対談・鼎談

星野 智幸『目覚めよと人魚は歌う』(新潮社)|星野 智幸×野谷 文昭による対談

  • 2023/08/26

ニつのラテンアメリカ経験

野谷 星野君は、二つのラテンアメリカを持っているんです。本から得られた知識としてのラテンアメリカと、メキシコ留学体験で知った現実のラテンアメリカ。それをうまく嚙み合わせていますね。ですから、メキシコ体験は非常に貴重で、書かれた作品がパロディ調だから一見軽くは見えるけれども、どこかで現実を踏まえているから浮わついていない。中上も、ブエノスアイレスやバイーアのことを書いたけれども、頭の中だけの架空の空間で、作品上でのリアリティは別としても、僕らが読むと全然現実感がないんですね。

また、星野君は時事的な話題をも踏まえていて、たとえばメキシコのチアバス州で起きた先住民の反乱と解放運動も作品に取り入れています。かつて、新聞記者だったからでしょうか。これは誉めすぎだけれども、ガルシア=マルケスがジャーナリスティックな面とファンタジックに翔べる面の両方を兼ね備えた作家であるように、星野君も両方を備えた作家だから、少々線は細いけれども(笑)、スケールの大きな作品が書ける可能性があります。

ところで、メキシコに最初に行ったのはいつ頃でしたっけ?

星野 91年夏から92年夏までです。向うでも野谷さんと会いましたね。バックパッカー風の破れたジーンズで会いに行って怒られた(笑)。

野谷 あれは僕の最初のサバティカルのときで、カリフォルニアの生活に飽きたので旅行したんです。メキシコに何人かの教え子や仲間がいて、星野君とも一緒にサルサを踊ったりした。楽しい時代でした。でも星野君はどうしてメキシコ行を思い立ったんだろう。早くから計画していたんですか?

星野 ええ。会社に入る前から、3年したら辞めて外国に住もうと思っていたんです。最初は漠然とアメリカへと思っていたんですけれども、そのころラテンアメリカ文学を読んでしまった。外国に住もうとした理由はいろいろありますが、何かが起こって自分が日本にいられなくなった時に亡命できる場所を確保しておこうというのが第一の狙いでした。これは島田さんの影響もあったはずです。そう単純には行かないことはのちに思い知らされますが。で、あらゆる意味において日本と正反対の場所をと考え、当時文学を読んでいたラテンアメリカを選ぶことになったんです。

野谷 確かにメキシコは、革命後は亡命者の港として機能してきたところがありますからね。スペインの共和派知識人を受け入れたことがメキシコの知的水準を高めたことはよく知られているし、日本人の佐野碩は現代演劇の父と言われています。

星野 メキシコは入りやすいですし、ハイブリッドが起こりやすいですね。その時は、ひょっとしたら俺はメキシコ人になるかもしれない、という心づもりで行っていますから、体中がオープンになって、生活やら文化やら、あらゆるものがどんどん入ってきてしまう。少なくともそういう感触はあったわけです。

野谷 マルケスだってメキシコが本拠地ですからね。でも、旅をしても、自分の同一性は全然失わないままに、観察だけしてくる作家も多い。星野君の場合は、それとは違う方向を目指していますね。作品を読んでいると、教訓的な文化論がないでしょう。うるさくないというか、エッセイ的ではない。もちろん、寸評的な批評はあるけれども、バルガス=リョサみたいに全体主義批判を小説の中でとうとうと語ってしまうということはないわけです。行く前は、新聞記者をやってたんでしょう?

星野 はい。あのころは宮崎勤事件で華やかなりし浦和総局に勤務していました。でも90年の夏、甲子園を取材したついでに大阪の知人を訪ね、遊んでいるうち、すうっと気が抜けていきまして。これは潮時だなと思ってその秋に辞めたんです。その報告に、当時は本社で読書面を担当していた浦和時代のデスクと会ったのですが、僕がメキシコへ行くと告げると、いきなり「エス・ラ・ウナ」なんて口走る。スペイン語で「一時です」という意味なんですが、まだ僕には分からない。すると、「いかんねえ。キミは野谷文昭先生を知らんのか」と言われた。何でも文化部で野谷さんに傾倒している若い人が、たぶん先生のお出になっていたテレビ講座でスペイン語を始めて、ちょっと流行っていたらしいんですね(笑)。僕も『予告された殺人の記録』『蜘蝶女のキス』の翻訳に感動していたところだったし、こうなればもう、野谷さんのいる立教大学ラテンアメリカ研究所に押しかけるしかない。そうしてスペイン語の勉強を始めた次第です。最初は、このどこの馬の骨とも分からない奴、大丈夫かい、なんて言われたりしながら、それをかいくぐって。それにしても、一応講座はとっていたとはいえ、無遠慮にからんでくる僕をよく受け入れて下さいましたね。

予告された殺人の記録 / G. ガルシア=マルケス
予告された殺人の記録
  • 著者:G. ガルシア=マルケス
  • 翻訳:野谷 文昭
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:文庫(158ページ)
  • 発売日:1997-11-28
  • ISBN-10:4102052119
  • ISBN-13:978-4102052112
内容紹介:
町をあげての婚礼騒ぎの翌朝、充分すぎる犯行予告にもかかわらず、なぜ彼は滅多切りにされねばならなかったのか?閉鎖的な田舎町でほぼ三十年前に起きた幻想とも見紛う殺人事件。凝縮されたその時空間に、差別や妬み、憎悪といった民衆感情、崩壊寸前の共同体のメカニズムを複眼的に捉えつつ、モザイクの如く入り組んだ過去の重層を、哀しみと滑稽、郷愁をこめて録す、熟成の中篇。

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蜘蛛女のキス  / マヌエル・プイグ
蜘蛛女のキス
  • 著者:マヌエル・プイグ
  • 翻訳:野谷 文昭
  • 出版社:集英社
  • 装丁:文庫(461ページ)
  • 発売日:2011-05-20
  • ISBN-10:4087606236
  • ISBN-13:978-4087606232
内容紹介:
ブエノスアイレスの刑務所の監房で同室になった二人、同性愛者のモリーナと革命家バレンティンは映画のストーリーについて語りあうことで夜を過ごしていた。主義主張あらゆる面で正反対の二人だったが、やがてお互いを理解しあい、それぞれが内に秘めていた孤独を分かちあうようになる。両者の心は急速に近づくが-。モリーナの言葉が読む者を濃密な空気に満ちた世界へ誘う。

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野谷 あの頃、スペイン語はできなかったね(笑)。ただ、レポートなどを見ていると、翻訳をよく読んでいることが分かりました。読むことによって勘がつき、不充分な語学力を補っていましたね。会話はできないけれど、本屋に入るとどこに何があるか分かる、といった種類の勘をすでに備えていたことは間違いない。その状態で一気にメキシコへ行ってしまった。向こうでは何をしていたんですか?

星野 一応語学を勉強するという名目で、勉強もしましたが、まあ、それは隠れ蓑(笑)。

野谷 ジョイス的放浪でもなさそうだし。

星野 一言で言えば遊んでいたんですけれども。とはいえ、さっき言ったように、楽しむというよりはメキシコ人になろうという気持でいましたから、彼らのやることは何でもやってやろうという感じで暮らしていました。まずは踊りで体のリズムを合わせるのがコミュニケーションの第一歩だと思い、サルサの修得に躍起になってましたね。いまはすっかり忘れてしまったけれど。それから、メキシコ・シティはそうでもなかったけれど、熱帯のほうへ行くと火傷しそうな異性の視線が飛んできたりもするので、それに拮抗しなくちゃナメられると思い、目の筋肉を鍛えて視線を強化したりもしました(笑)。

野谷 その点で、コルタサルの『石蹴り遊び』の主人公とは違いますね。文化的差異について考察ばかりしているのではないという意味で。単なる通りすがりでもない。

石蹴り遊び / フリオ・コルタサル
石蹴り遊び
  • 著者:フリオ・コルタサル
  • 翻訳:土岐 恒二
  • 出版社:水声社
  • 装丁:単行本(579ページ)
  • 発売日:2016-08-01
  • ISBN-10:4801001939
  • ISBN-13:978-4801001930
内容紹介:
読者を共犯者に、旅の道連れに、仕立てあげること―二通りの読み方をもつ開かれた書物。『ユリシーズ』の実験的技法を用いながら、パリ、そしてブエノスアイレスを舞台に現代人の苦悩を描いた、ラテンアメリカ文学屈指の野心作。

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星野 実際は通りすがりの男を超えられてはいないんですけどね。気分だけは、メキシコに同化しようと思っていました。

野谷 チアバスなんて行ったの。

星野 いや、その頃はチアバスの何たるかを知らなくて、行きませんでした。一番刺激的だったのは、中米旅行ですかね。バスやヒッチハイクで、1カ月かけてニカラグアまで下りていきました。

野谷 実は、それは中上が一番やりたかったことなんですよ。死ぬ前の年だったかな、いきなり「おい、一緒に中米に行かないか」と言われたことを思いだしますね(笑)。「お前は語学ができる、俺は喧嘩ができる」なんて言って。彼はアメリカの深南部まで行ったけれども、メキシコへは行けなかった。ラテンアメリカには一度も行ってないですね。中米旅行が実現していたら一体どうなったか、楽しみだったんだけれど。

星野 まだ内戦中だったから、面白かったでしょうね。

野谷 二度目のメキシコはどうでしたか?

星野 92年の夏に帰ってきて、その秋にメキシコ政府の奨学金をもらったらトンボ返りするつもりだったのに、そこがメキシコ、一筋縄ではいきません。もう明日にでも奨学金が下りるようなことを言うのに、一向に下りないんですよ。それで何と2年近く待たされました。

野谷 マルケスの「大佐に手紙は来ない」を地で行ったわけですね。

悪い時 他9篇 / ガブリエル・ガルシア=マルケス
悪い時 他9篇
  • 著者:ガブリエル・ガルシア=マルケス
  • 翻訳:高見 英一,桑名 一博,内田 吉彦,木村 榮一,安藤 哲行
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:単行本(483ページ)
  • 発売日:2007-06-01
  • ISBN-10:4105090100
  • ISBN-13:978-4105090104
内容紹介:
血の粛清から、ようやく立直りかけた町。殺した者。遺された者。没落に怯える者。成りあがり者。恨みを深く潜ませた者。それぞれの心に誰の仕業とも知れぬ中傷ビラが不穏な火を放ち…。そして、… もっと読む
血の粛清から、ようやく立直りかけた町。殺した者。遺された者。没落に怯える者。成りあがり者。恨みを深く潜ませた者。それぞれの心に誰の仕業とも知れぬ中傷ビラが不穏な火を放ち…。そして、届くあてのない手紙を待ち続ける老人も。泥棒のいない村の、至って良心的な泥棒も。死してなおマコンドに君臨する処女の太母も。現実の深層にまで測鉛を下ろした10の物語。
大佐に手紙は来ない/火曜日の昼寝/最近のある日/この村に泥棒はいない/バルタサルの素敵な午後/失われた時の海/モンティエルの未亡人/造花のバラ/ママ・グランデの葬儀/悪い時

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星野 僕の人生で一番厳しい時期でした。

野谷 収入がないんじゃね。

星野 日本にいて何をしたらいいのか分からないし、メキシコへ行ってしまいたいけれどもお金はないし、親や親戚、周りの人間からは白い眼で見られまくるし。当時インタヴューを続けていた島田さんにも、「君もう三十でしょう。どうするの、この先」と言われたり。強制収容されているようで、本当にきつかったです。

困り果てていたとき、先にメキシコに渡っていた同じ奨学金の申請者があちらの外務省をつついてくれて、そのとたんすぐお金が下りた。しかも、予告もなしにいきなり電話がかかってきて、「メキシコ大使館ですけれども、2日後の飛行機が取れたからすぐ行きなさい」ですよ。僕はまだアルバイトをしていて、「準備がありますから1週間ほど下さい」と頼んだら、「キャンセル料が500ドルかかりますから」で終わり。仕方ないから慌てて出国したんですけど、強制送還みたいなものですよ(笑)。それが94年夏のことです。

茶の間の男 / 島田 雅彦,大辻 都,星野 智幸
茶の間の男
  • 著者:島田 雅彦,大辻 都,星野 智幸
  • 出版社:集英社
  • 装丁:単行本(333ページ)
  • 発売日:1996-04-01
  • ISBN-10:4087741931
  • ISBN-13:978-4087741933
内容紹介:
土地と物語、亡命と定住…。デビュー作「優しいサヨクのための嬉遊曲」から最新作まで、自作についての解読と島田ワールドの新たな展開を探る、ロングインタビュー。世界のユーウツを救う若き青二才たちのための文学講義。

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野谷 すぐマジックリアリズム調になってしまうんだな、向こうと付き合っていると。

星野 今度は真面目に勉強しようと思っていたんで、まあまあ暮らせるだけの額をもらっていましたし、静かに本を読んでいました。ところが、94年の末にメキシコは通貨危機に陥って、ペソが大暴落するんですよ。ペソでもらっていた僕のお金は物価の急上昇について行けなくて、またまた苦しい状況に陥った。

野谷 もともと少額だし、働くわけにもいかないし。

星野 95年の1月くらいから、かなりの窮乏生活を強いられました。

野谷 その辺の話は、どん底生活をやったG・オーウェル、マルケスのパリ時代みたいで、聞いている方は面白いんだけど。

パリ・ロンドン放浪記 / ジョージ・オーウェル
パリ・ロンドン放浪記
  • 著者:ジョージ・オーウェル
  • 翻訳:小野寺 健
  • 出版社:岩波書店
  • 装丁:文庫(294ページ)
  • 発売日:1989-04-17
  • ISBN-10:4003226224
  • ISBN-13:978-4003226223
内容紹介:
インド帝国の警察官としてビルマに勤務したあとオーウェル(1903‐50)は1927年から3年にわたって自らに窮乏生活を課す。その体験をもとにパリ貧民街のさまざまな人間模様やロンドンの浮浪者の世界を描いたのがこのデビュー作である。人間らしさとは何かと生涯問いつづけた作家の出発にふさわしいルポルタージュ文学の傑作。

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星野 それでも、メキシコ人にはもっと厳しい暮らしをしている人がいますから、いいと言えばいいんですけれど。数か月後に、ペソでもらっていた奨学金が物価のインフレ分に合わせて引き上げられたので、助かりました。で、その頃、セルバンテスの『ドン・キホーテ』を原語で読んだことが、僕にとってまた決定的な経験になるわけです。それで95年の夏に帰ってきた。

野谷 これは人から聞いた話だけれども、ほかの連中は街をあちこち出歩いているが、星野君だけは本を読んでいた。そして、落ち込んでいたと(笑)。

星野 あのころの写真を見ると、本当に頬がこけています。滞在のためにはヴィザや学生証の交付など、いろいろな役所の手続きが必要なわけですが、これまた窓口の対応がひどいわけです。確か学生ヴィザだったと思うけれど、来週来いと言って行くと、まだできてないから来月来い、と言う。素直にそれに従うと、また同じことを言われる。袖の下を渡せばいいいのに、こちらも意地になって窓口で机叩いて日本語で怒鳴ってなんてことをする。そんなことが相次いで腹を立てまくり、俺はこんな国嫌いだ! と思う。けれども我に返れば、腹を立てることができるようになったというのはこちらに住んでいる人の感覚に少し近づいたのかなと考えたりもしました。

野谷 メキシコに限らず、第三世界の国に深入りした人は、程度の差はあるけれど、ある時期必ず嫌いになるね。最初はロマンティックな状態だから、何が起こっても面白い。観光客の段階ならまだいいんですよ、恋してるから。ところが、ある期間住むことになったら、あばたが見えてきて、嫌になって帰ってくる(笑)。

星野 それをさらに越えなくてはいけないんでしょうけどね。そこまで深入りしないで帰ってきました。

野谷 僕の場合だって色々あった。問題はそういうトラブルも面白いと思えるかどうかですね。今回は、老いらくの恋でメキシコがまた好きになった(笑)。まあ、余裕の差もある。

星野 スコールが来ると必ず停電なんですよ。ロウソクの灯で本を読むなんて結構やりましたよ。机の上にロウソクをいつも用意していました。ガスもしょっちゅう切れるから、シャワーを浴びている途中で水になることなども普通。逆に、体中に石鹼をつけてさあ落とそうと栓をひねったら水が出ないなんてこともありました。そういう日に恐ろしいのは、トイレですね。特に下痢をしているとき(笑)。ホームステイ先の一家が全員でそのトイレを使っている時なんか……(笑)。

野谷 蛍雪時代ですね。メキシコ市は雪こそ降らないけれど、冬は意外と寒いでしょう。

星野 ええ。でも、ストーブがないんですよ。毛布にくるまっているしかありませんでした。僕の友達は寒さしのぎに自ら熱を産むと言って、盛んに腕立て腹筋をしていました(笑)冬になると逞しくなるんです(笑)。

野谷 だけど、そういう体験をすると、日本でラテンアメリカ文学を読むとエキゾチシズムを楽しむだけで終わりがちだけれども、より深く入れますね。

星野 僕の場合は、そのとば口に過ぎませんが。

翻訳と引用から文体の創造へ

野谷 その頃もうすでに、ラテンアメリカと日本を重ね合わせたような小説を書こうと思い立っていたんですか?

星野 そろそろ考えはじめていました。最初にメキシコから帰ってきて、待ちぼうけの2年間をどうしようと思っていた時、本格的に新人賞への応募を前提とした小説を書き始めているわけです。また、その時期にスペイン語の翻訳も始めていました。翻訳体験と小説を本格的に書き始めた時期が重なっています。二度目にメキシコに行った時は、その両方の作業を続けていました。

野谷 さっきも話に出たけれど、翻訳も星野君にとって重要なモメントですね。二つ理由があって、まず、翻訳をすると作品をより深く読めるんですね。楽しく読めるという段階を経て、作品の文体にまで目配りがゆく。作家のリズムや息遣いまで理解できる。

星野 書く体験を再現しているわけですから。

野谷 すると、日本語に対してもすごく意識的になるわけです。どういう日本語を当てていいか悩みますから。翻訳経験を経ている作家たちには、文章が単に上手いというのではなく、核のようなものがあります。それは固くて動かないものではなく、むしろ柔軟で、異種混淆を可能にするような何かです。なんだか「混血性」や「クレオール性」の説明みたいですが、自分の体験からしても、そんなものが存在する気がするんです。外国文学の翻訳を経て小説家になるというのは、明治の初めからですね。

星野 日本近代小説の始まりですね。

野谷 星野君には何度か下訳を頼みましたね。面白いのは、最初はスペイン語の力がないから原文と乖離しているんだけれども、日本語の力があるから、上手く誤訳してくるんですよ(笑)。これは大したものだった。原文は読めていないのに、ちゃんと物語の筋が通るんです。チェックをする時はそれが一番困るんだな。

星野 お手数お掛けしました。通りが良すぎる翻訳だ、と叱られましたね(笑)。

野谷 まあ、文章を書く力があるということでしょう。それから、翻訳でずいぶん文体の実験もしたと思います。自分だけで小説を書いていると、ある種のスタイルができたら、そこからなかなか抜け出せないわけです。翻訳では、どうしても対象に合わせなくてはいけないんで、本来だったら自分が書かないような文章を書かなくてはならない。たぶん、自分が揺さぶられる経験をしたはずです。

同時に、これはいいのか悪いのか分からないけれども、星野君はいろんなフレーズをインプットしているわけです。小説の中に、マルケスやら中上やらのフレーズがあちこちに出てくる。普通の読者がどのくらい分かるのかは見当がつきませんが、ラテンアメリカ文学を知っているものとしてはとても楽しい。これは意識的な遊びなのかな。

星野 最初は蓄積された自分の好きな言葉を全部嵌め込むということを、一つの方法としてやっていました。ただ、「最後の吐息」から「溶けた月のためのミロンガ」までで思いきりやってしまったので、今はそこから少し離れたいという気持が出てきています。

嫐嬲 / 星野 智幸
嫐嬲
  • 著者:星野 智幸
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:単行本(189ページ)
  • 発売日:1999-10-01
  • ISBN-10:4309013104
  • ISBN-13:978-4309013107
内容紹介:
川の字の形でうわなり、なぶり、ねたみあう、女男女、男女男。みずみずしい奇蹟の氾濫を描いた小説。表題作のほか、「裏切り日記」「溶けた月のためのミロンガ」を収録。

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野谷 初期の作品には、モザイク的に引用があるという感じでした。ブニュエルとダリの「黄金時代」をノベライズしてしまったりして。それがだんだんこなれて、自分の言葉になってゆくというプロセスが感じられます。今も引用はあるけれども、それが透けて見えることはなくなりましたね。かつては、意識的に引用だと見せようとしている感じで、パロディ的な性格が強かったけれども、今はパロディを越えつつある。

星野 引用という手法は『ドン・キホーテ』から学びました。こういう風に小説ができるんだ、と感銘を受けたんです。あの小説は、騎士道小説の言葉がびっしり嵌め込まれていて、しかも、ドン・キホーテが騎士道小説を自分で創作して語り始めてしまうようなところさえあります。単なる方法ではなくて、抜き差しならない愛憎関係のようなものが出ているんですね。

セルバンテスも、ただ単に騎士道小説を読んでいるわけではなくて、自分自身の厳しい生涯と密接に関わって読んでいるような気がします。自分の現実を小説で覆そうという気持があったから、『ドン・キホーテ』を書いたわけですね。しかも、実際は小説を現実に持ち込んでもちっとも覆らない。それが小説の始まりだ、という意味で、僕の始まりもそうであっていいのではないかと思ったんです。

野谷 『ドン・キホーテ』の読みの歴史について言うと、喜劇的な読みから途中で解釈が変わって、「憂い顔の騎士」というロマン主義的な読みが前面に出てくるんですね。ユーモラスな部分が後退して、哲学的に深刻な小説になったというか。ただ、僕はユーモラスな部分が好きで、それがなくなったら、楽しみが半減してしまうような気がしているんですね。あんまり思索的、哲学的に『ドン・キホーテ』を読んでしまうと笑えなくなってしまいます。不謹慎な気がしちゃうんですね。

星野 僕も思いきり喜劇的に読んでいます。現実を覆そうとした時に、セルバンテスが一番武器にした方法は、言葉と現実の落差が生む、残酷なほどの滑稽さです。言葉を通してしか現実は捉えられないのに、言葉で書かれた現実はどこかズレてしまう。その間には意図しては作りえない深淵がありますね。それを前面に出して、一篇の小説を語り通したのが、セルバンテスの凄いところです。僕は『ドン・キホーテ』を読んでいると、笑い転げてしまうんです。事件そのものがおかしいというよりも、ズレ具合に心をくすぐられるんですね。それこそが小説だと考えたいと思っています。

ドン・キホーテ〈前篇1〉  / セルバンテス
ドン・キホーテ〈前篇1〉
  • 著者:セルバンテス
  • 翻訳:牛島 信明
  • 出版社:岩波書店
  • 装丁:文庫(431ページ)
  • 発売日:2001-01-16
  • ISBN-10:4003272110
  • ISBN-13:978-4003272114
内容紹介:
騎士道本を読み過ぎて妄想にとらわれ、古ぼけた甲胄に身を固め、やせ馬ロシナンテに跨って旅に出る。その時代錯誤と肉体的脆弱さで、行く先々で嘲笑の的となるが…。登場する誰も彼もがとめどもなく饒舌な、セルバンテスの代表作。

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野谷 ラテンアメリカにはセルバンティストがたくさんいるけれども、あの哄笑を生む落差を書ける作家はそうはいない。言葉のレヴェルならボルヘス、あるいはカルペンティエール。でも、やっぱりマルケスかな。現実的現実を失うことなく、言葉の力で笑わせられるのは、彼ぐらいしかいないでしょう。

星野 初代のホセ・アルカディオ・ブエンディーアがものすごい研究をしている場面が地の文で延々と語られた後で、一言「地球はオレンジのように丸いんだ」とカギカッコで発表する時の、あの落差のおかしさ。

野谷 爆弾みたいなユーモアですね。どうも今はそれをしかつめらしく読んでしまう傾向があって、面白くない。

星野 素直に読まずに、現代思想的なフィルターのみを通して読んでしまうところがありますね。

野谷 『百年の孤独』の初めの方に、錬金術に凝った初代の族長がついに金の塊らしきものを抽出して、それを息子に見せると、息子は「犬の糞だろ」と本気で答える場面がありますね。そのあと、「父親は手の甲で、血が吹きだし涙がこぼれるほど強く彼の口のあたりをなぐった」と続くんだけれど、僕はここがおかしくて仕方がない。ドン・キホーテとサンチョの落差を利用しているんです。これを息子が可哀いそうなんてやってたら面白くもなんともありませんね。もちろん、ラテンアメリカでも、みんなユーモラスな方向から読んでいるわけではなく、チェ・ゲバラなんかは自分の姿を重ね合せて真面目に読んでいたと思うけれど。

星野 ヒーロー小説として読むわけですね。『ドン・キホーテ』はどう読んでもいいぐらい広い小説ですから、当然ありうると思います。

百年の孤独 / ガブリエル・ガルシア=マルケス
百年の孤独
  • 著者:ガブリエル・ガルシア=マルケス
  • 翻訳:鼓 直
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:単行本(492ページ)
  • 発売日:2006-12-01
  • ISBN-10:4105090119
  • ISBN-13:978-4105090111
内容紹介:
蜃気楼の村マコンド。その草創、隆盛、衰退、ついには廃墟と化すまでのめくるめく百年を通じて、村の開拓者一族ブエンディア家の、一人からまた一人へと受け継がれる運命にあった底なしの孤独は、絶望と野望、苦悶と悦楽、現実と幻想、死と生、すなわち人間であることの葛藤をことごとく呑み尽しながら…。20世紀が生んだ、物語の豊潤な奇蹟。

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新潮 2000年7月号

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