作家論/作家紹介

卓越した問題集に解答はない――高山宏考

  • 2017/07/10
高山さんとは同じ年に東大教養学部に在籍していたはずなのだが、クラスがちがっていたので、顔を合わせたことはない。ただ、本郷に進学したときには、彼の噂はこちらの耳に届いていた。友人が英文科の授業に出席したところ、一人だけえらく学識豊かな学生がいて、教師よりもずっと多くのことを知っているので、ほとんど授業にならなかったとか、仏文科の我々よりもはるかにフランス語のできる英文科の学生がいるとかいうものだったが、あとからその学生の風貌を照合してみると、これがどうも、高山宏(以下、敬称略)以外にはありえないのだ。やはり、学生時代から、高山宏は伝説中の人物だったようだ。

ところで、高山宏は、猛烈な読書家であるとか、たいへんな物知りであるといわれているが、これは誉め言葉にしてはあまり的を射ていない。というのも、読書家や物知りというのは、あくまで「量」を誇る人間に適用される言葉だが、高山宏にとって、こうした教養主義的な知識の線的蓄積ほど無縁なものはないからである。高山宏にとって重要なのは、一の価値しかもたない百冊の本ではなく、百の価値をもつ一冊の本である。より正確には、一見して一の価値しかもたないかに見える本から百の価値を引き出すことである。ただ、この価値の引き出し作業は、本が一冊しかない場合は機能しない。反対に、本の冊数が多ければ、多いほど容易になる。なぜなら、本の中に眠っていた潜在的価値が、本同士が相互に照合しあうことによって、顕在的な価値に変身するからである。この点については、たったいま到着したばかりの『私の「本」の整理術』というリテレール・ブックスの中で高山宏はこう書いている。

本はもう十冊も集まれば相互に豊かな連環を生じ、まさしく世界そのものと同じ複雑千万な有機的な発生体となる

これは、高山宏が東大の教養学部図書館の助手だった時代に、たった一人で、コンピュータの助けも借りずにカードだけで企てた、五万何千冊の架蔵書のクロス・レファランス作りという世紀の快(怪)挙の動機について語ったものだが、彼の本質はあげてここにあると断言してもかまわない。つまり、高山宏というのは、あらゆる本をクロス・レファランシャルなテクスト(織り物)の中に呑み込んで、そこから、「豊かな連環」を生み出してゆく、「世界そのものと同じ複雑千万な有機的な発生体」の別名なのである。洋書の読書量や累積知識の多い人間は、高山宏のほかにいくらでもいるかもしれないが、この独特なテクストの縫り糸の作り方を知っているのは彼しかいない。あるいは、クロス・レファランシャルな新たな「キー」を設定できる知的な感性をもった学者は彼だけだといいかえてもいい。この点が、知識の輸入代理店にすぎなかった従来の外国文学者と高山宏がまったく異なる点であり、同時に筆者がどうあがいてもかなわないと思う所以である。

高山宏は、ホッケやフランセス・イエイツやサイファーの名をしばしば引用するが、彼が重視しているのは、じつは博引旁証のこうした碵学が導きだす「結論」ではなく、彼らが設定する「問い」の新しさである。高山宏にとって、論証と結論がいくら見事でも、問題設定が陳腐なら、その著作はまったく意味をもっていないのだ。本の価値も、その本から、どれだけ「キー」が引き出せるかによって決まる。

これは、彼自身の本についてもいえる。つまり、高山宏の本の場合、そこから引き出すべきは、新たな「連環」によって彼が提出した「問い」である。その「問い」をどの程度自分の問題意識に引き付けることができるか、それは読者の力量次第であり、解答を出すか否かの判断は読者にまかされている。

世の中には、「解答集」と称する凡庸な本が満ち溢れており、読者も安易な解答を求めてそれらの本にすがりたがる。だが、斬新な問題を満載した「問題集」というものはめったにない。「解答集」のほうが、「問題集」より作るのが簡単だからだ。しかし、真に優れた一冊の「問題集」は、百冊の凡庸な「解答集」に勝る。

高山宏の本は、どれも、現代の日本には珍しいこうした卓越した「問題集」である。ただ、去年から今年にかけてひとつ困ったことが起きている。というのも、こうした高山「問題集」が一年に十冊も出版されることである。これではまるで、読者は課題をどっさり与えられた学生ではないか。先生、すこしはレポート提出期限を遅らせてくれませんか。お願いします。

そう思っているうちに、またもう一冊、新しい問題集『終末のオルガノン』(作品社)が届いた。その腰巻にいわく「ノイズをテクストに変えていく「アリアドネー」の誘惑に耐えよう。「出口」への誘惑に」とある。やはり、高山「問題集」は解答は出してはいけないというのが「正解」だったのである。

【この作家論/作家紹介が収録されている書籍】
ブック・カーニヴァル / 高山 宏
ブック・カーニヴァル
  • 著者:高山 宏
  • 出版社:自由國民社
  • 装丁:単行本(1198ページ)
  • 発売日:1995-06-00
  • ISBN-10:4426678005
  • ISBN-13:978-4426678005
内容紹介:
とにかく誰かの本を読み、書評を書き続け、それがさらに新たなる本や人との出会いを生む…。「字」と「知」のばけもの、タカヤマが贈る前代未聞、厖大無比の書評集。荒俣宏、安原顕ら101名の寄稿も収載した、「叡知」論集。

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