対談・鼎談

河盛 好蔵『パリの憂愁 ボードレールとその時代』(河出書房新社)|丸谷才一+木村尚三郎+山崎正和の読書鼎談

  • 2019/05/24
パリの憂愁―ボードレールとその時代 / 河盛 好蔵
パリの憂愁―ボードレールとその時代
  • 著者:河盛 好蔵
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:単行本(483ページ)
  • ISBN-10:4309006809
  • ISBN-13:978-4309006802
内容紹介:
パリの詩人ボードレールの生涯を軽妙な筆致でつづった、本邦初の本格的ボードレール伝。大仏次郎賞受賞。

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山崎 この本は詩人であり、評論家でもあるシャルル・ボードレールについて、その詩と評論をまったく埒(らち)外に置いて書いた評伝です。むしろボードレールが生きた十九世紀末のパリを描くことに、この著者の眼目はあったようです。

この時代は、二月革命が終わって普仏戦争までのあいだの、たいへん荒々しい時代なんですけれども、他方では、セーヌ県知事オスマンの大都市計画によってパリが美しく改造され、同時にナポレオン三世の宮廷ではきわめて絢爛たる、時代錯誤的な享楽の生活が展開されていました。他方、パリの青年たちのあいだには、イギリスからダンディズムという観念が入ってきて、いささかの頽廃と、いささかの甘えとを混ぜ合わせたような気分の中に、文学を語り、芸術を語り、そして娼婦と戯れるという生活が展開されていた。

一方に宮廷の絢爛豪華があり、他方に都市的な頽廃があるわけですが、その両方を貫いて流れているものは、一種の芝居がかりと、憂鬱という気分であって、たとえていうならば、この十九世紀後半という時代は、極彩色の憂鬱の時代であったことがよくわかります。

これはたいへんよく調べて書かれた本で、筆者は、調べることに大いに愉しみを感じている。ボードレールについて解釈をしたり評価を下す意図は毛頭なく、また、この本を通じて一つの精神を鼓吹したり、主張したりする意図もなさそうです。むしろ、細部の様々な事実が、わたくしたちの印象に残ります。

たとえばボードレールは、父親から七万五千フランの遺産を残されるんですが、一体その遺産はどのくらいの値打ちがあったものであろうか、ということに筆者は目を向けている。当時の学生の下宿代は、月二十フランから三十フランが相場であり、食事は一回一フランが普通であった。したがって、この七万五千フランは相当な大金であったということがわかるわけで、それを蕩尽(とうじん)しつくしたボードレールの生活も間接的に浮かびあがる仕掛けになっています。

ボードレールは英国風であると同時にロマン主義風な服装をしていた。きわめてゆったりと作られた燕尾服、袖口は広く、その尾は皺が寄らないように四角に切られ、黒いカシミヤの、半ばボタンをつけ、半ば襟をくった、ゆったりしたチョッキを着、首輪よりもはるかに絹のスカーフに近いネクタイを締めていた。といった具合に、ボードレールのダンディストとしてのいでたちも、いろいろな資料から克明に描写されています。

一方でわたくしは、ナポレオン三世の宮廷に非常に興味をそそられました。「会議は踊る」の時代のあと、まだ政治というものの中に遊びがあり得た時代、政治的陰謀とコケットリーとギャラントリーが一つになって渦巻いていられた最後の時代、いいかえればヨーロッパ文明が最後の爛熟の花を咲かせて、枯れる前であったと思われます。

このあと、パリにも大衆社会が訪れるんでしょうけれども、これは、その直前の時代であって、一方では一平民にすぎないボードレールも、ダンディズムという形で最後のエリーティズムを発揮していたということでしょうか。

いろいろなことを考えさせると同時に、一つの時代というものがよくわかりますし、筆者が、ボードレールという詩人、および彼が生きた時代のパリにたいへんな愛着をもって、愉しくてしようがないという調子で書いている点をわたくしは買った次第です。

丸谷 ヴァレリーが「ボードレールの位置」という評論を書いたのが一九二四年なんですね。「ボードレールはいまや栄光の絶頂にあります」という有名な書き出しなんですが、とにかく一九二〇年代のボードレールは、圧倒的な人気だった。

河盛さんは一九二〇年代にパリに留学なさってます。つまり、ボードレールが文学的名声の絶頂にあった時代が、ご自分の文学的青春の中の最も華やかな、最も愉しい時期とぴったり一致するわけですね。ですから、ボードレールの時代というものが、ご自分の青春にとっての神話として輝きをもつことになる。そういう懐しい時代に対する憧れ、郷愁の色調を帯びていることが、この本の基本的な性格だと思いました。

実地踏査の情熱なんかすごいですよね。普通の日本人が行かないようなところへも行く。ボードレールが別にそう大したことをしたところでもない土地へ、いちいち克明に足を運ぶでしょう。いろんな本の探索のしかたも、ボードレールの関係書だけじゃなくて、同時代の風俗書、雑書に目を配って、考証として詳しい材料をたくさん並べている。しかもその配列のしかたが、読んでいてたいへんおもしろいんですね。

普通、文学の研究書っていうと、読むのに苦労するものですが、この本には、そういうところがちっともなくて、河盛さんが調べるのをおもしろがるのと同じように、こちらも存分に愉しんで読める。そういうところが非常に珍しい本だと思うんです。

要するに戦前の日本におけるフランス文学の研究態度の最良の部分が、こういう形で残っていて、それが非常に大がかりな形で示された、という感じがしました。

木村 ボードレールは耽美の世界を描いた詩人だといわれてますけど、ここではまさにそれとは裏腹の、中世から近代へと変革を始めた十九世紀半ばのパリが描かれているわけですね。オスマンによるパリ大改造がありますし、電信局が一八五一年からフランスではじまるとか、鉄道が敷かれるといった、産業革命に伴う近代化が急速に起こってきた。その意味では、世の中が活気に充ちてきた時代なんですね。フランスが、きわめて健康的というか、元気に溢れようとしているときに、耽美派のボードレールが現われているという違和感は、たいへん興味深いものがありました。

この中で、一八四二年頃、パリが暑くて、コレラがはやったと書いてありますね。最近の古気候学の研究でわかったことですが、ヨーロッパは十六世紀の半ばから十九世紀半ば前後まで寒くて、それから急に暑くなる。ドーミエなんか、セーヌ川にみんな裸になって飛びこんでいる絵を描いていますけれども、まさに気候の上でも大きな変化があった時代です。このような十九世紀の半ばの時代を、これほど具体的に描いた本は、歴史の専門書でもあまりないですね。

山崎 十九世紀の後半に入ってくると、ヨーロッパではいたるところで、何となく奇妙な不安とか、憂鬱とか、世紀末の苦しみ、という気分が広がってくるでしょう。それまでのヨーロッパの非常に堅固な階級制度から見ると、だいぶたががゆるんできて、メッテルニヒなどは古い体制を立て直そうと一所懸命努力するわけですけれども、結局、それは無理であって、いわば一種の大衆化現象が起こってくる。

その中で、みんながもっていた生活のスタイルとか、作法を失い、自分が何(なに)びとであるのかがだんだん曖昧になってきたため、妙に憂鬱な感情に包まれてくるんじゃないかと思うんですが。

木村 それはあるでしょうね。ボードレール自身、二月革命のときには新しく仕入れたピストルをクルクルまわして、一発撃ったとかいってはしゃいでいるわけですけど、だんだん自分が社会から浮きあがっていく、そういう感じもあったんじゃないでしょうか。先ほどおっしゃった、大衆的なものが出てきて、貴族的な、中世的なものがここで死にかかっているということがいえるでしょうね。十九世紀半ばのパリは、この本によりますと、一方で決闘や斬首による公開処刑という中世があり、そして他方で民主的・合理的な市民社会をつくろうとする状況があるという、きわめて不安定な状況だったようです。

丸谷 「ダンディ」のいちばん簡単な定義は、“服装に凝る男”なんですね。それをもう少し延長していうと、外的なものに熱心であって内的なものを軽蔑する男、ということになる。しかしボードレールの軽視した内的なものというのは、在来の価値であったところの内的なものなんですね。たとえば昔ふうの道徳とか、礼儀作法とか、そういうものを非常に軽蔑した。しかもその軽蔑が、服装その他の外的なものに、非常にくっきりと出るような生活様式を選んだ。それがボードレールのダンディズムだろうと思うんですよ。

ですからダンディってものは、その時代の人間にとってみれば、非常に嫌味なものであったろうし、また、それでなければ意味がないわけですね。ところが河盛さんのこの本で扱われているボードレールは、そのいやな感じがあんまり出てませんね。むしろ、もっとつきあい易い、よき隣人という面が、非常に強調されている。

もちろん、ボードレールにはそういう面もあったと思いますよ。でも、ただ単に詩や評論の上だけでキザだったんじゃなくて、生活の面ではもっとキザでいやな奴だったろうと思うんですよ。その点どうも、ボードレールが、少し河盛好蔵という人に近づけられているような気がするなあ(笑)。

木村 ボードレールは徹頭徹尾パリにいたわけでしょう。都会に淫したというか、都会しか知らないところがあるように思うんです。都会をちょっと出てベルギーなんかに行くと、とたんに蒼ざめちゃって、「私がこのベルギー旅行からえたものは、結局、およそ地上で最も愚かな国民を知ったことである」なんて書いてるわけですね。リヨンにいたときも、ボンボンの店とか、いろんな文房具を売っているジルーという店、豊富な廉売百貨店(バザール)が恋しくてなりません、と書いている。その意味では、徹頭徹尾都会っ子なんで、都会っ子すぎてその当時の人々の時風に合わなかった。彼がアカデミーに応募しても結局ダメだった理由は、それだと思うんですね。

もう一つ、お母さんに対する愛情が非常に強かったようですね。お母さん子で、都会っ子という意味ではいまの若い人たちとたいへんよく似ている。

山崎 この時期は、日本の戦後にかなりよく似ているんですね。ナポレオン戦争が終わって、英雄がいなくなる。そのあと、明らかにニセモノが出てくるわけです。ナポレオン三世がウージェニーという娘を皇后にするときに、みずから、自分はニセモノであると宣言しているわけです。その上で彼は、宮廷を一つの演劇として絢爛たる王朝風につくりあげる。一方、ダンディズムもまた一種のファッションにすぎないことがわかりきっている。

ですから、そういう時代の底に流れる気分は憂鬱であるほかないと思うんですよ。一方で産業がどんどん成長し、都市は大改造が行なわれ、近代化が進み大衆化が進むというのは、まさに日本の六〇年代の風潮なんですね。その六〇年代に、われわれは盛んに不快指数ということをいっていたわけですから。

木村 ボードレールは中世への郷愁があるんじゃないでしょうか。

彼は幼いころ住んでいた、オデオン付近のサン・タンドレ・デ・ザールのあたりをいつまでも懐しんでいますが、あそこはいまでも中世の面影がよく残っているところです。彼は、あるいは近代人じゃないのかもしれませんね。むしろ中世的なものを多分に漂わせている、そういう古いものへの憧れがあったようにも思いますね。ですから先ほど丸谷さんがおっしゃったように、むしろ一九二〇年代に第二次産業革命が終わって、人々が倦怠になり出したころ、ボードレールは人々の心に、ぴったり合ったんでしょうね。

丸谷 ボードレールを論ずる場合に、いちばん大事なことは、彼が生前は、ほとんど無名に近い存在だったということです。わたしたちは、『悪の華』が発禁になったというような話をきいて、野坂昭如くらいの名声があったろうと考えてしまいますけれども(笑)、当時のフランス人でボードレールの名前を知ってる人なんて、本当に数えるほどしかいなかったろうと思うんですよ。

そういう意味で、彼は非常に伝記の書きにくい文学者ですよね。それをこれだけ探求するんだから、河盛さんの考証ぶりはすごいと思う。

木村 ボードレールの作品そのものを読んだときの感じと、ここに書かれているオスマンとか、電信局とか、こういう新しいパリとのギャップは非常に大きいですね。河盛さんが作品論をここでおやりにならなかった意味が、わかるような気がします。

丸谷 しかし、作品論は作品論、評伝は評伝という、二分法で書いているという感じが、ぼくはしましたけどね。評伝の底にあるものとしては、ボードレールの作品に対する愛着が、やはり、この伝記作者に物を書かせる原動力になっているということが非常によくわかる。

山崎 ボードレールにとっては、友だちが異様に大切であって、友だちの世界の中で、すべての価値判断の基礎をつくってしまう。生活力がなくて、母親に甘えている。都市についても、その中で生活の愉しみだけは享受しながらも、つねに憂鬱の側面しか詠(うた)わない。強い敵を倒して、自分がそのあとに立つんだという感覚が生活の中にもなかった人ですね。父親を葬って自分が父親になるんだ、という感覚をついぞもてなかった。そういう意味では、ヨーロッパの運命そのものの象徴なんでしょうね。

木村 ホイジンガがこういってるんです。南北戦争からあとはドラマチックじゃない。なぜかというと、貴族的な精神が失われたから、と。それは男性的精神が失われたことで、まさにそういう時代にヨーロッパは入りつつあったということでしょうね。

山崎 永井荷風は、どのくらいボードレールについて知っていたのか、わからないんですけれども、よく似てますね。永井荷風はまず母親っ子でしょう。滅びゆく江戸を愛して、新しく開拓される東京を憎み、そしてまともな女性を相手にできなくて、つねに花柳界の女性と結ばれる。何か心理的に繋がっているような気がしますね。

ただ、ひとつ違うのは、永井荷風は、友人ももち得なかった人で、特に、文学的友人は一人として持ち得なかった。文学的友人をもちはじめるのは「白樺」の連中からですよね。どうも友人仲間というものに、人生の高い価値を置くようになるのはロマンチシズムの特色らしいですけど、永井荷風の場合は、友人をそんなに買ってませんね。特異な友人というか、家来みたいな人がいるだけでしょう。

丸谷 あれはやはり、古い型の硯友(けんゆう)社的な文壇が撲滅されてしまって、そのあとに自然主義、白樺、その他を中心とする大正文壇ができあがった。その文壇は、荷風を別格に置いた形でできあがったでしょう。ですから入ることができなくて、それであんなふうになったという面もあると思いますね。

木村 ボードレールの場合は、友人が絶対必要だったんですよ、お金を借りなくちゃいけなかったんですからね(笑)。

丸谷 なるほど、荷風は自分でもっていましたからね。これはいい答えですね。

パリの憂愁―ボードレールとその時代 / 河盛 好蔵
パリの憂愁―ボードレールとその時代
  • 著者:河盛 好蔵
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:単行本(483ページ)
  • ISBN-10:4309006809
  • ISBN-13:978-4309006802
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パリの詩人ボードレールの生涯を軽妙な筆致でつづった、本邦初の本格的ボードレール伝。大仏次郎賞受賞。

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【この対談・鼎談が収録されている書籍】
鼎談書評  / 丸谷才一,木村尚三郎,山崎正和
鼎談書評
  • 著者:丸谷才一,木村尚三郎,山崎正和
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:-(326ページ)
  • 発売日:1979-09-00

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初出メディア

文藝春秋

文藝春秋 1979年1月8日

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