作家論/作家紹介

片岡 義男『ジャックはここで飲んでいる』(文藝春秋)、片岡 義男『と、彼女は言った』(講談社)

  • 2020/07/31

人生は、自分の外側にある

片岡義男の活躍がめざましい。小説・エッセイを含めて年に三、四冊は出ている。七十代後半にして、バッターボックスで飛んでくる球を次々とかっ飛ばすような書きっぷり。呻吟(しんぎん)する小説家のイメージとも、純文学かエンタメかという区分とも無縁な独立峰である。

二冊あわせて十五の短篇が入っている。具体的な事象が抽象思考に飛躍するさま、書き手の疑問を作中に紛れこませて筋として成立させるところ、会話の妙、女性のかっこよさなど、共通する点は多いが、ここで取り上げたいのは道行きだ。どの作品にも町と道順がよく登場し、たどり着いた先には「人」がいる。線路際の木造アパートで仕事する漫画家、十五年前に取材して記事を書いた相手の元ダンサー、バーカウンターで颯爽(さっそう)と立ち働く女性……。

読者はことばの説明を追いながら、風景や情景を頭の中で立ち上げ、出会いを準備していく。現実の町を歩くような能動性が求められるのだ。

片岡の読者になれるかどうかの分かれ目はここだろう。人の心の内側を正視するのが小説だと考える人はたぶんノレない。登場人物の内面には立ち入らないし、悩みや苦しみに寄りそったり、慰撫(いぶ)したりもしない。対象との距離は一定で、およそ癒やしとはほど遠い文体なのだ。

『ジャックはここで飲んでいる』のなかの「ゆくゆくは幸せに暮らす」で先輩作家は言う。「……人生は、じつは自分の外にある。人生もなにもかも、すべて自分の内側にある、と思っている人がじつに多い。したがって、うまくいかない人生が、じつに多い」「人生が自分の内側にあると思うな」

つまり、人生とは「関係の作りかたとその維持のしかた」にほかならず、自分を外から観察しようとする意志と行動によってのみ、新たな局面が訪れる。

そうした能動性が典型的に現れるのは、『と、彼女は言った』のなかの「ユー・アンド・ミー・ソング」に登場する小説内小説だろう。外界が認識され、自己の外に世界が広がっていくさまが象徴的に描かれる。

主人公は、瀬戸内の島に移住した画家に会いに来た編集者。画家と食事の後、ペンライトを頼りに夜道を歩いて用意された空き家にたどり着き、暗いなかで持参のウイスキーを飲む、とそれだけの話だが、周囲に意識を集中しながら暗闇に歩を進めるときの、表皮の震えに目を凝らす描写が力強い。

自分の外に出よ!という静かな励ましがここにある。これはとりもなおさず片岡自身の生き方のスタイルなのであり、そこに感応する若い層へと、新しい読者が広がりつつある。

ジャックはここで飲んでいる / 義男, 片岡
ジャックはここで飲んでいる
  • 著者:義男, 片岡
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:単行本(263ページ)
  • 発売日:2016-05-09
  • ISBN-10:4163904506
  • ISBN-13:978-4163904504
内容紹介:
洒脱な文章、洗練された会話、万華鏡のように混ざり合う虚構と現実……。六つの短篇と書下ろし二篇からなる、スタイリッシュな世界。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

と、彼女は言った / 片岡 義男
と、彼女は言った
  • 著者:片岡 義男
  • 出版社:講談社
  • 装丁:単行本(274ページ)
  • 発売日:2016-04-21
  • ISBN-10:406219970X
  • ISBN-13:978-4062199704
内容紹介:
7人の作家を主人公に描く、「最高の小説」のつくりかた。男と女の出会いから、人生のきらめく一瞬を鮮やかにとらえる魅惑の7編

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

  • 週に1度お届けする書評ダイジェスト!
  • 「新しい書評のあり方」を探すALL REVIEWSのファンクラブ

初出メディア

朝日新聞

朝日新聞 2016年06月26日

朝日新聞デジタルは朝日新聞のニュースサイトです。政治、経済、社会、国際、スポーツ、カルチャー、サイエンスなどの速報ニュースに加え、教育、医療、環境、ファッション、車などの話題や写真も。2012年にアサヒ・コムからブランド名を変更しました。

関連記事
ページトップへ