コラム

ぼくの「大学」は、欧米の書評誌だった

  • 2017/07/05

「書物検索ノート(ビブリオ・マシーン)」は高山宏の生命線

書評とのつき合いは長く、そして決定的なもののように思う。

青雲の志を抱いて上京しながら大学紛争とその余波を受けてしまい、本の読み方もろくに知らないまま放りだされた。それがなんとなく外国語研究室の助手ということで大学図書室に勤めた二年で自分が一変した。書評誌紙のお蔭である。一九七○年代後半。これだけは、掛値なしにナツカシイなあ!

うまれて初めて見る厖大な本の山は、しかし何のシステムもないただの紙きれの貯蔵庫だった。本たちをたえず棚から棚へ移し換えながら、ほくは何万冊もの洋書のシステム化を開始した。そのことは前に一、二度書いたことがある。年間一千万を越える書籍費の消化も助手が行なった。教官たちは良い本は自分で買い、どちらかと言えばつまらない、しかも高い本を公けの図書館で買わせようとする人が多かったから、日に日にわが図書館を愛するようになりつつあったぼくは、いらいらし始めた。

一方、助手の仕事にこれまたどんどんふえ続ける厖大な洋雑誌の購入と整理の業務があって、暇な折りにパラパラめくって、たまたま気に入った記事があったりしたのを契機に、いくつかの雑誌のとりこになってしまった。なにしろモタモタしてる単行本文化に比べて時代の関心をリアル・タイムに反映していく雑誌の爽快なスピードにすっかりいかれてしまったし、決定的なのは各誌の書評欄であった。一九六○年代後半からの十年間というのは各分野での旧套一掃と新しいアプローチへの模索が輻輳した仲々ホットな十年で、特にフーコーやデリダのフランスで盛り上がった議論をアメリカの若い研究者たちが英語圏に移植しようとして雑誌文化と連携しつつある時期だった。訳語もろくに決らない生硬な英語ながら猛烈な勢いで新時代の息吹を翻訳し、紹介していた。自分はつくづく良いタイミングで勉強を始められたものと感謝している。特に『モダン・ランゲージ・ノーツ(MLN)』『コンパラティヴ・リテラチャー(CL)』など、ほとんど書評誌と言ってよいほどのスペースを最新刊の評に割いた雑誌を助手室でむさぼり読んだ。年に五巻出る『MLN』の最後の二巻(「フランス文学」号と「比較文学」号)は今でもこれ以上ないハイ・レべルの書評だと、お勧めできる。

ある限りのバックナンバーもどんどん遡って読み続けた。大御所も新鋭も含めて、だれがどこの分野の人で、だれとだれが仲間でだれがだれの論敵らしいとか……、世界の学界や出版界の人脈といったものがうっすらと見え始めた。

そうなると妙なもので、秘かに同じような目で世界を見ていた由良君美氏の部屋にいることが多くなった。深夜の研究所で由良氏と飲みかつ語るきっかけはロザリー・コーリーがヨハン・ホイジンハの『ホモ・ルーデンス』について記したすばらしい書評だったり、とにかく最新誌掲載の最新の書評だった。「絶対的に新奇なものを」という気概に殉じたすばらしい知的前衛の人だったと思う。のちに会った篠田一士氏もそうだった。書評文化を溺愛する人のみが「展望」を得るのだ。今どき、「前衛」が少し語学オンチで、カビくさかないかい。

書評がいっばい読め、(公費にしろ)買いたいものはともかくも買えたわけで、よくつまらないと言われる助手の二年間が、つまりは実質「ぼくの大学」だった。洋書店丸善で企画選書にかかわっている今は、それを少し商売のからんだ実践の場に移しただけ、という気もする。自分がこれはと思う本を全て残らず公けのカタログに載せるんじゃ手のうちをあかしてするカード手品みたいじゃないかと言ってくれる人もいるが、受けた恩をどこかのどなたのために返しているというさっぱりしたすがすがしい気持ちでやっている。創刊号分からカードにとった『MLN』と『CL』の書評一覧のリストは、書評者名、書名などいろいろ引けるように工夫を重ねつつ、今現在もどんどんふえ続けている。あるまとまりが付いたものは、それらひとまとまりをそのまま今度はノートに転載していく。勝手にビブリオ・マシーンと呼んでいるこのノートが五十センチ厚を越した。現物をたくさん読むことが難しい今の立場で、この黄ばんだカード、黄ばんだノートが、ほとんど唯一の情報源。高山宏の生命線と言ったっていいと思う。

もっとも、然るべくやって来る年齢というのは面白いもので、四十路に入ると「網羅」の情熱はてき面に色あせていき、それにつられてこちらのカードやノート化の精度もぐんと落ちてきた。残念なことだが、老いるというのはそういうことなのだろう。
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リテレール(終刊)

リテレール(終刊) 1992年夏

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