文芸時評
北村浩子「新刊めったくたガイド」本の雑誌2017年1月号『浮遊霊ブラジル』『流しの下のうーちゃん』『リリース』『逃げろツチノコ』
『浮遊霊ブラジル』の“物語消費の罪”におののく
20年以上読んできた雑誌(事務局注:本の雑誌社「本の雑誌」)に自分の名前が載るなんて……人生生きてみるものだなあと思っております。はじめまして。北村と申します。ラジオで本を紹介しています。国内小説を担当させていただきます。今号は今年のベスト10掲載号。2016年はラジオ関連でも記憶に残る作品がいくつもあった。深夜のコンビニで働く「メール職人」男子の語りで綴られた、佐藤多佳子『明るい夜に出かけて』(新潮社一四〇〇円)は、ラジオがいかに人の心の細部にまで入り込めるのかが書かれている小説だったし、第二次大戦のヨーロッパを主な舞台に、盲目のフランス人少女とドイツ人青年兵士の邂逅を描いたアンソニー・ドーア『すべての見えない光』(藤井光訳/新潮クレスト・ブックス二七〇〇円)は、2人をひそかにつないでいるのが(つまり「見えない光」のひとつが)ラジオだった。ノンフィクションでは、柳澤健『1974年のサマークリスマス 林美雄とパックインミュージックの時代』(集英社一六〇〇円)。はぐれ者的魅力を持ったTBSアナウンサーの深夜番組が、多くのリスナーにとって「聴き逃せない番組」になってゆく過程にぞくぞくさせられた。
本とラジオは相性がいい。どちらも、受け手の想像を得て広がるという点で共通している。そんなわけで、今日は想像を存分に刺激してくれる4作をご紹介します。
まずは短編集『浮遊霊ブラジル』(津村記久子/文藝春秋一三〇〇円)。定年退職した男が、昔住んでいた町に引っ越して来た日の数時間を書いた川端康成賞受賞作「給水塔と亀」、独善的な店主のいるうどん屋で、常連の男性が遭遇したあるできごと「うどん屋のジェンダー、またはコルネさん」など7作が収められている。この2作のように、現実世界の話ももちろんいいのだが、あの世に行った人間が語り手となる作品がすばらしい。
ずばり「地獄」と題された一篇。バスツアーの事故で死んだ小説家が送られたのは「その人の業に合ったタスク」が課される地獄だった。小説家は生前、映画やスポーツや新聞の悩み相談など、身の回りに存在するあらゆる物語を日夜むさぼっていたため、「物語消費罪」にふさわしい試練をこなさなければならなくなる。また、表題作の「浮遊霊ブラジル」は、72歳で突然死した男性が、町内会で企画していたアイルランドのアラン諸島への旅行をどうしても諦めきれず、人に(穏便に)憑りつく浮遊霊になって、なんとかアラン諸島へ行こうと画策する。
仕事という現実を、美化せず文章に移し替えることを長年やってきた津村さんの去年の長篇『この世にたやすい仕事はない』は、仕事小説にSF風味が加えられていた。この作品集の2編は、ブラックユーモアにあたたかさを混ぜたSFだ。物語消費罪に対する試練の内容、そしてアラン諸島じゃなくなぜブラジルなのかは、ぜひ読んで確かめてください。
「あの世」はこちらにもあった。『流しの下のうーちゃん』(吉村萬壱/文藝春秋一二〇〇円)は、著者と同名の作家が主人公の、なんとマンガである。27年間の教員生活にピリオドを打ち、52歳で専業作家になることを決めた吉村萬壱氏は、築70年の古民家を仕事場として借り、うさぎのうーちゃんとともに生活を始める。ところが、時間はたっぷりあるのに、まったく書けない。うとうとすれば、焦燥感は悪夢と化す。
懊悩する萬壱氏は、あるとき、流しの下に入ったうーちゃんを追いかけ、異世界へ足を踏み入れる。作家の飲み会に呼ばれたはずなのに、アゴの割れた見知らぬ男と巨大な女につきまとわれ、逃走の果てに強制労働の作業場に送り込まれてしまう──という、一応冒険ものなのだが、なんと言っても強烈なのは、粘っこさを含んだキモチワルくてユーモラスな絵柄だ。読後も、アゴ割れ男の大きな毛穴と、ぬめっとした笑い顔が頭から離れない。著者の小説の、活字から目をそむけたくなるような魅力は、このマンガにもしっかりある。でもマンガだと、舐めるように見てしまうから不思議。
異世界と言えば、古谷田奈月『リリース』(光文社一六〇〇円)は、同性愛者がマジョリティとなった世界に生きる若者たちを描いたディストピア小説だ。女性首相が同性婚を合法化し、精子バンクを国営化しただけでなく、男女同権のルールを国のすみずみまで行き渡らせたオーセル国。子どもを産むためのセックスは用無しとなり、異性愛者は自分の「趣向」を隠しながら生きている。そのオーセル国で起きた、異性愛者の男性による精子バンク占拠事件を軸に展開される物語の、抜き差しならない緊張感たるや。「平等」な世界でも、すべての人が己の欲求を肯定しながら生きるのは──「個を生きる自由」を獲得することは不可能なのか。突き付けられる問いは重いが、考え抜かれた末の言葉で構築されたこの小説を体験しない手はない。事件の裏側の企みが次第にあきらかになってゆくミステリーでもある。
「現実のミステリー」として最近大いに楽しませてくれたのは、約40年ぶりに復刊された『逃げろツチノコ』(山本素石/山と渓谷社一二〇〇円)だ。大きな口、ビール瓶のような体躯、驚異の跳躍力。70年代にブームとなった幻の動物を、そもそも探し始めたのは著者ら渓流釣り愛好者で結成された「ノータリンクラブ」のメンバーだった。歩いて集めた目撃談、ちょっとユルい捕獲作戦、そしてタイトルの「逃げろ」の謎。日本の山村のどこかに、異世界への入り口があるのかもなあと想像させてくれる名エッセイ、表紙カバーの仕掛けにキャーッ! でした。
ALL REVIEWSをフォローする