コラム

言葉のマタンゴ――高山宏考

  • 2017/08/08
なんて凄い奴がいるんだろう――高山宏が『アリス狩り』で颯爽と登場したとき、正直そういう気がした。しかも私と同年代。大学も一緒なのだが、まったく記憶にない。もちろん未曾有の混乱期で、ろくすっぽ授業も行なわれていなかったし、私も出向きもしなかったから、出会う確率も小さかったのだが、それでもその後モノカキになった連中はたいていどこかで目にしている。ただひとりの例外が高山宏なのである。その後知ったのだが、私の高校時代の一学年後輩でドイツ文学の、というよりむしろ稀代のモーツァルティアンの田辺秀樹と一緒に駒場で助手をしていたらしい。それでいちおう納得がいった。駒場は、いったん出てしまうと、いっさい寄りつかなかった場所だからである。それにしても在学中まったく知らなかったというのも珍しい。

『アリス狩り』以降の氏の活躍ぶりについては、ことあらためて私が縷説するには及ぶまい。「重戦車のような」(これは氏自身の形容である)本を次から次へと送り出すそのパワーには、ただただ舌を巻くほかはなかった。さらに感心したのは、翻訳である。ありな書房や国書刊行会などから出る翻訳書に、私などはどれだけ恩恵を受けたか知れない。海外の情報を網羅し、翻訳の企画を立て、それを実行し、そしてみずから「重戦車」を駆り立てる。氏は「知」の総合商社のようなことをひとりでやってのけているのだ。

その氏がまぎれもなく切り開いたといっていい視覚文化諭ピクチャレスク論と私自身の仕事がどこかで接点をもつだろうことは、私もうすうす予感していた、仕事量に圧倒的な違いがあるものの、私も「視」にことのほかこだわっていたからである。そんなとき氏から突然電話があった。バルトルシャイティスの『鏡』の翻訳の件だったと思う。以来、ときどき顔を合わせ、そしてなによりも電話で話すことが多くなった。一緒に仕事をさせてもらう場面も増えた。ずいぶん気を遣ってくれているように思う。私も仕事にイヤ気がさすとき、ついなまけそうになるとき、高山宏の存在を思い浮かべるようになった。ああ、彼もいま頑張っているのだろう、俺も頑張らなくっちゃ……。なによりも共通の読書体験がある。世代論はあまり好きではないが、一九六〇年代末から七○年代初めを大学で送った者には、なにかいわくいいがたい臭(にお)いのようなものがある。ターニング・ポイントは、もちろん昭和四十五年、一九七○年だが、このあたりのことについてはまた稿を改めなければならない。

鏡 バルトルシャイティス著作集(4) / ユルギス バルトルシャイティス
鏡 バルトルシャイティス著作集(4)
  • 著者:ユルギス バルトルシャイティス
  • 出版社:国書刊行会
  • 装丁:単行本(519ページ)
  • ISBN:4336031401

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しかし高山宏について書くというのは、なにか空しい矛盾した行為のようにも思える。なぜなら氏自身が自分について書く文章のほうが、よっぽどおもしろいからだ。そのおもしろさは、最近とみに増している。万引き少年で、盗んだ本が屋根裏からドドッと落ちてきた話とか、タイプの打ちすぎで白蝋病になり、片眼が失明したとか、新宿ゴールデン街で流しをしていたとか、大学時代にブラジャーをつけていたとか、最近では肉腫に冒され入院するとか、常軌を逸した話が次々に繰り出されるのだ。これには文字からだけでなく耳から入ってくる話もあるのだが、実はその大半はまた聞きである。どういうわけか私の留守中に電話がかかってくることが多く、私の同居人を相手に二時間くらいはお喋りを楽しむ(?)ので、私には情報が間接的に入ってくるのである。私の場合は、電話でせいぜい五分から十五分くらい。私は、たしかにそっけない奴なのである。そういうわけで、高山宏の個人像は、読んだり聞いたりした言葉で、それも尋常ではない言葉で膨れ上がってきている。知の商人というのも、最近の氏自身の自己定義である。いや、知のチンドン屋というのさえある。根っからのサーヴィス精神なのだろう。楽しませてくれる。呆れさせてもくれるのだけれど。

力があまって、それが過剰な言葉となって噴出しているようだ。そうした言葉が蝟集し集積し増殖して、マタンゴみたいな高山像ができつつある。「マタンゴ」を御存知だろうか、本多猪四郎監督の一九六三年の東宝映画。私は日本の怪奇映画のなかで一、二を争うものと思っている。ヨットが遭難して孤島に漂着した数人の男女が、島のきのこを食べているうちに、身体中からきのこが無数に生えてきて、みずからも巨大なきのこのお化け、つまりマタンゴになってしまうという話。高山宏は言葉のマタンゴである。この拙文が収められた本書も、またひとつのマタンゴかもしれない。氏白身の言葉のみならず氏が強引に惹き寄せたきのこたちによって、どんな異様な姿をとることだろう、前代未聞の怪物じみた姿になることは間違いない。

かつて三島由紀夫は澁澤龍彦を評してこう言ったことがある。もとより私と氏を二人に重ね合わせているわけではないけれども、あえてその言葉を「その博識には手がつけられない」高山宏に捧げたい。「この人がいなかったら、日本はどんなに淋しい国になるだろう。」

【このコラムが収録されている書籍】
ブック・カーニヴァル / 高山 宏
ブック・カーニヴァル
  • 著者:高山 宏
  • 出版社:自由國民社
  • 装丁:単行本(1198ページ)
  • ISBN:4426678005

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