対談・鼎談

『ロマノフ家の最期』A・サマーズ/T・マンゴールド|丸谷才一+木村尚三郎+山崎正和の読書鼎談

  • 2017/08/28

山崎 わたくしにとって非常におもしろかったのは、これはルポルタージュ文学というものの中の、一種の前衛作品ではないかという感じがしたんです。というのは、まず第一に普通のルポルタージュ文学というものは、何らかの意味において現代的意義のある事件を追及する、これが要諦ですよね。ところが、いまやロマノフ一家が現代史にどんな問題をもってるかというと、何にも関係がない。あの人たちがどう殺されようが、あるいはどこで殺されようが、現在のわれわれの生活に何の痛痒もないわけですね。これは英語でいうと、レレヴァンシー(relevency)というものを完全に欠如した事件なのです。だから本来なら、われわれには興味ないはずなんですが、非常におもしろいんです。ということは、いみじくも丸谷さんおっしゃったけど、まさに高級なる探偵小説ですね。探偵小説の中の架空の人物が密室で殺されたかどうかという話は、われわれにまったくレレヴァンシーがないんだけれどもおもしろい。

しかも、普通ルポルタージュ文学というのは、最後に新しい事実を立証するのが普通なんですね。この公害は、これこれの理由によって起こったのであって、通常いわれてるのは間違いだという。そして、間違いであるというときには、むしろポジティブな証拠を出してくる。ところがこの本は、最後まで大きなクエスチョンマークを打つだけで、ついにわからんと書いてある。これは探偵小説として読んでも、じつに前衛的な探偵小説なんでね。一所懸命読んでゆくと、最後に作者にもわからんと書いてある(笑)。

丸谷 一つには、この著者たち、何か信用できるって感じがするのは、わからないことはわからないと書いてあるんだね。

山崎 そうそう。調査活動そのもののリポートなんですよ。事実のリポートではないわけね。それを通して、過去にあった一つの幻影がこわれるというだけで新しい事実は構築されない。じつにこれは不思議なもので、文学者が自
分の作品を書くプロセスを作品にしているようなところがあるんだな。

丸谷 つまり、ナボコフ(アメリカの白系ロシア人小説家。『ロリータ』の作者)の小説なんかの手法と近いわけです。あるいは、身近な例でいうと、『越山会の女王』の児玉隆也からはじまった日本のルポルタージュの方法に近いし、これをもっと壮大にすれば、森鴎外の晩年の三つの史伝(『澀江抽斎』『伊沢蘭軒』『北条霞亭』)の手口ですね。

淋しき越山会の女王―他六編  / 児玉 隆也
淋しき越山会の女王―他六編
  • 著者:児玉 隆也
  • 出版社:岩波書店
  • 装丁:文庫(319ページ)
  • 発売日:2001-02-16
  • ISBN-10:4006030312
  • ISBN-13:978-4006030315

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渋江抽斎  / 森 鴎外
渋江抽斎
  • 著者:森 鴎外
  • 出版社:岩波書店
  • 装丁:文庫(389ページ)
  • 発売日:1999-05-17
  • ISBN-10:4003100581
  • ISBN-13:978-4003100585
内容紹介:
渋江抽斎(1805‐58)は弘前の医官で考証学者であった。「武鑑」収集の途上で抽斎の名に遭遇し、心を惹かれた鴎外は、その事跡から交友関係、趣味、性格、家庭生活、子孫、親戚にいたるまでを克明に調べ、生きいきと描きだす。抽斎への熱い思いを淡々と記す鴎外の文章は見事というほかない。鴎外史伝ものの代表作。改版。

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森鴎外全集〈7〉伊沢蘭軒 上  / 森 鴎外
森鴎外全集〈7〉伊沢蘭軒 上
  • 著者:森 鴎外
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:文庫(529ページ)
  • 発売日:1996-04-24
  • ISBN-10:4480029273
  • ISBN-13:978-4480029270

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鴎外歴史文学集〈第10巻〉北条霞亭 / 森 鴎外,小川 康子,興膳 宏
鴎外歴史文学集〈第10巻〉北条霞亭
  • 著者:森 鴎外,小川 康子,興膳 宏
  • 出版社:岩波書店
  • 装丁:単行本(489ページ)
  • 発売日:2000-07-14
  • ISBN-10:4000923307
  • ISBN-13:978-4000923309

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山崎 まさに森鴎外の史伝のもってる、あるニヒリスティックな恐ろしさ、あるいはニヒリスティックなおもしろさといいかえてもいいですけど、そういうものがこの中にある。

木村 近代人とはかなり違った心理が働いていると思うんですね。近代の人は、一定の視角から敵と味方をはっきり分けて、自分なりに世界をくっきりとまとめあげるという描き方をしたでしょう。それがいまは、複眼的な、敵味方のどちらにも捉われない目で、事実をともかく明らかにしよう、裏からも見よう、表からも見ようというふうに変ってきましたね。

そういうことが、ジャンヌ・ダルクの場合にも現われているんですね。彼女もひところは愛国の乙女といわれたのが、最近は異端者、魔女だったとか、しいていえば女ゲリラ兵士みたいなものだったんじゃないかという意見が出ていますね。あとのはギユマンという人の前衛的なジャンヌ・ダルク論ですけれども、捉われない目で見ているというところがありますね。ですから一まとまりの全貌をくっきり浮かびあがらせようとするのは、むしろ近代人の発想じゃないですか。

山崎 なるほどね。しかし、ジャンヌ・ダルクの場合ですと、フランス国民にとっては、偶像破壊という一つの精神史的な意義があると思うんですね。

ところが、ロマノフ一家がかりに生きていようが死んでいようが、どうってことはないし、ましてやこの場合死んでることは確かで、それがある特定の場所と特定の時間に殺されたかってことが問題になっているだけなんですから、不思議な話です。

丸谷 山崎さんのおっしゃることはよくわかるんですが、この本でじつに今日的な問題というのが一つあると思うんです。十九世紀風のナショナリズムに対するたいへんな批判の本になっているということですね。つまり、十九世紀風のナショナリズムでいくと、各国の君主というものは、みんなお互いに対立する関係のもののはずですよね。ところが、これで読むと、王室はみんな親類付き合い、兄弟付き合いなわけでしょう。

木村 そうですね。さっきのジャンヌ・ダルクも最近では必ずしも国民的英雄じゃなくなってきましたね。ナポレオンも、ジャンヌ・ダルクもだんだん愛国者としてもち出されなくなってきて、ナショナリズム自体が薄らいでいるわけですね。

丸谷 だからこういう本が書かれるようになったんです。

山崎 彼らの出発点が違いますね。たとえば王様を殺すということは、フランス革命の昔からやってきてるんで、政変とか革命とかに血が流れるのは当り前で、そんなことを道義的見地から、たとえどっちの立場からにせよ、問題にしてもはじまらないというところから彼らはスタートしてますからね。

木村 最近の西部劇の映画もそうでしょう。特に白人側の立場にも立たず、インディアンの立場にも立たず、淡々と書くという複眼的な手法が見られますね。

山崎 同じことを繰り返すようですけど、そういうレレヴァンシーを欠如した事柄に対して、かくも熱意を燃やし、かくも面倒な手続きを踏んで、どんどんソコロフ文書を追っかけていくでしょう。そして最後に見つけると、それはもう本の中でいえぱ半ページほどですんでしまうことだけども、考えてみりゃ身の毛もよだつような手数ですよね。一つのことに集中して働く関心のあり方というものに、わたくしは非常に鬼気迫る思いがしましたね。

丸谷 一流の法律家ってのは、こういうもんじゃないかな。ぼくの友だちである語学教師が、法学部教授会に出て驚くことは、法学部の教授たちというものは、ものすごくよくしゃべるんだって。しかもその直前まで、その人間が思ってもいなかったに決まってる立場にパッと立つんだって(笑)。どうしてあんなことができるんだろうっていうから、ぼくは「当り前じゃないか」っていったんだ。それが法律家というもんなんだ。弁護士というのは、依頼主がくるまで思ってもいなかった立場に立つ商売じゃないか……(笑)。

山崎 それはたいへんこの本にとって適切な批評だと思う。というのは、彼は弁護士の立場に立ってますから、ソコロフ検事が告発したことの根拠を崩せばいいわけで、真犯人をつかまえてくる必要はない。

丸谷 真犯人をつかまえるのは、ペリー・メイスンという弁護士だけです(笑)。

山崎 あれは邪道ですね(笑)。

テレビ的ということについていえばね、彼らが問題を追っかけていくときに、概して彼らが鋭い目を向けるのは、事柄及びものなんです。対象が人間になりますと、突然非常に甘くやさしくなってしまう。アメリカでアナスタシア
と会うところがありますね。非常に劇的になるはずなんですが、これがじつにつまらない。これは雑誌のライターや新聞記者が人に会うときの会い方ではないですね。

(次ページに続く)
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