人柄や文学の本質伝える
今年2月10日、石牟礼道子さんが亡くなった。本書の柱の一つは、追悼文である。新聞に7本、月刊誌等に3本。短期間に集中的に書かれたそれらは、ほぼ重なることなく、石牟礼さんの人柄や文学の本質をあますところなく伝えている。かつて書かれた重厚な石牟礼道子論や、著者との対談も収められていて、これほど親交の深かった人であるならば、亡くなった直後の悲しみは如何ばかりかと察せられる。思えば追悼文とは、過酷な依頼だ。ふいうちの悲しみのなか、締め切りを急かすのだから。しかし著者の筆は温かく穏やかで、石牟礼道子という人から受け取ったものの大きさや深さを、過不足なく届けることに集中している。不特定多数の読者を想定して書かれたこともあるのだろう、こうしてまとまってみると、簡潔にして魅力的な「石牟礼道子入門」の誕生となった。
『苦海浄土 わが水俣病』を、石牟礼は「詩」として書いたという。これほど腑に落ちる話はない。魂を揺さぶるようなあの言葉たちが、単なるルポルタージュや告発であるはずがない。彼女は自分自身を「言葉の通路」となして、「語ることを奪われた者たちの手となり、口となってその思いを世に」届けた。
詩であればこそ、それは水俣にとどまらない。命を踏みにじってまで経済を優先させる愚かな社会に対して、石牟礼の言葉は普遍的な光を放ち続けている。
水俣病の患者だったきよ子さんについて著者は「私は、石牟礼さんの文章を通じてしか、きよ子さんを知らないのですが、石牟礼さんの作品を読んで、人と人は、面と向かって会うという仕方でなくても会えるのだと感じました。きよ子さんは私にとっても、とてもなつかしい人で、他人の気がしないのです」と対談で語っている。同じように、本書を通じて石牟礼道子という人に会い、なつかしく感じる人は多いだろう。私も、その一人だ。