書評
『最終目的地』(新潮社)
人生そのものを肯定するぬくもり
空港に着くたび、搭乗案内の電光掲示板をしげしげと眺めてしまう。離陸時刻、搭乗機、目的地が並ぶ無機質な配列。タヒチ、上海、ムンバイ、ヘルシンキ。または札幌、出雲、宮古島……突拍子のない衝動につかまる。どこへ向かってもおなじ旅があるなら、たったいま目的地を変更して、べつの場所をめざすこともできるではないか。人生もおなじなのだ。いま選ぼうとしている場所、それが最終の目的地かどうか誰にもわからない。当の自分自身にさえも。
南米ウルグアイの古い邸宅を舞台に、愛をめぐる人間関係の密度をつややかな筆致で紡ぎだすのがP・キャメロンの長編小説第四作『最終目的地』である。登場人物は、過去から逃れるように敷地内にひっそり暮らす自殺した作家の妻、作家の愛人とちいさな娘、老いた兄と若い恋人の男。そこへアメリカから作家の伝記を執筆したいという青年があらわれ、危うい均衡を保っていた日常が揺れはじめる。
みな、ここが自分の最終目的地のつもりだった。ところが青年の登場が、感情をふくざつに交錯させてゆく。封印しかけていた愛もいっしょに。ついに訪れ来た予期せぬ変転とは——。
屈折をかかえこむ人物ひとりひとりに注ぐキャメロンのまなざし。そのふかさが浮き彫りにする繊細な陰影こそ、読む者を惹(ひ)きつけて離さない牽引(けんいん)力だ。風通しのよいたしかな運びは、最後まで緩むことがない。
とりわけこれ以上ないやわらかな手つきで掬(すく)いあげられるのは、愛に触れた男女のためらい、怖(おそ)れ、こころもとなさ。全編ほのかにユーモアとエロティシズムが漂うのは、まなざしが人生そのものを肯定するぬくもりを湛(たた)えているからだ。
読後、静かに背中をさすられたようなあたたかさでいっぱいになった。閉じたばかりの一冊を膝(ひざ)にのせ、思いを胸に刻む。壊れかけた哀(かな)しみ、震えるようなせつなさ、その彼方(かなた)にもきっとあたらしい萌芽(ほうが)はある。なにより、まず踏み出そうとしている自分を信じることなしに、ほんとうの最終目的地にたどり着くことはできないのだ、と。
朝日新聞 2009年6月28日
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