書評
『NOVEL 11, BOOK 18 - ノヴェル・イレブン、ブック・エイティーン』(中央公論新社)
世界文学の沃野示す特異な文体
現代ノルウェイでもっとも評価の高い作家の一人、ダーグ・ソールスターの小説が、村上春樹の訳によって初めて日本語で読めるようになった。今回訳された『Novel11,Book18(ノヴェル・イレブン、ブック・エイティーン)』という奇妙なタイトルの小説の英訳を、村上氏はたまたまオスロで買って読みふけり、ついには重訳のリスクを承知のうえで(原書はノルウェイ語)、自分で英語から訳すことにしたのだという。原著の出版は一九九二年で、作品の設定も、その頃のノルウェイのようだ。主人公のビョーン・ハンセンは首都オスロで政府の省庁に勤めるエリート公務員だったが、三二歳のとき、妻子ある身であったにもかかわらず、ツーリーという女性に不倫の恋をし、そのあげく妻子を捨て、ツーリーの住むコングスベルグという地方都市に移り住む。小説の前半は、アマチュア演劇活動をする彼女とともにこの町で暮らすビョーンの様子が描かれる。しかし、彼は一四年後にはツーリーとも別れ、一人暮らしを始める。それからさらに四年経(た)ち、先妻との間の息子がこの町の大学に入学することになり、五〇歳になったビョーンのフラットに転がり込んでくる。
ここまでだったら、そんなに珍しい話ではない。北欧の小さな地方都市を舞台とし、前半はアマチュア劇団周辺の人間模様を描き、後半では断絶していた父と息子の関係修復を扱った、基本的にはリアルな現代小説といったところだろう。しかし、文体がかなり特異だ。長短織り交ぜた乾いた地の文が淡々と続き、ウエットな心理描写には踏み込まず、言わば人間存在の条件を探索するための実験手順のような文章が続く。しかし、主人公が自分の人生に対して「大いなる否定」を突きつけるために、薬物中毒の医師との共謀によって、ある突拍子もない行為を実行に移し、物語は俄然(がぜん)、予想もつかなかった方向に突き進んでいくのだ。
ノルウェイ語の原文は評者にも分からないが、英訳と邦訳を読み比べてみれば、英訳がクールなヨーロッパの現代音楽風であるのに対して、村上訳はそこにアメリカ的ポップスの感覚を少々付け加えているという印象を受ける。ソールスターが村上という訳者の比類のない技術のおかげで、日本の読者にも興味深く読める作家として発見されたことを喜びたい。それと同時に、英語だけではじつは分からない世界文学の沃野がどれほど広がっているのか、と改めて考えさせられた。
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