書評
『戦後思想の一断面―哲学者廣松渉の軌跡』(ナカニシヤ出版)
切迫感漂う亡き師の「総括」
動詞まで概念と化した、漢字だらけのごつごつした文体。集会のアジテーションをそのままビラに写したような口吻(こうふん)。漢和辞典を引き引き、読んだ記憶がある。空調のない真夏の日、首にタオルを巻いて……というイメージがぴたりとくる。その書き物を、哲学科の学生のみならず、かけだしのデザイナーや装丁家まで、むさぼるように読んだ。<概念>が情念を引っぱる時代だった。「学生叛乱(はんらん)」のさなか、一九六九年から七二年にかけてあいついで刊行された廣松渉の『マルクス主義の地平』と『世界の共同主観的存在構造』である。廣松の書き物に震撼(しんかん)させられたその世代は、亡き廣松の総括をきちんとやったのか、「問いのいっさいは、なお未済」ではないのか。熊野純彦が書いた廣松の評伝は、そう無言で突っかかってくるかのような面立ちをしている。
じぶんが何かを語りだすその場所に、いまどきの哲学研究者にはめずらしく執拗(しつよう)にこだわりながら、ヘーゲルやレヴィナスについての研究書を書き継いできた熊野。その彼が、廣松の薫陶をじかに受けた最後尾の世代として、廣松の思想形成期から晩年の『存在と意味』にいたるまで、その足跡をたどる。
第二部「解読」はどこか「研究生」を匂(にお)わせる文章であるが、九州での少年時代にまでさかのぼる戦後共産主義学生運動との表、裏でのかかわりと、自然のものとみえる世界の、社会的な「被媒介性」の構造を問題にする廣松のいわゆる<物象化>論の生成とを、意を尽くして反芻(はんすう)する第一部「軌跡」の記述には、このことは絶対だれかが書いておかねば……といった切迫感すら漂う。
廣松からの悠(ゆう)に八時間におよぶ長電話のこと、六〇年安保闘争のデモの最前列で「おんなはうしろに下がれ!」と叫び、樺美智子がそれに食ってかかったという思い出話がでたときの廣松の沈鬱(ちんうつ)のことなど、じかに接した熊野ならではの話があいだに挟まる。が、最後にちらっと書きつけられた、熊野の未(いま)だくすぶる廣松晩年へのわだかまりのせいか、口調はどこか淋(さび)しげだ。
朝日新聞 2004年06月27日
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