三十年間離れていた父は殺人犯だったのか。平凡な男が直面する「暗部」を描いた四篇
社会とは視線の集合体である。誰かが誰かを見ている。その連なりが人の世の中を形成していると言ってもいい。だがごくまれに誰の視線からもこぼれ落ちる死角ができる。だから、薄暗がりを訪ねて回る人間が必要になるのだ。私立探偵とはそうした職業である。長篇『誰か』で平凡な中年男性・杉村三郎が主人公を務める連作を開始したとき、宮部みゆきの念頭にあったのはマイクル・Z・リューインの私立探偵小説アルバート・サムスン・シリーズだった。飛びぬけて優れた能力の持ち主でもない人間が巨大な謎に挑む。その過程の中では単独で受け止めるには重過ぎる社会の歪みが見えてくるだろう。相応の傷を受け苦しんでもなお、人に同情する心の優しさを忘れない。そうした主人公を一人、宮部は現代の風景の中に置こうと考えたのだ。以降『名もなき毒』、『ペテロの葬列』と書き継がれた長篇群は宮部の新たな代表作となった。
新刊『希望荘』は四篇からなる中篇集だ(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は2016年7月)。『ペテロの葬列』でそれまでの生活に区切りをつけた杉村は、一人の私立探偵として生き始めた。そこに持ち込まれた事件の数々が描かれている。収録作のうち「砂男」は、これまでは詳しく紹介されることがなかった山梨県の実家と、その周辺で起きた出来事を題材にした一篇である。飲食店を営んでいた夫婦の不可解な行動から、過去の悲劇が暴かれていく。表題作もまた過去に関わる内容である。依頼人は、自分が幼いころに母と離婚したために縁遠いままで終わってしまった亡父が、実は殺人の罪を犯していたのではないか、という疑念を持つ人物なのだ。
杉村の調査は、社会のどこかにある小さな薄暗がりを明るみに出すことになる。過去作では、悪意とはどのような形で存在するものなのか、ということが謎解きの関心と重なって描かれた。悪意は人間関係にひび割れを見つけ、浸透していく。今回題材とされたのは、そのひび自体だ。なぜ人の心はひびが生じるほどに脆いのか。その弱さを杉村は見つめ続ける。