コラム

くぼた のぞみ『J・M・クッツェーと真実』(白水社) 、J・M・クッツェー『J・M・クッツェー 少年時代の写真』(白水社)

  • 2025/04/13
J・M・クッツェーと真実 / くぼた のぞみ
J・M・クッツェーと真実
  • 著者:くぼた のぞみ
  • 出版社:白水社
  • 装丁:単行本(328ページ)
  • 発売日:2021-10-16
  • ISBN-10:4560098689
  • ISBN-13:978-4560098684
内容紹介:
日本初のクッツェー論「クッツェーを翻訳することは、彼の視点から世界全体を見直すレッスンだった」――ノーベル文学賞作家J・M・クッツェーの翻訳を80年代から手がけてきた著者が、クッツェ… もっと読む
日本初のクッツェー論

「クッツェーを翻訳することは、彼の視点から世界全体を見直すレッスンだった」
――ノーベル文学賞作家J・M・クッツェーの翻訳を80年代から手がけてきた著者が、クッツェーの全作品を俯瞰し、作家の実像に迫る待望のクッツェー論。
1940年、南アフリカのケープタウンでオランダ系植民者の末裔として生を受けたクッツェーは、故郷を出て、生まれ育った土地の歴史について外部から批判する視点を養い、自らを徹底検証し、植民地主義を発展させた西欧の近代思想を根底から問い直す試みを、創作を通して行ってきた。著者は、作品を取り巻く社会的・歴史的背景、作家の動機と心情、その変遷に深い針を入れるように調べていく。自伝的三部作を翻訳するためにケープタウンを訪れ、少年時代を過ごした家や風景を見て歩き、フィクションと自伝の境界を無化しようとする作品の、奥深くに埋めこまれた「真実」を解き明かしていく過程はスリリングだ。
作家が来日した時の様子や、アデレード大学で開かれたシンポジウムに招待され、作家の自宅でゲストたちと食事を共にした時のエピソード、言語と出版についての作家のラディカルな活動、翻訳作業の過程のやりとりから伝わってくる作家の素顔も貴重な証言となっている。巻末に詳細な年譜と全作品リストを付す。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

J・M・クッツェー 少年時代の写真 / J・M・クッツェー
J・M・クッツェー 少年時代の写真
  • 著者:J・M・クッツェー
  • 出版社:白水社
  • 装丁:単行本(ソフトカバー)(198ページ)
  • 発売日:2021-10-16
  • ISBN-10:4560098697
  • ISBN-13:978-4560098691
内容紹介:
写真とフィクションの関係をひもとく「真実があらわになる瞬間に立ち会うこと、それに興味があったんだと思う。半分は発見されるが、もう半分は創造される瞬間に。」――J・M・クッツェーアパ… もっと読む
写真とフィクションの関係をひもとく

「真実があらわになる瞬間に立ち会うこと、それに興味があったんだと思う。半分は発見されるが、もう半分は創造される瞬間に。」――J・M・クッツェー
アパルトヘイトが強化されていく1950年代、クッツェー自身がケープタウンのカレッジ時代(12歳~16歳頃)に撮影した貴重な写真が2014年に見つかった。作家が10代のころ、写真家になりたいと思っていたということは最近まであまり知られていなかった。『少年時代』の世界が目の前に立ち現れたような131点の写真をクッツェー研究者のハーマン・ウィッテンバーグが分析し、編んだのが本書である。写真とフィクションがどう結びついているのかを考察する最良の資料だ。
学校の友人や教師をスパイカメラで盗み撮りした写真、スポーツイベントの様子、ケープタウンの自然環境や建物、受け継がれてきたカルーの農場と労働者など生活の様子を撮影した写真だけでなく、人種隔離政策が浸透していった50年代の南アフリカの政治状況を記録する写真もある。そこから、自身が身を置く特権的な白人世界の境界を押し広げようとする作家の姿が見えてくる。また、初めて公開される16歳の蔵書の写真からは、作家の自己形成期への影響が見て取れる。クッツェーのインタビューも収録!

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

英語に抗いつつ英語で記す葛藤

二〇〇三年にノーベル文学賞を受賞した南アフリカ出身の作家、J・M・クッツェーに関する読み応えのある書物が二冊同時に刊行された。第一作『ダスクランズ』をはじめ、『マイケル・K』『鉄の時代』『サマータイム、青年時代、少年時代 辺境からの三つの<自伝>』『モラルの話』などを日本語に移してきた翻訳者・詩人による批評的エッセイと、そのなかでも触れられている、クッツェーが十代の頃に撮影した写真集である。

クッツェーは一九四〇年、南アフリカ、ケープタウンに生まれている。その名前から察せられるように、十七世紀、欧州からやってきたオランダ系の入植者の血を引いている白人アフリカーナである。クッツェーは入植者の言語からクレオール的に発達したアフリカーンス語のほか、オランダ語とドイツ語をよくするのだが、家庭内では英語を使用していた。

こうした単一ではない言語環境が「わたしの本は英語という言語にルーツをもっていない」とする後の発言のもととなっている。実際、彼の作品には、南アフリカ英語特有の単語が滑り込んでいて、注意深く読まないとそこに込められた微妙な含意を見落としてしまう。

ところで、南アフリカを語る際には、どうしてもアパルトヘイトの歴史に触れざるを得ない。オランダ系白人アフリカーナを支持母体とする国民党が政権を掌握し、合法的な差別制度のもとで統治を始めたのは一九四八年。クッツェーは白人階級としてその恩恵を被った世代である。少年時代、カルティエ・ブレッソンに憧れていたクッツェーは、ライカのコピー機を手に入れて、撮影から現像までをこなしていた。二〇一四年に発見された写真には、自伝的小説の記述に呼応する興味深いショットが含まれているのだが、なかに一枚、当時の書棚を写したものがあり、少年の読書傾向が完全に高度な西洋の教養に向かおうとしているのが見て取れる。

大学で数学を学び、卒業後はロンドンのコンピュータ会社に勤めた。いったん帰国して修士号を取り、再度のロンドン暮らしを経て、一九六五年、奨学金を得て米国オースティンのテキサス大学大学院に留学、教師をしながらベケットの英語小説文体論で博士号を取得し、永住の可能性を探っていた。ところが七一年、ある事件によって帰国を余儀なくされる。予想外の路線変更が彼のなかで故国の特殊性をより鮮明に際立たせ、その後のめざましい作家活動への契機となった。

英語に抗いつつ英語で記すことの葛藤は、二〇〇二年、南アフリカを去ってオーストラリアに移住してからもつづいた。「装飾表現を極限まで削った、シンプルで静かな、鋼のように硬質な文体」と賞されるその作品が、単一言語主義の南の国で違和を感じながらどのように変化していくのかを、著者は作品に即して丁寧に解き明かしていく。

創作と並行して、「北」の文化と言語への抵抗として試みたのが、南部アフリカ、オーストラリアとその近海諸国、南アメリカの国々を結ぶ「カテドラ・クッツェー/南の文学」という、欧米を経由しない学生、文学者、研究者たちとのセミナーである。英語を媒介とする「世界文学」の空気を入れ換えるために必要な「レジスタンス」だった。

自伝三部作もまた、語りにおける抗いである。「自伝はすべてストーリーテリングであり、書くということはすべて自伝である」との認識に立てば、自己を語ることにともなう否応ない虚構化によって過去の自分とのあいだに距離が生まれ、時代や環境を俯瞰することができる。作中のクッツェーが死者になり、他の人物が彼について証言を重ねる趣向の第三部『サマータイム』は、まさに「他者による自伝」なのだ。

二〇一三年刊の『イエスの幼子時代』にはじまるイエス三部作も、その延長線上にある。父と息子の関係を描くこの連作には、二十代の息子を事故で亡くしたクッツェー自身の体験も織りこまれていて、贖罪のにおいもする。それでいて宗教や生死に関わる根源的な問いが突き付けられているのは、「他者による自伝」の作法が、記述のべたつきを取り除いているからだろう。

ところで本書の隠れた力は、「エピローグ」で語られた著者自身の生い立ちにある。北海道開拓民の第三世代。未開の地に文明をもたらしたとする彼らの物語がどんな犠牲の上に成り立っていたのかは言うまでもない。『少年時代』を読んでいるとき「これはあなたの仕事だという声が聞こえてきた」と振り返る著者の言葉が、柔軟な筆致に厳しさをもたらすのは、この一冊がクッツェーという近しい他者を通して描いた、まぎれもない自伝でもあるからではないだろうか。

J・M・クッツェーと真実 / くぼた のぞみ
J・M・クッツェーと真実
  • 著者:くぼた のぞみ
  • 出版社:白水社
  • 装丁:単行本(328ページ)
  • 発売日:2021-10-16
  • ISBN-10:4560098689
  • ISBN-13:978-4560098684
内容紹介:
日本初のクッツェー論「クッツェーを翻訳することは、彼の視点から世界全体を見直すレッスンだった」――ノーベル文学賞作家J・M・クッツェーの翻訳を80年代から手がけてきた著者が、クッツェ… もっと読む
日本初のクッツェー論

「クッツェーを翻訳することは、彼の視点から世界全体を見直すレッスンだった」
――ノーベル文学賞作家J・M・クッツェーの翻訳を80年代から手がけてきた著者が、クッツェーの全作品を俯瞰し、作家の実像に迫る待望のクッツェー論。
1940年、南アフリカのケープタウンでオランダ系植民者の末裔として生を受けたクッツェーは、故郷を出て、生まれ育った土地の歴史について外部から批判する視点を養い、自らを徹底検証し、植民地主義を発展させた西欧の近代思想を根底から問い直す試みを、創作を通して行ってきた。著者は、作品を取り巻く社会的・歴史的背景、作家の動機と心情、その変遷に深い針を入れるように調べていく。自伝的三部作を翻訳するためにケープタウンを訪れ、少年時代を過ごした家や風景を見て歩き、フィクションと自伝の境界を無化しようとする作品の、奥深くに埋めこまれた「真実」を解き明かしていく過程はスリリングだ。
作家が来日した時の様子や、アデレード大学で開かれたシンポジウムに招待され、作家の自宅でゲストたちと食事を共にした時のエピソード、言語と出版についての作家のラディカルな活動、翻訳作業の過程のやりとりから伝わってくる作家の素顔も貴重な証言となっている。巻末に詳細な年譜と全作品リストを付す。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

J・M・クッツェー 少年時代の写真 / J・M・クッツェー
J・M・クッツェー 少年時代の写真
  • 著者:J・M・クッツェー
  • 出版社:白水社
  • 装丁:単行本(ソフトカバー)(198ページ)
  • 発売日:2021-10-16
  • ISBN-10:4560098697
  • ISBN-13:978-4560098691
内容紹介:
写真とフィクションの関係をひもとく「真実があらわになる瞬間に立ち会うこと、それに興味があったんだと思う。半分は発見されるが、もう半分は創造される瞬間に。」――J・M・クッツェーアパ… もっと読む
写真とフィクションの関係をひもとく

「真実があらわになる瞬間に立ち会うこと、それに興味があったんだと思う。半分は発見されるが、もう半分は創造される瞬間に。」――J・M・クッツェー
アパルトヘイトが強化されていく1950年代、クッツェー自身がケープタウンのカレッジ時代(12歳~16歳頃)に撮影した貴重な写真が2014年に見つかった。作家が10代のころ、写真家になりたいと思っていたということは最近まであまり知られていなかった。『少年時代』の世界が目の前に立ち現れたような131点の写真をクッツェー研究者のハーマン・ウィッテンバーグが分析し、編んだのが本書である。写真とフィクションがどう結びついているのかを考察する最良の資料だ。
学校の友人や教師をスパイカメラで盗み撮りした写真、スポーツイベントの様子、ケープタウンの自然環境や建物、受け継がれてきたカルーの農場と労働者など生活の様子を撮影した写真だけでなく、人種隔離政策が浸透していった50年代の南アフリカの政治状況を記録する写真もある。そこから、自身が身を置く特権的な白人世界の境界を押し広げようとする作家の姿が見えてくる。また、初めて公開される16歳の蔵書の写真からは、作家の自己形成期への影響が見て取れる。クッツェーのインタビューも収録!

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2021年11月6日

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