書評

『新人文感覚1 風神の袋』(羽鳥書店)

  • 2019/10/08
新人文感覚1 風神の袋  / 高山 宏
新人文感覚1 風神の袋
  • 著者:高山 宏
  • 出版社:羽鳥書店
  • 装丁:単行本(904ページ)
  • 発売日:2011-08-10
  • ISBN-10:4904702271
  • ISBN-13:978-4904702277
内容紹介:
18世紀、「歩く」「見る」ことから一挙に花開いていった、百科総覧による視覚文化の横溢を、洋の東西を問わず、絢爛豪華に論述。

巨大な知と視覚的快楽の迷宮を渉猟する

第一巻がほぼ九百ページ、第二巻が千ページもある途方もない規模の本だ。気軽に寝っ転がって読んだり、散歩に携えたりするためには(本来そういう読み方にふさわしい、軽やかな道化的知の戯れに満ちているのだが)、重すぎる。物理的な大きさだけの問題ではない。博覧強記の「学魔」として名高い著者の本だけに、膨大な内容が古今東西あまりに多岐にわたっているので、めまいがするほどだ。

高山氏は、英文学を出発点としながらも、主として西洋における文学と視覚文化の接点に身を置き、万巻の洋書を片っ端から読んで、余人の追随を許さない知の網の目を構築し、すでに数え切れないほどの著書と訳書を上梓(じょうし)してきた。それなのに、主としてこの十五年くらいの間に、書きためた単行本未収録の文章を集めたら、またこんなに厚い本になってしまったのである。

だから、そう簡単に要約も紹介もできないのだが、全体を貫く「高山学」のエッセンスは、むしろ一見雑多なものを絡み合わせた見通しもつかない迷路の中でこそ、導きの糸のようにくっきりと浮かび上がってくる。キーワードはおそらく三つに尽きるのではないか。すなわち、「ピクチャレスク」、「マニエリスム」、そして「結合術」。

「ピクチャレスク」とは「絵のような」という意味だが、狭い意味の美術史用語としては、十八世紀後半イギリスに始まる風景などの絵画的美を表す概念である。それを高山氏は十八世紀以降、三百年にわたる近代の文化全体を覆う「視覚的快楽」へと拡張し、その視点から洋の東西を越えてポー、泉鏡花、ブロンテ姉妹、シェイクスピアといった文学的素材だけでなく、様々な文化的事象を読み解いていく。かくして話題は、顔、かつら、廃墟、庭園、百貨店、商標、鯨に及ぶ。漫画やポルノも射程に入るのは、もちろんのこと。アカデミックな文学研究者が従来、文字ばかりを追い、挿絵や視覚的要素を「二次的」なおまけとして扱う傾向が強かったとすれば、高山学はそれを根底からひっくり返した。高山氏の出発点の一つに、近代的知の構造を明らかにしたフランスの哲学者、フーコーの『言葉と物』があったが、高山氏はフーコーに決定的に欠けていたのは<視>の主題であると断言し、自分の道を突き進んだ。

「マニエリスム」もまた元来、狭い意味では美術史用語だが、高山氏のもう一つの原点となるドイツの文芸学者、ホッケが熱く説いたように、もっと広く近代文化全体の底流をなすものだった。それは奇想、迷路、謎に満ちた、変則的で不調和なものの美学である。高山氏ほどこの概念を強力な武器として使って近代文学を読み解いた論客はないだろう。

そして、結合術。「異質観念の暴力的野合」こそはマニエリスムの骨法だと高山氏は言うが、これこそは彼の著作の根幹をなす手法と言ってもいい。驚くべき博学があらゆるものをあらゆるものと結びつけ、それまで予期もしなかった新しい光景が開けてくる。坂口安吾とバフチン、平賀源内と夏目漱石、どたばた喜劇と自動車、クマのプーさんと戦争。

このような高山学の集大成を見渡して、改めて思うのは、そこにしばしば言及される先行者や同時代人たち――澁澤龍〓、種村季弘、由良君美、山口昌男、松岡正剛、荒俣宏など――とともに見事な知の星座をなしているということだ。高山氏の著作自体が、巨大な知の迷宮、いや汲めども尽きぬ宝物を蒐集(しゅうしゅう)した「驚異の部屋」のようなもので、読者はいったんそこに迷いこんだが最後、なかなか抜け出せなくなることだろう。しかし、ある種の知的爽快さが感じられるのは、その世界が閉ざされた空間ではなく、必ずどこかと、誰かとつながっているという感覚を与えてくれるからではないか。

高山氏の知は、次から次へと面白いものを見つけては素直にその魅力にのめりこんでいく「渉猟」型の知である。自分の内面にこだわり、自己表現だけに心血を注ぐといった、文学者にありがちなタイプではない。そのせいなのか、文章はときにかなり乱暴なこともあり、あまりの博識の威勢のよさに文体的洗練がついていけない、といった風だ。また日本の大学やアカデミズムの現状に対しても攻撃的で胸のすくような批判の言葉を平気で吐き(第一巻末の首都大学東京批判は、大学関係者必読である)、自分の私生活まで(愛人と出奔したことまで!)平然と書いてしまう。その全部をひっくるめて、高山宏の魅力と言うしかない。

読み通すことは難しい本だが、どこからどう入っても知的興奮を味わうことができる。大いなる<眼の快楽>を読者に与えてくれる無数の図版をあしらい、丁寧な索引を添えて(索引こそはこの「知の百科」にとって命である)このように巨大な本を作るのは、並大抵の仕事ではない。その意味では、この本の陰の立て役者は編集者ではないか。その功績も大いに称えられるべきだろう。

※第二巻『新人文感覚2 雷神の撥(ばち)』
新人文感覚2 雷神の撥  / 高山 宏
新人文感覚2 雷神の撥
  • 著者:高山 宏
  • 出版社:羽鳥書店
  • 装丁:単行本(1008ページ)
  • 発売日:2011-11-22
  • ISBN-10:4904702298
  • ISBN-13:978-4904702291
内容紹介:
フィギュラリズム、マンガ、笑い、マニエリスムの歴史と表象を闊歩する!「風神」「雷神」が出揃い、いよいよ怒濤の完結。

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新人文感覚1 風神の袋  / 高山 宏
新人文感覚1 風神の袋
  • 著者:高山 宏
  • 出版社:羽鳥書店
  • 装丁:単行本(904ページ)
  • 発売日:2011-08-10
  • ISBN-10:4904702271
  • ISBN-13:978-4904702277
内容紹介:
18世紀、「歩く」「見る」ことから一挙に花開いていった、百科総覧による視覚文化の横溢を、洋の東西を問わず、絢爛豪華に論述。

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2012年1月22日

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