書評

『ペテロの葬列』(文藝春秋)

  • 2019/06/27
ペテロの葬列 上 / 宮部 みゆき
ペテロの葬列 上
  • 著者:宮部 みゆき
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:文庫(407ページ)
  • 発売日:2016-04-08
  • ISBN:4167905841
内容紹介:
杉村三郎が巻き込まれたバスジャック事件。実は、それが本当の謎の始まりだった――。『誰か』『名もなき毒』に続くシリーズ第三弾。

年老いたバスジャック犯の要求を手がかりに、巨大犯罪の全容を暴く。人の弱さを描くミステリー

『誰か』『名もなき毒』と続く連作で、宮部みゆきは世の中にはびこる悪意の存在を描いてきた。ごく普通の暮らしを送っている人の身の上にも災いは降りかかる。悪意が生き物のように増殖し、誰彼問わず汚染しようとするからだ。その恐怖を読者と同じ高さの視点から描くために、宮部はごく普通の会社員である主人公、杉村三郎を創造した。彼は無力だ。真っ当に生きていた人が不幸な境遇に落ちていくさまを見ながら、何もできない。そのもどかしさを読者は彼と共有してきたのである。『ペテロの葬列』はその杉村三郎シリーズの最新作だ(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は2014年)。

杉村は巨大企業のグループ広報室に籍を置いている。ある日彼は取材先でバスジャック事件に巻き込まれた。乗っ取りを宣言したのは、白髪頭の老人だった。手にした銃の脅威もさることながら、彼が巧みな応酬話法で乗客たちを支配していることに杉村は気付く。警察に対して老人が告げた要求は、数名の民間人を連れてくるというものだった。

幸いにして事件は迅速に解決される。だが関係者にとってはそこからが試練の始まりだった。老人は人質たちに一つのバトンを手渡していた。それを受け取るべきか否かという決定を各人が迫られることになったのである。事態を打破するためには、あまりにも情報が不足していた。老人は一体何者だったのか。元人質たちと協力しながら、杉村は調査を開始する。

宮部作品の多くに共通する要素に「現象の謎」がある。目の前で何かが起きているが、真の意味は誰も理解していない。見えているのに見えない不可視領域の存在を宮部は読者に知らしめるのである。本作でも杉村の調査によって闇が晴れ、巨大な犯罪が明るみに出る。犯罪樹とでも言うべきものが存在したのだ。悪に取りつかれた者たちが、毒素を振りまきながらのさばり続けている。その陰には多くの犠牲者が存在した。

本シリーズの特徴として、事件の真相を追うだけではなく、それに関わってしまった人々の姿を描くということがある。杉村の目を通して読者が見せられるのは、関係者たちがいかに弱かったかということだ。弱い人が苦しみから逃れようとしてもがいた結果、他の誰かを傷つけてしまうことがある。もっとも卑近な例が嘘だろう。嘘は欺瞞であるが、同時に哀しい自己弁護の結果でもあるのだ。本書の中では杉村も、ある人の嘘によって傷つけられる。終盤の展開に、シリーズの読者は衝撃を受けるはずだ。

タイトルに名前のあるペテロとはイエスの使徒の一人で、師の受難を前にして臆し、一旦は逃走してしまった人物だ。その弱さを誰が裁けるだろうか、と作者は問いかけている。強くは生きられない哀しさを、杉村はすべて受け止めようとする。うつむかず、上を向いて歩いていけるように。
ペテロの葬列 上 / 宮部 みゆき
ペテロの葬列 上
  • 著者:宮部 みゆき
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:文庫(407ページ)
  • 発売日:2016-04-08
  • ISBN:4167905841
内容紹介:
杉村三郎が巻き込まれたバスジャック事件。実は、それが本当の謎の始まりだった――。『誰か』『名もなき毒』に続くシリーズ第三弾。

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初出メディア

週刊現代

週刊現代 2014年2月8日号

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