異常を本来あるべき「本」の姿に戻す方法
病気が治ることを本復という。このとき人が本復を強く念願するのは病気なので当たり前なのだけれども、それ以外の局面においても人間が本復すなわち本の状態に戻りたいと強く念願し、また、戻るべきと信じることが多々あるように思う。というのがどんなときかというと、人が現在の状態を、異常な状態、と思うときで、例えば、戦が始まったり飢饉(ききん)になったときなど、人はこれを異常な状態と思って、早く正常な状態に戻ってほしいと願う。というのも病気と同じく当たり前の話で、なぜかというとそんなことになったら死ぬる可能性がたいへん高まるからである。
しかしそこまで行かなくても人が現在の状態を異常な状態と考えることは、これはある。
というのは例えば、国の政策が誤っているために民百姓が苦しんでいる、ということを異常な状態と考える人は、いつの世にもいる。これらの人はこの異常な状態を本来あるべき状態に戻したいと考える。或いは、会社やなんかでもそうで、どう考えても無能で性格が悪い人が密告や追従によって出世をしたため生産性や業績が著しく低下したのだが、この無能な上司はそれすら部下のせいにし、上層部はそれを真に受けている、という異常な状態を正したいと願う人もいる。かと思うと最近流行のファッションや音楽は間違っているので正しいものにしたい、という人もあり、またパチンコで負け続けているがそれはなにかの間違いなので今日こそ自分が勝つはずと信じパチンコ屋に今日も赴く人がある。
といったようなことはどしどしやったらよいと私は思う。なぜなら、異常と正常を比べた場合、やはり正常の方が正常だからである。となるといったいなにが異常でなにが正常なのかという議論になるが、正常から見たら異常は異常だが異常から見たら正常が異常ということになり議論の果てしがなくなるのでそれはいったん措(お)く。しかしそれでも問題が生じるというのは、ではその正常な状態、すなわち、本、とはどういった状態を指すのか、という点で、正味の話、はっきりとしない場合がほとんどなのである。なぜかというと、いま現在が異常だからで、異常な現在に生きて不本意であったり苦しかったりしつつも一定程度適応している限り、あるはずの、本、と断絶してしまっているからである。
捏造された本当の物語
そこで着目すべきはさきほど棚上げした、なにが異常でなにが正常かという問題で、現在の異常が正常とは言えぬとしても、なぜ異常でありながら現状として定着しているかというと、それにいたる経緯を人々が、「まあ、そんなものでございましょう」と認めているからで、その経緯を称して歴史といい、或いは物語という。なので異常な状態を異常としたうえで、より正しい、本、に接続し、本の状態に戻すためには、現今、人々が、「まあ、そんなものでございましょう」と認識している物語が間違いであることを証明すればよいのである。ではそれを証明するためにはどうしたらよいかというと、そのいま一般的な物語よりもっと古い、本当の物語を捏造するしかない。というのが難しいのは当たり前の話で、捏造した段階でそれはもはや本当の物語ではなく、ということは、本、とはほど遠い。けれども、経緯の延長線上にある現状に生きる生身としてはそれ以外に術がない。異常な現状を脱して本来あるべき本の状態に戻すというのはさほどに難しく、無理のあることで、維新をしようと思ったら復古をしなければならないという矛盾に必ず逢着(ぶじゃく)する。しかるに、2011年から2016年の現在から2020年を経てそのさらに6年後の現状を描いた古川日出男の『あるいは修羅の十億年』(集英社、2200円)は、現状の物語の果てを見据えて震災後、「島」または「森」と呼ばれるようになった被災地の、或いはその他の、異常な状態から本へ戻ろうとする人間のそもそもの力を原動力に、超古から未来を視覚的な実体を伴いつつ飛んで跳ねて円環して、強引に、力で、捏造された本当の物語を紡いでいる。気宇壮大。奇想天外。私は読みつつ呻(うめ)いていた。読みつつ、ずっと呻いていた。