書評
『金のゆりかご』(集英社)
覆面作家が巧みに描く心理
かつて天才少年と謳(うた)われたものの伸び悩み、見捨てられた過去がある野上。29歳となった彼のもとに、通っていた英才塾が母体となる幼児教育センターから、入社の誘いが舞い込む。なぜ自分が呼ばれるのか。不審に思い調べてみると、脳の発達を促す装置「金のゆりかご」にまつわる、9年前の事件が浮かび上がってくる。著者は覆面作家。それもあってだろう、実力はあるのに認知度がなかなか高まらずにいた。本書の文庫版も01年の刊行以降増刷されずにいたが、本年に入って紀伊国屋書店新宿本店の書店員が「発掘」し、大々的に宣伝を展開したところ、4月以降は毎月増刷がかかっている(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は2009年9月)。
単行本の刊行は11年前だが内容はまったく古びていない。むしろ天才教育、脳科学は、現在もてはやされているテーマであり、それもヒットの要因だ。サイエンス情報をたっぷり盛り込みながらも、親子の複雑な感情、天才と期待される苦悩、天才からいわゆる「凡人」にされてしまう絶望といった人間心理も巧みに描かれる。天才なら価値があるのか。そもそも人間の「価値」とは。そうしたアイデンティティーの問題を突きつけてくる。担当編集者の伊藤木綿子さんも「著者の他の作品にも通じることですが、人として揺るがないものは何なのかを追究している印象があります。それをミステリーの中でバランスを取って描くのが非常に上手な方です」。
超現実的なテクノロジーを謎解きの切り札として使わず、あくまでも人間同士の仕掛け合いによって真相を明らかにしていく。そこが読者に対してフェア。だからこそ、二転三転する展開に振り回され、そして明かされる真相に「やられた!」となる。後半、野上が究極の選択を迫られる場面がある。これはこたえた。何が最善のことなのか。小説の中で解決した後でも、その衝撃が残された。
朝日新聞 2009年9月13日
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