対談・鼎談

山本 益博、見田 盛夫『グルマン』(新潮社)|丸谷 才一+木村 尚三郎+山崎 正和の読書鼎談

  • 2023/12/04
グルマン―1984 / 山本 益博, 見田 盛夫
グルマン―1984
  • 著者:山本 益博, 見田 盛夫
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:単行本(167ページ)
  • 発売日:1983-12-01
  • ISBN-10:4103503017
  • ISBN-13:978-4103503019

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山崎
さて、諷刺文学の次は、ノンフィクション文学でして、この本は、先ほどの『見栄講座』が裏から説いたことを、表から主張しようとしている本です。

すなわち、消費するということ、めしを食うということは、気力と才能と努力が必要な大変つらい行為である、という主張がこの本には一貫しています。著者たちは、肝臓と胃とを危険にさらして食べに食べたあげく、東京のフランス料理店に星印をつけ、極めて直裁な評価を下して、このレストラン・ガイドを書いたわけです。

フランス料理そのものの現状についても、酌(く)むべきいくつかの批評があります。たとえば、現代の料理人は塩を使うことに臆病である。持ち味をひき出すためには、塩をぎりぎりまで大胆に使うべきなのに、上品で優雅な味を出そうとするあまり、曖昧で、いい加減な味をつくっている。かと思えば、フランス料理といえば、なんでもクリームを使えばいいという甘えたレストランが多い。

あるいはまた、流行のデギュスタシオンに対する批判もありまして、日本の懐石料理の真似をして、ちょっぴり一口ずつという趣向は分らないでもないが、やはり、一定量を食べなければ、料理の腕前を本当に見ぬくことはできない。近ごろは料理人も食うほうも怠けている。そういうもっともな指摘もあります。

さらにここには、サービスについての大変明快な説明がなされています。実際には、それぞれのレストランの批評という形で語られているんですけれども、たとえばある店――あえて名は秘しますが――そこのサービスについて、〈丁寧で礼儀正しいが、いんぎんすぎず、親しげな笑顔はあってもなれなれしくないサービス〉

木村 あ、京橋にある店ね。(笑)

山崎
〈このレストランの秀でたところは、客に窮屈さを感じさせない店側の緊張感ではなかろうか〉

こういう両義性こそ、社交というものの本質を衝いた定義だと思います。もっとも、あまりみごとなので、これが現実の形容なのか、それとも、著者があらかじめ社交について持っていた定義をただあてはめたものなのか、どちらであるかは分りませんが……。

また別の店につきまして――

〈レストランでくつろいで、しかも自分を装って食事をすることが、芝居を見たり音楽を聴きに出かけることと等価値に考えられる人であるなら、食事を愉しむ場所としての○○○○の右に出るレストランはないと思えるにちがいない。このレストランの席につくと、ある瞬間は舞台の芝居に見惚れる観客となり、またある瞬間は、自分自身がその舞台の主役を演じさせられている気分になってしまう〉

木村 これはソニービル地下。(笑)

山崎 これも社交の本質をついた、要領のいい定義ですね。

またレストランにおける愉しみは、人間を見ることである、という都会人としての一種の矜持(きょうじ)がはっきり出ています。某レストランを批判していわく、

〈客が四人であれば何ら問題はないのだが、二人だと、窓の外の夜景を見ながら食事するようにと、席につけられてしまう。つまり、レストランに多くの人が居合わせても、ほとんどの客は互いに背を向けて食べているのだ。この光景をあとからやってきた客が見れば、じつに奇妙である。客席の雰囲気を盛りあげているのは、何といっても客たちのざわめきで、ハープなどの生演奏では、けっしてない〉

これも、実に見事な社交文明論だと思います。

ともかく一方では、命を賭けて料理を実際に食べ、その実感に基いて、大胆に、あとのしっぺ返しも恐れずに、レストランを評価する。それといま一つは、食べものにも、また食べ方に対しても、一つの思想をもっている、という意味でこの本は大変面白かった。

木村 まったくおっしゃる通りですね。これだけ自分の舌に自信をもって、ソースが薄いの塩がよく利いているのと断言できるのは、見事だと思います。食に体あたりした、昔風にいえば肉弾三勇士の記録ですね。(笑)私は一九三〇年生まれですが、なにしろ、卓袱(ちゃぶ)台におかず一皿がのっていて、ヨーイドンでご飯をかき込んだ世代ですから、いまだに舌に自信がもてなくて右顧左眄(さべん)するところが、心の片隅にある。筆者の一人、山本さんは一九四八年生まれですが、やっぱり時代が違うんだなァというのが実感ですね。(笑)

食べることを、一つの芸術にまで近づけたいという気持がうかがわれるという点では、十八世紀のヨーロッパ人と非常によく似ていまして、そこにも時の変化を感じました。

日本のフランス料理店は、近年、非常に質的に向上したんですが、まだまだ不手際なところがある。この本は、それを実によく指摘しています。応用問題の解けない型にはまったサービスとか、予約していったのに、座席が用意されていない不手際とか。これは日本が生産第一主義の国で、サービスについては未開拓の国であることのあらわれなんですね。

それからギャルソン、つまりボーイはどうしてみな痩せているんだろう、と著者は不思議がっていますが、本当に日本の給仕人はみな若くて、客に対して親の敵みたいな顔をしてますね。(笑)しかも慇懃(いんぎん)無礼です。

丸谷 日本の料理屋は女性がサービスしていた文化だから、男が料理を給仕することは具合が悪い。それで、あんなへんな給仕になるんじゃないかと思うんですよ。

木村 ある店では、日本語で訊いたのに、フランス語で答えが返ってきた。(笑)これはけしからんと、日本男児の心意気を示している箇所もあります。

ともかく、食を芸術に高めたいという気構えと、味やサービス、雰囲気についての具体的な助言には大いに啓発され、また共感しました。

丸谷 著者の一人、山本益博さんの『東京・味のグランプリ二〇〇〇』は、書評で絶賛したことがあるんです。非常に優秀な人ですね。第一、渾身(こんしん)の力をこめて本を書いているという感じ、それがやはり素晴しいですよ。これだけの力と情熱を込めて書いてある本が、はたしていまの日本でどのくらいあるものかしら……。

山崎 もう一つ、これほど必要経費のかかる本もそうはない。(笑)

丸谷 というような、一種奇怪な感動をおぼえる本ですね。

単に味の問題だけじゃなくて、料理屋が文明において占める位置をちゃんと把まえている。つまり、店の広さ、狭さの問題、掛けてある絵の問題、照明の問題、さらには店の名前。これは名前を出すしかないから言うんだけど、「ドデュ・ダーンド(肥った七面鳥)」という店を、〈いかにも旨そうだが、えらく発音しにくい店名である〉といっている。こういうところまで気を配って論じてある料理屋論というのは、なかなかいいと思うんです。

その情熱が高じて、時どき、言葉づかいが大げさになる時がある。〈料理についていえば、才気に溢れた美しくも旨い皿々といえよう〉

木村
サラザラね……。(笑)

丸谷
そういう言葉を使わなければならないくらいの力こぶのいれ方は、一種の尊敬の念を禁じえないんだけど、ちょっと滑稽というか、悲壮感があって、それがまたこの本の持ち味にもなっている。

というくらい褒めた上で、しかし文句をいうと、僕は見田さんのことは何も知らないんだけれど、山本さんは二十代の末か、三十代はじめから美食評論に打ちこんでいたと思うんです。しかし、食べものについての評論なんて二十代の末や三十代のはじめでするものかしら……。こういうことは、体力が衰えてからすることで、僕が二十代の末、三十代のはじめだったら、もっと別のことに夢中になるなあ。(笑)

山崎
いや、それが現代なんですよ。

丸谷
うん、そこのところが、何だか疑問なんです。僕は山本さんとは一度も会ったことがないけれど、前から親愛感を持っている。しかし、親愛感を持ちながら、何だか納得がいかない。それは、なるべくなら僕と彼の青春の時代が違うせいだ、と思いたい。しかしひょっとすると個性が違うんじゃないかなあという不安もあるんです。

これは何で読んだのか覚えてないけれど、山本さんは、家(うち)でめしを食べることがまずなくて、ほとんど外食だという。さらに、天ぷらを食べ出すと、毎日、昼も夜も天ぷらという生活をして、比較検討をするんだという。しかし天ぷらなんてものは、一週に一回食べるから味が分るので、毎日毎晩食べたら分らなくなるんじゃなかろうかと思うんですよ。つまり人生における食べものの位置が分っていない美食評論家なんじゃないか……。

木村
それ、私も言いたい。(笑)

山崎
どうぞどうぞ。(笑)

木村
著者のうちお一人はまだ若いから、食にばかり関心がいって、もう一つ人間についての観察と経験が足りませんね。いつも一人で食べているんじゃないかという気がします。

たとえば、レストランに入るとき、日本人は男性が先頭に立ってどんどん座席に歩いていく傾向があるけれど、レストランの雰囲気を華やかにするためにも、女性を立て、男はエスコートする方が素敵である――とすすめていますね。

しかし、フランスで女性を先に立ててレストランに入ろうとしたら、まず徹底的に固辞されます。男は先導役として先に立つべきで、女の人は堂々とそのあとから行くわけです。

それから〈煙草は食事が終るまで吸わないというのも、料理人に対する礼儀といえよう。それに、煙は他のお客の迷惑にもなる。吸うのはコーヒーになってからが望ましいだろう〉と書いてある。

しかし、煙草は他の客への迷惑にもなるからではなくて、他のお客へ迷惑になるからこそ吸うのを遠慮すべきです。料理人に対する配慮ではなく、何よりもまず隣の客の嗅覚を掻き乱さないための配慮です。日本のように狭いレストランなら、なおさらです。皆と食べ合うのが、フランス料理の心ですから。料理は舌と同時に鼻で味わうもので、ことにヨーロッパ人は嗅覚を大いに気にします。ワイン、ブランデーも然りです。フランスのちゃんとしたレストランなら、ついこの間まで灰皿すら置いていませんでした。同じ理由で、女の人が強い香水をつけて会食に臨むのも失礼です。

そういう人間関係についてのセンスがこの本には欠けていますね。

ついでにもう一ついうと、店の雰囲気のことを「キャードル」(cadre)と書いてありますが、どうしてこういう俗な発音をするんでしょう。身持ちの正しい人なら、ちゃんと「カードル」と発音するはずです。私どもは企業の「管理職」の意味で使いますが。

山崎
それは簡単なことで、要するに筆者はフランスを知らないだけじゃないですか。

木村
フランスを知らないフランス料理批評家なのかなあ。

山崎
そこが面白いところで、日本にはフランスを知らないフランス料理家もいれば、アメリカを見たこともない野球評論家もいる。日本とは、そういう国なんですね。ここでいうフランス料理もベースボールも、いまや日本の料理であり、スポーツになっている。ただし、この本の筆者は、批評の基準として、フランス本国をしばしば引きあいに出すから、おっしゃるような逆批判を食らう。望ましいのは、新潮社で次は彼をフランスに派遣して、『パリの百店』といった本を書いてもらうことですね。(笑)

木村
われわれも派遣してもらいたい!(笑)

丸谷
僕の乏しい体験でいいますと、本場のフランス料理は、とにかく分量が多くて、われわれには大変なんですね。デザートのお菓子になると溜息が出る。だから、うまいものを少しずつ食べる懐石料理風のフランス料理ってのは意味のある発明だったんです。ただ、ある程度分量がなければ、一皿の料理を食べたような喜びを味わえないことも、また事実なんですよ。そのフランス料理と日本人の間にある根本的対立、つまり分量ですね、それが論じてない。この人たちならば、あのとてつもない分量、最後に出てくるデザートも大丈夫なのかなあと思うけれど。

木村
いまデザートのことをおっしゃいましたが、この本にも〈最後をしめくくる華麗なスターがデザートである〉とありますね。ところが、昨年の『レクスプレス』誌にのった世論調査によれば、フランス人の三分の二が今や食生活を変えたいと思っていまして、中でも制限したいものの三番目にデザートのお菓子が入っています(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は1984年)。一番目がアペリティフ、二番目がテリーヌ、パテといった肉の加工食品です。逆にもっと採りたいというのが貝や魚の類です。健康のため食生活を見直すのは、各国共通の現象ですが、フランスでも、いま大きな嗜好(しこう)の変化が生じているんですね。それに比べて、この本でのフランス料理のイメージはいささか古典的だという気がします。

山崎
そういう現代文明の病弊たる衛生主義、この消費社会において長生きしたいという堕落した精神に、筆者たちは警鐘を鳴らしているんじゃありませんか。『見栄講座』の底を流れる考えもそうで、つまりオートバイに乗るなら、景気よく頭を打ち割って死になさい。オートバイに乗った上で、まだ長生きしようなんて、そういう堕落した精神では、とても消費文化などはやっていけないよ、という哲学があると思うんです。

木村 壮絶なのは分るけど、もうちょっとゆとりがほしいですね。私もこの本を手引きにしてフランス料理店に行くでしょう。案内書としては一番いい本です。それを認めた上で、これは愉しいというより怖い本ですね。いってみれば“行者”の本ですよ。

山崎
よく分ります。ただし、いま、社会は大きな曲り角にきていると思うんです。そのうち必ず、おっしゃるような理想の状態、つまり、愉しむことにもゆとりをもち、エイミスのように品位あるユーモアを述べる人が現れる、そういう時代がきますよ。しかしそれにはまだ十年、二十年かかるので、モーレツな生産至上主義からの曲り角には、モーレツな消費至上主義の尖兵(せんぺい)が必要なんじゃありませんか。

丸谷
モーレツ社員て言葉が以前ありましたが、この人はモーレツ美食家なのね。(笑)しかしモーレツと美食とは両立するものかしら。

山崎
そこが曲り角というもののもっている面白い矛盾だと思う。それをいうなら、京極さんはモーレツな知性で、モーレツな相対主義者です。モーレツと相対主義が両立するのか、とはいえるわけだけど、曲り角ってそういうものじゃないですかね。これまでの、ものすごいイデオロギー時代、生産主義時代からの曲り角。

丸谷
つまり、現代は、モーレツ曲り角時代だということですね。(笑)

グルマン―1984 / 山本 益博, 見田 盛夫
グルマン―1984
  • 著者:山本 益博, 見田 盛夫
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:単行本(167ページ)
  • 発売日:1983-12-01
  • ISBN-10:4103503017
  • ISBN-13:978-4103503019

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【この対談・鼎談が収録されている書籍】
三人で本を読む―鼎談書評 / 丸谷才一,木村尚三郎,山崎正和
三人で本を読む―鼎談書評
  • 著者:丸谷才一,木村尚三郎,山崎正和
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:単行本(378ページ)
  • ISBN-10:4163395504
  • ISBN-13:978-4163395500

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文藝春秋 1984年5月号

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