書評

『国境の南、太陽の西』(講談社)

  • 2017/11/18
国境の南、太陽の西  / 村上 春樹
国境の南、太陽の西
  • 著者:村上 春樹
  • 出版社:講談社
  • 装丁:文庫(302ページ)
  • 発売日:1995-10-04
  • ISBN-10:4062630869
  • ISBN-13:978-4062630863
内容紹介:
今の僕という存在に何らかの意味を見いだそうとするなら、僕は力の及ぶかぎりその作業を続けていかなくてはならないだろう-たぶん。「ジャズを流す上品なバー」を経営する、絵に描いたように幸せな僕の前にかつて好きだった女性が現われて-。日常に潜む不安をみずみずしく描く話題作。
島本さん、という魅力的で不可思議な女性が絡んでこなかったら、主人公「僕」の人生は、どこにでもありそうで、まあその中ではかなりよくできたほう、といったものだ。

ほどほどの屈折と、ほどほどの挫折と、ほどほどの幸福と。僕の人生は、現代の日本における一典型とも言える。そんな中で島本さんの影は、常に彼の「今」に降り立ち、「その奥」あるいは「その先」にある何かを考えさせる。

二人の出会いは十二歳のとき。互いに一人っ子であることから、心が通いあうようになった。違う中学に進学し、会うことはなくなってしまったが、のちのち僕は、何かにつけ島本さんを思い出す。ガールフレンドといるときも、その従姉とのセックスに溺れるときも、つまらない会社にいるときも。

三十歳で結婚した僕は、義父の所有するビルでジャズ・バーを始め、成功した。そのバーで、二人は再会する。

僕は終始一貫して彼女のことを「島本さん」と呼ぶ。まるで時を越えて、十二歳のときのままの彼女に、呼びかけているようだ。かつて二人の過ごした濃密な時間は、人生で一番満たされたい部分を、早くも満たしてしまっていたのかもしれない。だからその後の僕は、ぽっかりとした穴を抱えこんでいる。

島本さんと再会することによって、今の生活に、あるものとないものとを認識する僕。

つまり彼女とは、そういう存在なのだ。島本さんがいなければ僕は、人生なんてこんなもん、と思っていたことだろう。さらに、彼女との再会は、何の過不足もない家庭生活に危機をもたらす。それでも僕は、島本さんを求めつづける。

島本さんとの恋愛は、ほどほどの人生を、許さない。彼女自身の言葉にあるように、中間というものは、ない(彼女との会話や小さな旅は、どきどきするほど素敵だ)。僕にとっては、島本さんがすべてとなる人生も見えてくる。

が、いっぽうで彼は、妻や娘への思いも確認することになる。客観的にはほどほどでも、本人にとってはかけがえのないものが、そこには育ちはじめていたのだ。

最後に、僕の机のなかにあったはずの白い封筒がなくなる、という短いエピソードがある。もしかしたら島本さんも、いたはずなのにいない人、なのかもしれない。そう思いたくなるほど、島本さんは謎だらけで、二人の恋愛は、心のぎざぎざが嚙み合っている。まるで僕を裏返したのが、島本さんであるかのように。

【この書評が収録されている書籍】
本をよむ日曜日 / 俵 万智
本をよむ日曜日
  • 著者:俵 万智
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:単行本(205ページ)
  • 発売日:1995-03-01
  • ISBN-10:4309009719
  • ISBN-13:978-4309009711
内容紹介:
大好きな本だけを選んで、読んだ人が本屋さんへ行きたくなるような書評を書きたい-朝日新聞日曜日の書評欄のほか、古典文学からとっておきのお気に入り本まで、バラエティ豊かに紹介する、俵万智版・読書のススメ。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

国境の南、太陽の西  / 村上 春樹
国境の南、太陽の西
  • 著者:村上 春樹
  • 出版社:講談社
  • 装丁:文庫(302ページ)
  • 発売日:1995-10-04
  • ISBN-10:4062630869
  • ISBN-13:978-4062630863
内容紹介:
今の僕という存在に何らかの意味を見いだそうとするなら、僕は力の及ぶかぎりその作業を続けていかなくてはならないだろう-たぶん。「ジャズを流す上品なバー」を経営する、絵に描いたように幸せな僕の前にかつて好きだった女性が現われて-。日常に潜む不安をみずみずしく描く話題作。

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