよね。

丸谷 そういうふうになるように運命づけられているわけね。

山崎 さっきの縁日というのはいい比喩で、縁日はひやかし、素見(そけん)というものがあるわけね。見るだけということが許される。この縁日、百貨店を延長したものが、いまの地下街でしょう。地下街というのは、商店はあるんだけど、あのまん中の通路は外でもなく内でもない、不思議な空間でしょう。あそこへ降りて行くときに何の抵抗もない、買うと決めてないんですから。地下街をウロウロしているうちに、内だか外だかわからないような状況でスッと店に入っちゃう。

丸谷 うん、なるほどねえ。

山崎 リバティーが百貨店らしくなってくるのはかなり後のことですね。個人会社から株式会社組織になったのが一八九四年。それから十年後の一九〇四年には、日本にも株式会社三越呉服店ができている。そしておもしろいことに、ちゃんと文化的役割を果してまして、大正三年(一九一四年)に横山大観の再興院展が初めて百貨店で開かれる。大衆文化という点では、日本はかなり先進国だといえる。

丸谷 「きょうは帝劇、あすは三越」という文句があったでしょう。帝劇と並ぶくらいの都市文化の中心として百貨店は捉えられていたわけですね。今日では、劇場のほうは、非常に格が落ちてしまって、デパートのほうだけグングンのしてきている。各新聞社はもっとデパートに記者を派遣すべきじゃないか、と思うんです。普通の日本人がいちばんたくさん生(なま)の姿で行くのはデパートなわけですよね。

山崎 わたくしは、ちょっとその百貨店文化に翳がさしていると思うんです。かつての百貨店というのは、文字どおり食料品売場から演劇までふくんでいて、お客を遊ばせて商売する場所だったんですね。それが戦後出てきた唯物的なスーパーマーケットに押されまして、いま百貨店はかなり苦しいところに来ているようです。これは日本の大衆文化にとってひとつの問題かもしれませんね。

丸谷 一つには、百貨店の”百”の字のせいで、何でも置かなきゃならなくなっちゃったわけですね。

山崎 百貨店というのはだれの翻訳でしょうね。

丸谷 なぜ万貨店とか億貨店とか考えなかったのかなあ……。しかしこれは、次の本のテーマですね。

【この読書日記が収録されている書籍】
鼎談書評  / 丸谷才一,木村尚三郎,山崎正和
鼎談書評
  • 著者:丸谷才一,木村尚三郎,山崎正和
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:-(326ページ)
  • 発売日:1979-09-00

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初出メディア

文藝春秋

文藝春秋 1978年11月10日

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