対談・鼎談

ジリー・クーパー『クラース―イギリス人の階級』(サンケイ出版)

  • 2023/05/11
クラース―イギリス人の階級 / ジリー・クーパー
クラース―イギリス人の階級
  • 著者:ジリー・クーパー
  • 翻訳:渡部 昇一
  • 出版社:サンケイ出版
  • 装丁:単行本(470ページ)
  • 発売日:1984-04-01
  • ISBN-10:4383023142
  • ISBN-13:978-4383023146

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丸谷 よく知られているようにイギリスは階級の枠組が非常にきつい国でして、ひょっとしてマルクスはこういう国に亡命したため、階級にうんと力点をかけるああいう史観を考え出したのかもしれない、(笑)という気がするくらいです。たとえば、保守党内閣も労働党のシャドウ・キャビネットも、構成メンバーはみな、上流か中流上層の人間で、どちらも出身大学はみなオクスフォードとかケンブリッジで、そして、これが大事なのですが、所属するクラブがみな同じである、なんて言われています。つまり、イギリスはいまでも貴族支配の国なんですね。日本のような無階級社会では、とても考えられないことです。

このイギリスの階級制度というのは、社会批評、つまり社会風俗について書かれるユーモラスな文学の好題材でした。小説の場合には、もちろんそうですが、ナンシー・ミットフォードという女流作家が第二次大戦後に書いた『ノウブレス・オブリージ(高い身分には義務が伴う)』というエッセイなどは、その典型で、これは各階級の言葉づかいの研究なんですが、それにはこんなことが書いてありました。

U(=upper class 上流)と、NON(ノン)-U(非上流)の二分法になっているのですが、それによると、野菜のことをUはヴェジタブルズ、ノンUはグリーンズ、電報のことをUはテレグラム、ノンUはワイヤーという。ノンUが「パードゥン?」というのは、第一に相手の言ったことを聞き返す時、第二に廊下で誰かにぶつかったりして詫びる時、第三にしゃっくりやゲップをした時なんですが、こういう場合にUはどう言うかというと、問い返すときは「ホワット?」、詫びる時は「ソーリー」、しゃっくりやゲップをした時には、何も言わない。(笑)

ミットフォードは二つに分けたのですが、この本の著書、これも女の人ですが、ジリー・クーパーは「貴族」「中流上層」「中流中層」「中流下層」(この訳本では「上層・中流」「中層・中流」「下流・中流」となっていますが、こちらのほうがわかりやすいでしょう)、そして「労働者(ワーキング)」階級の五つにわけ、さらに成金の百万長者などといった別格を置いています。彼女は労働者階級についてこう言っています。

十六歳で学校を去っているために、胸の中をうまく口でいい表わせないから無力感が先立つ。(自己を表現できないため)中流階級の目には、ただ「まったくの話、胸くそが悪くなるぜ」と言って反対意見を言うだけの、ひどくつむじまがりの怠け者に見えるのである。
労働者階級をその中でランキング付けをすると、「粗野な人間」と「上品な人間」の二つにさらに峻別(しゅんべつ)できる。「粗野な人間」は、しょっちゅう大酒を飲み、夜な夜な大騒ぎをし、ひんぱんに女を買い、おおぜいで喧嘩をし、子供を放任し、子供や女性の面前でばり雑言を弄し、また何ごともちゃらんぽらんなあたりは、まるで上流階級といささかも変わらない。

上流階級と労働者階級とは特徴が似てまして、〈たとえば、強情、外国人嫌い、世論への無関心、競馬やギャンブルへの情熱、率直な話し方と簡単であまり手を加えない料理が好きなこと、など〉非常に共通点がある。その理由は〈過去二百年間、支配階級では、その子弟の養育はおよそすべて労働者階級出の乳母にまかせ、親としての責任は完全に放棄してた〉、それで、こうなったというんですね。

ジリー・クーパーはこんな調子で、イギリス人が階級によってどんなに違うかを、教育、職業、性生活、衣食住、芸術、娯楽、スポーツ、犬……つまり人生のあらゆる細目について論じ続けます。

たとえば、犬について。上流階級は犬を可愛がる。彼らの家の庭には、日陰の静かな一劃に、小さな十字架が沢山並んでいる。これは犬の墓なんですね。上流の好む犬は、ラブラドル犬、ジャック・ラッセルズ犬(小型のテリア)などという、それを先に立ててハンティングをするための犬です。キング・チャールズ・スパニエル、ペキニーズ、ダックスフントなども好きです。犬の食事は一日一回。

ところが中流上層になると、貴族よりももっと犬に夢中になる。これは犬を沢山飼わないので、愛情が分散しないためだというんですが、ダルマシアン、イングリッシュ・セッター、ケアン・テリアなどを好む。

中流中層では、エアデル・テリア、毛のもしゃもしゃしたテリア、グレート・デンなどが好まれる。中流下層は、毛が落ちないからという理由で、ドーベルマンとボクサーが好きである。労働者階級は犬なら何でも好きだけれども特にウェスト・ハイランド犬。番犬として優秀だからという理由です。
なお上流階級は雑種を認めないし、コンテストに出したりするのは非常に品のないこととされている。上流階級は、猫は犬ほどは可愛がらない。せいぜいネズミ退治のために馬小屋で飼う程度である。

では、彼らの結婚式はどう違うか。

上流階級は田舎にある自分の家の教会で結婚式をあげる。新婦は母親の着た花嫁衣裳を着る。花嫁の手にする花束は白バラか庭の草花。男はモーニング・コートを着る。みんながうやうやしくお辞儀をしている中で、おどおどした表情のラブラドル犬(新郎の愛犬)が居並んでいる。来賓の中にはヘリコプターでやってくる者も何人かいる。新郎は新婚旅行へ行くのを厭がる。愛犬としばらく別れなければならないのが淋しいからである。

中流上層の結婚式は、教養あるところをむやみに見せたがる。宴会で、ウェイターがシャンパンのボトルをナプキンでくるんでいるのは、上作の年の仕込みのワインでないことをかくすためである。

中流下層の新郎新婦は、式の当日にはヘトヘトになっている。なぜかというと、手に入れたばかりの部屋にすぐ入居できるように、自分たちで模様替えをしたからである。披露レセプションは喫茶店でする。シェリー酒、ロゼのワイン、ハム、チキン、サラダなどが出る。新婚旅行は地中海のマジョルカ島へ行く。

そして労働者階級の結婚式は非常に陽気である。パブの広間が貸切りになり、バーは一日じゅうサービスする。お客はみな腰かけるか、ダンスをしている。というのは、労働者階級は足にマメが出来ているため、立ちん坊は決してしないからである。新婦は妊娠していて、下腹のふくらみを隠すために、ナポレオン一世時代のスタイルのドレスを着ているが、それでも胸がむかついて困る。新婚旅行は英仏海峡のジャージー島へ行く。しかし新郎新婦はこれまで家を離れたことがなかったので、たちまちホームシックになってしまう。

という調子の、ずいぶん意地の悪いことばかり書いてある本です。訳者の渡部昇一さんが、これは女だからここまで書けたんじゃないかと言ってますが、まさしくその通り。一体、私は渡部さんとは意見が違うことが多いんですが、(笑)これは例外的に大賛成ですね。イギリスの女の人たちは、知的でありながら社会の行動を抑制されているために、社会に対する熱心で、しかも皮肉な観察者になってしまったという伝統がありまして、それで世界に冠たるイギリス女流小説が出来上がったし、その余勢をかって、こういう本も書くのでしょう。

明治維新以来、日本は何につけてもいちいちイギリスを先生格にして西洋というものを学んできたわけですが、その先生格の国の実態に近づくのに役に立つ本です。

山崎 時節柄、面白い本だと思います。いま、日本と西洋との新たな比較論が起っていまして、日本が経済的成功をおさめたのにひきかえ、むこうはユーロピアン・ペシミスムという言葉が生まれるくらい意気消沈している(ALL REVIEWS事務局注:本鼎談実施時期は1984年)。その理由を、日本人はヨーロッパ社会の階級性ということで説明したがるのですが、それはヨーロッパ人から見るとどうも癪にさわるらしく、先月も駐日イギリス大使がわざわざ、イギリスに階級はないという論文をある雑誌に発表しています。それに対して、当のお膝元から、英国の階級制を徹底的に暴露する本が出たのが、何となく愉快でもあり、お気の毒な気持でもあります。

内容は、丸谷さんが的確にご紹介になったので、私は西洋の階級感覚一般をめぐって、イタリアとアメリカでの個人的思い出を申し上げたいと思います。
イタリアで、何年か前、私の芝居を上演してもらったので、稽古に立ちあったのですが、イタリア人の喋る言葉に明らかに二種類ある。私はイタリア語は分らないんですが、リズムとスピードが違うんです。機関銃を撃つように喋るのは肉体労働者、小商人に多く、他方、演劇察を主催した文化財団の理事長などは実にゆっくり喋る。そう思ってみると、イタリアの首相の演説も実に鷹揚な喋り方です。

ある朝、ホテルで朝食をとっていましたら、「旅情」のロッサノ・ブラッツィそっくりの給仕人が、家人をちらちら見る。むろんサービスとしてやっているのですが、家人は大いに喜びました。(笑)そのことを私のイタリア人の演出家――上層階級の出でしたが――に、威張って話したところ、彼はニヤッと笑い、「ロッサノ・ブラッツィね。あれは典型的な召使い面(づら)だ」。(笑)こういうことは日本で映画を見ているだけでは、なかなか分らないのですが、イタリア人は顔を見ただけで出自まで分るらしい。(笑)

アメリカは貴族制の伝統のない、いわば平民社会ですが、そこですら微妙な階級差が存在する。大金持と肉体労働者が違うというなら、まだ分りますが、驚くべくことに、アパー・ミドルクラスとミドルクラスは歴然と違うんだと、アメリカ人が言うんです。

ほかでも前に触れたことですが、ハーマン・カーン氏によると、自動車の乗り方まで違うという。二家族が一緒に車に乗るとき、別の家の亭主と女房が前の席に、残りが後ろに坐るのがアパー・ミドルクラス。前に一夫婦、後ろに一夫婦坐るのがミドルクラス。前に男二人、後ろに女二人乗るのが下層階級。(笑)それでは、大抵の日本人は下層階級だな、といって私たちは大笑いしました。(笑)

ケネディ家はアパー・ミドル、フォード家はロワー・ミドル。着ているものから言葉遣いはもちろん、ホワイトハウスの壁の飾りつけまで、はっきり違うんで、アメリカ人なら一目で分るんだそうです。ましてや本家本元のイギリスでは、このくらいの階級差はあるだろうと、納得がいきます。

木村 この本を読みまして、階級の存在がイギリス文化そのものだということと、なぜ私がイギリスに馴染めないかという理由がよく分りました。(笑)

山崎 フランスに階級はありませんか?

木村 もちろんはっきりとありますけれど、イギリスのように階級によって言葉が違い、発音まで違い、階級差が文化の特性を形づくるというほどではないですね。イギリスの特性といえばこの階級差と、食事がまずいこと、そしてホモが多いこと。(笑)

丸谷 十人に一人は同性愛だとこの本にありますね。かなりの率だなあ。

木村 オックスフォード大学では、教授だけが一段高いところで食事するんですね。そこで食べながら話をしていたところ、隅にいたおじいさんの教授が、やにわに私の太腿をギュッとつねるじゃありませんか。びっくりして見ると、ニタァーッと笑う。(笑)何事だろうと思っていましたら、またギュッ。ニタァーッ。私は震えあがりました。(笑)ホモなんですね。

もう一度は、空港からロンドン市内に向う地下鉄の中で、私の目の前で新聞を読んでいる紳士がいた。フッと見ると、なんと片目だけ新聞から出してヒタと私の方を見ているじゃありませんか。このときの怖ろしさったらありませんでした。(笑)

驚いたことに、この本を読みますと、そのことが出ていまして、
〈ジェフリー・ゴーラーはその著『英国人気質を探って』の中で、上流階級の男性が病的にプライバシーを求めるのは、おまるで用便するのを見守られてきた結果だ、との意見を述べ、「クラブに入りびたりになり、新聞を城壁のように広げてそのかげに隠れ、一等車の隅っこに黙然とすわり、そうしてはじめて乳母から解放されるのだ」〉

つまりイギリス紳士にとって、新聞は城壁なんですね。フランスには、新聞を読むふりをして財布を盗(と)るスリならよくいますけれど。(笑)

イギリスにホモが多いのは、食事が貧しいせいではないか、とかねがね私は思っていました。(笑)食事がまずいと男は家に帰っても愉しみがない。自然、女房よりもホモや犬に愛情がいってしまう。特に最近では上流階級はますます食事の簡素化が進んでいて、その点は下層階級と共通している。中流階級だけが外国料理を愉しんでいるそうです。

この本は、私のこれまでのイギリス像を、ある程度修正しながらも、大いに補強してくれました。

山崎 この本の面白さは、著者が中産階級の出身で、それゆえ上層階級と下層階級に対してとくに、意地の悪い、ねじ曲った見方をしているというところですね。

たとえば、貴族は、家の農場で家畜が交接したり、お産をするのを見ているので、セックスの説教は聞かされなくてもすむ。そのせいか、上流階級の男性には後背位で交わる者が多い……などという。

丸谷 ハハハハ。

山崎 著者は女性だから体験的発言かもしれないが(笑)、これはたぶん想像にもとづく罵倒の言葉でしょう。この種の偏見が露骨に表れているのが面白い。

木村 中産階級については生き生きと書いてあるんですが、上流階級の扱いには木で鼻を括(くく)ったようなところがありますね。たとえばヨットが項目として上っていない。ヨットはイギリスの支配階級にとって、体を鍛えるためにも、財産上でも大事なもののはずですが、その項目がない。下の階級については多少見えても、上の階級はほとんど窺い知ることができないのではないか。その意味で、この本自体が非常に階級的な本だと思いますね。

山崎 その通りです。一般に社会が上層、中層、下層と分れている場合、必ずできるのは上・下連合で、中層が敵になる。マルクスが階級史観で根本的に間違えたのはここでして、彼は上層と下層が対立すると思っていた。

アメリカに『るつぼを越えて(ビヨンド・ザ・メルテイングポット)』という名著がありますが、その著者がニューヨーク市の分析をして、こんなことをいってます。六〇年代末から七〇年代にかけて、同市は大変な混乱に陥ったんですが、その時の市長は有名なリンゼイ、イエール出身のワスプ(白人、アングロサクソン、プロテスタント)で、つまり上層階級です。これが黒人と連合して中産階級のアイリッシュとイタリア人を、上と下から挟撃したんだと。

同じようなことがこの本に書かれてあって、上層階級は、下層階級出身の乳母に育てられるため、用語から感受性まで労働者と近い。どちらも怠け者であり、知的ではない。それに対し中産階級は知的で勤勉であることに誇りをもっている。ですから階層の上では五つに分れていても、価値観はむしろ二つで、上下と中が対立しているという、この見方は正確だと思います。

木村 それに、この本を読んで中産階級のあり方が世界共通になってきたな、という感じがしました。〈聡明で教育水準の高い人たち、社会の新しい傾向についても最も敏感で、ころりと参ってしまうところがある。最近の思い切ったファッション、健康食品、民俗衣裳、ノーブラ、子供の才能教育、フランス料理など〉

これは日本の聡明な主婦たちと実によく似ていると思いますね。ノーブラだけは日本で流行っていませんけれど。(笑)

丸谷 意識調査によると、日本人の九十何パーセントが自分は中産階級だといったというので、新聞記者が嗤(わら)って書いたことがありましたね。僕は、その記者たちも多分、自分を中産階級だと考えていると思うけれども。(笑)でも、それはイギリス的な基準から言っても正しいわけですね。

山崎 結局は、いまや世界が中産階級によって支配されつつある。少なくとも先進諸国は中産階級の国になりつつあるということでしょうね。

ただ一つだけ、やはりイギリスは違うなと思うのは、労働者階級を中産階級がはっきり区別して見ているという事実ですね。これは日本ではありえないことだし、また区別の仕様がない。たとえば、収入の面でいうと、企業の課長さんの給料よりも、運転手さんのほうが、超過勤務手当がつくから、大体上でしょう。趣味や娯楽にしたって同じだし、飲む酒や読んでいる新聞雑誌にしても、そう違いはない。こういう国では、中産階級と労働者階級の区別はつけられない。

その点、イギリスでは風俗において、はっきり区別があるようです。これはじつは意外な面でかなり深刻な問題になります。つまり、いま話題の国際化ですが、西欧諸国では、自国民でも階層が違うと、外国人よりもっと遠い人なんですね。したがってその労働者の職場へ、インド人がこようが、セネガル人がこようが、中産階級は何とも思わない。その結果、ヨーロッパ諸国は国際化しやすいわけで、国際化し得るということは、裏返していえば、国内に外国があるということなんですね。

しかし、日本には国内の外国がない。したがって国際化が難しい。いま難民を何入受け入れたかが、国際化の物差しとして使われますが、日本もそれについて努力するにしても、この事実の違いははっきり注意しておいたほうがいいだろうという気がします。

木村 階級が違うと髪の毛の色まで違うというから驚きですね。でもこのような体制を何が維持させているのか、これは大きな問題です。

山崎 先ほど木村さんは食事のまずさをおっしゃった。これは私の友人のインド学者の説ですが、インドのカースト制が長続きしたのは、インド料理の味が平等だからだというんです。大金持も貧乏人も、同じ辛いカレーを食う。そこには食いもののうらみだけは少ない。(笑)

丸谷 その説明はおかしいなあ。(笑)

山崎 むろんこれは珍説です。珍説ですが、汲むべき教訓があるのは、この本を読んでも分るとおり、イギリスにおける階級関係と権力的支配の関係は並行していない。つまり貴族はぼんやりした人でなければならない。君臨すれども支配せずなんです。

木村 なるほど。

山崎 その点では日本の明治維新はもっと徹底的で、旧大名たちを華族に祭りあげ、結局は足軽が天下をとってしまった。イギリスも保守党でありながらサッチャーのような、出身階級の低い女性が支配している。

丸谷 彼女はどのへんの出ですか?

山崎 中流下層でしょう。

丸谷 あ、そんなに低いんですか。

木村 しかしこうは言えませんか。イギリスも今はともかくがんばらなくてはいけないから、実力主義によってサッチャーを表面に押し出している。しかし内部的には、社会全体がまだまだ中世の伝統をひきずっている。たとえば、また食事の話になりますが、(笑)イギリス人は、卵やベーコン、ソーセージのたっぷりした朝食を食べます。大陸のパンとコーヒーだけとはえらい違いです。この調子でいけば昼、夕食はどんなにすごいだろうと思うと、案に相違してガッカリする。(笑)これはもともと、朝と昼の間に一日のうちでもっとも重い食事、つまりディナーをとった中世の食べ方が残っているんですね。

ですから、この本に書いてある以上に、貴族は社会のなかに事実上の力があるのではないか。少なくとも意識の面では、自分たちが領民の面倒をみているんだというノブレス・オブリージュ、「貴族は義務を負う」の気持が残っているのではないかと思いますね。

丸谷 この本は、表面的な風俗に対しては敏感だけれど、精神的なものに対して鈍感ですね。「宗教」の項を見ると、教会に行って説教が聞こえないと、もっと大きな声で、と牧師に注文するのがイギリス紳士である、とか、イースターがどうの、クリスマス・ツリーがこうのということは書いてある。ところが神を信じるか否かといった面には触れていない。愛国心といったようなことにも言及してない。精神風俗には、至って不熱心ですね。

木村 私が不思議に思うのは、イギリスはきわめて伝統的な社会でしょう。近代は進歩を秘めた伝統社会だったといってもいい。にもかかわらず、この本には歴史性がまったくないんです。一つの例をあげますと、
〈上流階級では、子供たちを通いの私立小学校に三年間通わせた後、八歳になると、寄宿制の私立予備校(プレップ・スクール)に転校させてしまう。その理由はさまざまで、親たちが頭が悪くて、もはやこれ以上子供の宿題を代わりにやってやれないからとか、子供の通学にからむごたごたに辟易(へきえき)してしまったからとか……〉
と書いてあります。しかしこれはちゃんとした歴史的事情があるんです。中世以来、親の寿命が短かったから、子供は自分で育てず、貴族であれば母方に預けて一人前にしてもらったわけです。商人、手工業者の子も、親方の家に住みこませて教育訓練させた。自分の子ならつい甘やかしてしまうが、他人の子ならばビシビシ躾(しつけ)ができ、親の生きているあいだに子供が一人前になれるからです。この社会慣行がとくにイギリスでは保たれて、近世になると寄宿制の学校になるわけです。別段、親の頭の問題とは関係がない。(笑)

丸谷 この人は才能のある人だけど、無理をして滑稽なものの見方をしようとしている感じがある。

イギリスの滑稽文学には、ジェローム・K・ジェロームその他、肚(はら)を抱えて笑うような天才的なものが、いっぱいあるわけですが、それに比べると、ずいぶん落ちると思いますね。

山崎 要するに、著者はジャーナリスティックだけど、無学なんですよ。(笑)

木村 近ごろは、山崎さんのほうが激しいなあ。(笑)

山崎 四百七十頁ある本の中で「文学」という項は三頁しかない。イギリス文化の特色は、音楽よりは圧倒的に文学にある。それなのに、音楽の階級性に触れながら、シェイクスピアもディケンズも論じない。

何より根本的なところは、イギリス人を五つの階級に分けていますが、にもかかわらずイギリス人を一つのイギリス人たらしめている所以(ゆえん)のことが一行も書いてない。たぶんシェイクスピアとディケンズを論じたら、それが見えてきたと思いますがね。つまりイギリス人というものがあって、その中に階級があるので、その証拠にかつて七つの海を支配したイギリス人は、現在、衰えたりといえどもまだサミットでは中曾根さんの頭を押えている。それが何であるかという洞察ができない目で、ただ階級の区別を書いてもらっても、こちらは面白がって読む以外ないですね。要するにこの本は、中産階級のパーティで、上流階級と労働者階級の悪口を言うためのゴシップの種を集めたものでしょう。

丸谷 誤植が一つあります。三七ページ。〈高いハンドルを握って犬がおちんちんするような格好で自転車にまたがり……〉、犬がする芸としての「ちんちん」に「お」をつけたのは、重大な誤植です。翻訳者の名誉のためにも、出版社は直したほうがいいなあ。(笑)

クラース―イギリス人の階級 / ジリー・クーパー
クラース―イギリス人の階級
  • 著者:ジリー・クーパー
  • 翻訳:渡部 昇一
  • 出版社:サンケイ出版
  • 装丁:単行本(470ページ)
  • 発売日:1984-04-01
  • ISBN-10:4383023142
  • ISBN-13:978-4383023146

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【この対談・鼎談が収録されている書籍】
三人で本を読む―鼎談書評 / 丸谷才一,木村尚三郎,山崎正和
三人で本を読む―鼎談書評
  • 著者:丸谷才一,木村尚三郎,山崎正和
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:単行本(378ページ)
  • ISBN-10:4163395504
  • ISBN-13:978-4163395500

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文藝春秋

文藝春秋 1984年9月

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