西洋との整合に格闘した「創造的知性」
中江兆民はフランス語が得意。ルソーの『社会契約論』を翻訳した。『民約訳解』だ。漢文訳だったので中国でも広く読まれ、「東洋のルソー」と評判になった。兆民は自由民権運動のリーダー格。西洋の政治思想を紹介した啓蒙家とみなされている。しかし本当にそうか。著者・田中氏は、そもそもなぜ漢文に訳したのかと問い、その疑問を掘り下げる。
兆民は土佐藩の足軽の出身。幕末に藩校が開かれるとさっそく漢学を学び、フランス語教師になっても漢学の学びをやめなかった。士分か否か出身が微妙で、漢学にこだわったのか。著者は言う。漢文は決して民衆を相手にしないわけではない、議員たるもの≪「学術」の修得≫に努めるべきで、それを選ぶ民衆も君子たるべき、が兆民の考えだったと指摘する。
『民約訳解』は全訳でなく部分訳。原文を一部省略したり原文にない文章を付加したりしている。そこを吟味して兆民の思考の核心に迫る。まず義と利の問題。『訳解』に先立ち、兆民は「論公利私利」を著した。儒学は利を否定する。兆民は、利が義から派生するならよいとする。儒学の枠組みでルソーの主張を正当化する、をやってみせた。でも兆民は、利を無条件に肯定する功利主義には反対だ。これでルソーを紹介できるのか。その曲芸のような作業が『訳解』で繰り広げられている。
民の位置づけはどうか。儒学では、君と臣が統治する側。民は統治される側だ。ルソーは民が契約して主権国家を樹立すると説く。兆民は主権を君と訳し、≪人民こそが「君」≫だとした。民権の由来をどうにか基礎づけている。
また≪西洋各国が…列強≫なのは≪「国会」を設置している≫からだとする。一般意志を衆議が形成するのだ。でも兆民は≪長々しい討論≫には否定的で、煮え切らない。そのせいか『訳解』は部分訳で、投票を論じた箇所など原書の後半を訳さないままである。
本書は、民権思想に共鳴した西洋思想の紹介者で、かつ、儒学の伝統を重んじた東洋の思想家でもある、兆民の二重性を描き出す。西洋思想と東洋思想はたやすく整合しない。でもそれを整合させないと、当時の人びとは新思想の受容が困難だった。この難題と、兆民は正面から格闘した。鷗外は漢文でメモをとった。漱石は漢詩を作った。そんな日本の近代の始まりの混沌(こんとん)とした実態に改めて目を向けさせたのが本書の功績だ。
だがやがて人びとは、漢学を忘れてしまう。兆民流の思想の変換メカニズムは用済みになる。兆民は奇行癖のあるひとで、さまざまな問題を起こした。事業に手を出しどれも成功しなかった。幸徳秋水という優れた弟子がいた以外、事績に乏しいうらみがある。
それを含めて、兆民という知を再発見しよう。ただの西洋思想の紹介者ではなく、主役級の創造的知性として。そして、西欧文明と邂逅した東アジアという文脈のなかの重大なピースとして。
田中豊氏は一九九三年生まれの若手研究者、日本政治思想史が専門。本書は、昨年完成した博士論文が元になっているという。思想史は証拠にもとづいて、思想家一人ひとりの頭の中身を検証する学問だ。確立した方法があるようで実は手探り。今回、漢学の思考枠組みを補助線にうまく成果を収めた。今後の発展を期待したい。