選評
『名もなき毒』(文藝春秋)
吉川英治文学賞(第41回)
受賞作=宮部みゆき「名もなき毒」/他の選考委員=五木寛之、北方謙三、林真理子、平岩弓枝、宮城谷昌光、渡辺淳一/主催=吉川英治国民文化振興会/発表=「小説現代」二〇〇七年五月号現代を「人物化」する手練(しゅれん)
宮部みゆきという筆力逞(たくま)しい作家に、読者は何を期待してきたのだろうか。起伏に富む物語の展開に寝食を忘れて熱中したい、残酷で不気味で奇怪な事件の底に仕掛けられた人間讃歌を発見して生きて行く元気をふたたび養いたい、そんな面倒なことはどうでもいいから平明だが弾力のある宮部文体に漬かって日本語の豊かさに酔いたい……読者によってその期待はいろいろだったろう。
中には、右にあげた全部を満足させてほしいと考えた欲張りな読者もいたにちがいないが、これらの期待はいつも叶えられてきた。わたしはといえば、さらに欲張って、この作家なら、現代の問題を巧みに「人物化」してみせてくれるはずだと期待をかけるのが常だった。
受賞作『名もなき毒』でも、作者はみごとにこの期待に応えてくれている。被害者と加害者との重層性、それがこの作品で扱われている現代の問題だ。もっと詳しくいえば、加害者が悪知恵の歯車をひょいと操作して被害者に成り済ましてしまうという時代の病いがそれである、どうして現代人は、いつも被害者面をしてしまうのか、ほんとうは加害者なのかもしれないのに。この時代の病いが原田(げんだ)いずみという若い女性に人物化されている。いつもながらすごい腕力である。
若い女性の内面に巣食った時代の病いの邪悪さ、その病根にゆっくりとしかし確実に接近して行く素人探偵の無邪気さ、この対比の作り出す快い緊張感がこの作品の大きな魅力の一つだ。これからも現代そのものを果敢に人物化するこの逞しい作家に期待をかけつづけることにしよう。
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