愚直な男の懸命な生き様に波乱の近現代史が浮かび上がる
自分の生き方を貫くために、時代と刺し違えなければならなかった男たち、女たちがいた。不器用なのではない。拠(よ)って立つ場所をおいそれと明け渡してしまっては、自分が自分でなくなってしまう。その一点を恃(たの)みとしながら人生を切り開いてゆく者たち。彼らの存在は、ともすると時代の波間に埋もれがちなのだが-。
佐川光晴による長編小説『日の出』が、すこぶる味わい深い。物語の舞台は明治から平成まで百年余、闇を背負いながら生きる市井の人々に光を当て、人生の軌跡の交差を描く。と同時に浮かび上がってくるのは、日本の近現代史の貌(かお)だ。
明治の終わり、馬橋清作(うまはしせいさく)十三歳は、徴兵を逃れるため、闇夜にまぎれて故郷を飛びだす。徴兵逃れは重罪、一生逃げ続ける人生を覚悟したのは、父の異様な死に直面したからだ。奉天大会戦で負傷した父が帰国したと知らされ、駅前に急ぐと、万歳の大歓声のなか父は狂乱。その凄絶な姿が戦争への憎悪と恐怖を植えつけた。
陰となり日向となって清作を支える男が、物語を牽引する。武道の達人で、「いずれは大臣か大将になる」と名を轟かせる傑物、幸三郎さん。大工の棟梁の息子との、橋の上での果たし合いの場面は武芸帖さながらの臨場感だ。幸三郎さんに後押しされ、極秘の出立先は岡山の美作(みまさか)。
鍛冶職人として腕を磨きつつ、追っ手の恐怖に脅えながら全国を転々とする、スリリングな展開。日露戦争後の不況がくすぶるなか、流れ着いた筑豊炭鉱では、清作が一心に打つツルハシが坑夫たちの労働を支えた。そのツルハシは刺さりが深く、穂先がつぶれにくいから仕事の捗りが違う、と評判を取る。世捨て人として生きるために習得した鍛冶の技術が、ヤマに生きる男女との縁を結んだ。
腕一本、胆力ひとつで居場所を築く姿が、静かな共感を呼ぶ。けっして表舞台に出ることのない人々の、しかし、歴史の土中に埋もれる地下茎を思わせる強靱でしぶとい生き方への連帯。物語を進める筆致に、著者ならではの清潔感がある。
いっぽう描かれるのは、神奈川に住む現代の女子大生、あさひの日々。彼女の曾祖父こそ、清作だ。中学校教師として働き始めたあさひが直面する、朝鮮半島をめぐる歴史問題。浪曲を聴きにいった浅草での、青年との出逢い……清作が歩んだ足跡に重ね合わさり、物語の様相に厚みがくわわる。
時代に翻弄される、清作の数奇な運命。風の便りに朝鮮へ渡ったと聞いた幸三郎さんが突然姿を現し、サイコロはあらたに動く。一円札の束を腹巻きに差し込み、背嚢(はいのう)にしまう金鎚、父の位牌、幸三郎さんからの手紙、中学校の教科書とノート。命からがらの逃走劇の終着点は、横浜の朝鮮人町だった。夫婦の契りを交わした朝鮮人女性、香里に抱く真情には落涙を禁じ得ない。
義によって人は生きられるか。
清作が一度だけ鍛冶を語る。
「鍛冶は、一日に何万回も金鎚を打ちます。しかし、二度続けて同じ鎚音が鳴ることはありません。ひと打ちごとに鉄は鍛えられていき、鎚音がわずかに変わっていくからです(後略)」
金鎚の音が近現代の歴史の内側から響いてくる、居住まいの大きな物語だ。