書評

『谷崎潤一郎全集 - 第二十五巻』(中央公論新社)

  • 2019/03/12
谷崎潤一郎全集 - 第二十五巻 / 谷崎 潤一郎
谷崎潤一郎全集 - 第二十五巻
  • 著者:谷崎 潤一郎
  • 出版社:中央公論新社
  • 装丁:単行本(749ページ)
  • 発売日:2016-09-07
  • ISBN:4124035853
内容紹介:
学生時代の神童ぶりが伝わる「初期文章」、作家の本音がみえかくれする「談話筆記」。そして戦争中に焼失したと考えられていた「松の木影」を含む、「続松の木影」「子」「丑」「武州公秘話ノート」など、未発表資料「創作ノート」を多数収載する。着想から実作にいたる、文豪の鬼気迫る創作の過程を初公開。

傑作群の底に流れていたもの 谷崎潤一郎「創作ノート」を読み解く

「創作ノート」というのは全集の目玉の一つで、私も当巻の刊行を首を長くして待っていた。収録されているのは、年代順に「松の木影(こかげ)」「続松の木影」「潺湲(せんかん)亭」「子(ね)」「丑(うし)」「武州公秘話」ノート、「シングレランノート(仮称)」「七十九の春ノート(仮称)」、「覚醒剤に関する筆記」「幼少時代メモ(仮称)」「絶筆メモ(仮称)」の計一一点で、一九三三年から没年の一九六五年に至る、足かけ三二年間にも及ぶ記録となっている。関連する作品も、『春琴抄』『陰翳礼讃』『聞書抄――第二盲目物語』『猫と庄造と二人のをんな』『細雪』『幼少時代』『瘋癲老人日記』『夢の浮橋』『鍵』『残虐記』『潤一郎訳源氏物語』『三つの場合』『雪後庵夜話』……など多数である。

谷崎というと、あまり「創作ノート」を作らなかったイメージがある。『雪後庵夜話』の中では、事前に周到に構想を練って、「何処のチャプターからでも書き出すことが出来ます」と豪語していた芥川龍之介の例を引きつつ、「私はそれとは反対で、最初は茫漠とした幻想のかたまりのやうなものが雲の如く脳裡に湧き、何かしらものを書かずにはゐられなくなる。そんな状態のまゝ原稿用紙に向ふことがしば〳〵である」と語っている。尤も、芥川は短篇作家だったので、「チャプター」と言っても『細雪』をいきなり洪水の場面から書き始めるのとは訳がちがうが。

それはともかく、当巻を読み進めていきながら、私は、芥川と谷崎との間で交わされた例の〈「話」らしい話のない小説〉論争を改めて想起した。

「松の木影」は、一九三三年からつけ始めたノートらしく、タイトルからも窺い知れるように、それは、谷崎と松子夫人との恋愛が始まった時期だった。松子夫人が、芥川に会いに行って同席していた谷崎と出会ったという馴れ初めは有名だが、松子夫人の『倚松庵(いしょうあん)の夢』によると、その時に二人が議論していたのも、やはりこの話だったらしい。

芥川の『文芸的な、余りに文芸的な』を読むと、冒頭でしばらく古今東西の様々な作家に言及したあとで、やや唐突に、往来で車夫と運転手の喧嘩を眺めていた話が書かれている。彼はその「事件そのものに対する興味」を「通俗的興味」としつつ、しかしそれは、芝居で描かれる喧嘩に対する興味と結局は変わらないと断ずる。そして、こう続けるのである。

「僕はこう云う興味を与える文芸を否定するものではない。しかしこう云う興味よりも高い興味のあることを信じている。(中略)「話」らしい話のない小説は通俗的興味の乏しいものである。が、最も善(い)い意味では決して通俗的興味に乏しくない」

芥川が「話」という時、彼は必ずしも、線形的に継起するストーリーのことを言っているわけではない。むしろ、道端の喧嘩のような、時間的には展開されていない、読者の関心の焦点について語っている。芥川の最良の作品は、その「話」を厳選し、焦点となる事件の前後に主人公の意識がどう変化するかを主題化したものである。しかし、たとえその「話」自体を欠いていたとしても、作者の「詩的精神の浄火」は、読者の「高い興味」に適う作品を成立せしめるのではないかというのが、彼の当時の問題意識だった。

しかし、関西に移り住んだ頃より、いよいよ長篇作家としての成熟期を迎えつつあった谷崎は、読者の関心対象の純化よりも、むしろ、その持続へと興味を移していたように思われる。そのために求められるのが「構成する力」であり、「凡そ文学において構造的美観を最も多量に持ち得るものは小説である」(『饒舌録』)というのが、この時の彼の主張だった。

昔から何かと物議を醸してきたこの有名な論争は、今、谷崎の「創作ノート」集を読む上で、再度大いに示唆的である。

色々な評価があろうが、谷崎が小説家として真に偉大になるのは、この時期以降で、その意味では、これらの「創作ノート」の存在と谷崎の「構成する力」の向上とを短絡させたくなるが、仔細に目を通した印象は、どうも、そう簡単でもない。

まず、作品によってもかなり違っている。『春琴抄』など、性質上、取材記録や設定の確認などが不可欠な作品については、「創作ノート」らしい記述が多く見える。他方で、『細雪』の方は、モデルがあるだけに、実地に見聞した「話」が、ただひたすら書き留められてゆく。読んでいると、ああ、これがあの部分か、と思い当たる記述が多々あるが、当然、採用されなかった「話」もある。

谷崎が関心を示しているのは、まさに芥川が言った意味での「話」である。それらの実験した、あるいは伝聞の「話」の羅列は、フォースター流に言うならば、プロット以前の未統合のストーリーである。そして、興味深いのは、谷崎がこれらのノートの段階では、個々の「話」に因果関係のまとまりをつけ、「チャプター」ごとにどんな話を書き、どう展開してゆくか、という下準備をほとんどしていない、という点である。

例えば、三島由紀夫は芥川を高く評価しなかったが、その執筆準備は、「最後の一行が決まらないと書き出せない」という例の逸話通り、非常に芥川的だった。実際には、構想時とは結末が異なる作品もあるが、ともかく、彼の「創作ノート」は、代表作の『金閣寺』を典型として、既にしてスタティックな「構造的美観」が歴然としている。

それに比べると、何よりも小説の「構造的美観」を強調した谷崎は、材料を集めたあとは、やはりどうも執筆しながらダイナミックに「構成」する、ということだったらしい。往来の「車夫と運転手の喧嘩」は、そうして、その他の「話」と巧く組み合わされれば、全体としてはある「高い興味」に適った作品の部分たり得るし、恐らく、そう考えるのが長篇小説の発想である。「詩的精神」は、無論その過程で大いに発揮されるであろうが。

 

『細雪』に関する「話」の一つとして書かれた実話で、当巻で最も読み応えのある箇所は、松子夫人の堕胎を巡る記述だろう。この話は、谷崎自身も『雪後庵夜話』に書いているし、『細雪』でも幸子の「流産」という形で主題化されている。松子夫人も『倚松庵の夢』の中で「続松の木影」の一部を引用しつつ、悲痛な思いを綴っているので、夙(つと)に知られた逸話ではあるが、ここではその間の谷崎の心情が微に入り細に亘って綴られている。

全体を読むと、『雪後庵夜話』にあるような、「永遠の女性美」の象徴たる松子夫人を、子育てに追われる普通の「母親」にしたくないという思い、あるいは、それによって、自身の創作熱が衰えてしまうことへの不安といった従来信じられていた説明は、噓ではあるまいが、それこそ「詩的精神の浄火」によって純化されているように見える。

谷崎が松子夫人の懐妊を知って「困つた」と感じた時の心情は、「病気になると人一倍世話を焼かせるのに、此の上妊娠し、万一病気にでもなつたらどんなに手数がかかるか」、財産も残せずに自分が先に死ぬに決まっているのに、その後、どうするのか、「それでなくても夫人がゼイタクで中々生計費が月不足を訴へるのに、子供が出来たら一層金がかゝるであろう」「子供の世話も結局夫人が生みつ放しで、あとはじぶんがしなければなるまい」といったものだった。

谷崎には、最初の妻千代子との間に娘が生まれた際にも、すぐに母子を弟精二のいる実家に追いやってしまうという前科があるが、ここの件も、いかに好意的に読もうとしても、まァ、酷いとしか言いようがない。その谷崎らしい正直さは、堕胎を担当した医師の手を見ながら、「あの指で何人の子を殺したかも知れないと思ふとちよつと気味が悪い」と記すようなきわどい箇所にも遺憾なく発揮されている。

が、そういう心情は、たとえ抱いたとしても、別段ノートに書き残さずとも良かったのかもしれない。それを具(つぶさ)に記している谷崎は、小説の材料たる「話」は、如何なる自己検閲をも排して、すべてをありのままに記録しておかなければ無意味だと考えていたのであろう。それが隠蔽され、削除されたところから、「詩的精神」を発揮し、美的な構造によって一篇の小説を組み上げてみたところで、どうして読者はそのキレイごとに説得力を感じ、共感し、心を動かされるであろうか。

堕胎を巡る記述は非常に長く、谷崎も、その後はさすがに精神的な動揺を経験しているが、松子夫人の手術は予想外の激痛であったらしく、直後に見舞った夫の横顔を「欺された」と言って殴ったのだという。従来より知られてきた谷崎と松子夫人との関係からは、ちょっと想像しづらい光景だろう。

 
その他、「創作ノート」と銘打たれてはいるものの、備忘録として、あるいは仕事の整理のために色々なことが書かれている。

例えば、「松の木影」では、「政論(経済往来随筆)」として、内閣の寿命が短すぎることや「総理大臣が劇職過ぎること」など、あるいは、「武州公秘話ノート」でも、「ヤキ打事件(ポーツマス条約)と反安保騒ぎ」とあるように、各所で珍しい谷崎の政治的な関心を垣間見ることができる。

「蓴池斉」と号した「随筆」案では、「○職業として見た文学について ○小説の楽しみと苦しみ ○全くひとりでやれること(戯曲ハそう行けぬ) ○文壇の空気、比較的公平なること、……」などと記しており、これは後に『文章読本』に繋がったのかもしれない。続けて「蓴池斉独語」とあるが、こちらはハッキリとした『陰翳礼讃』の原案である。

「会話ばかりの小説」という『細雪』を連想させるコンセプチュアルなアイディアがあるかと思えば、「素麺のたき方」という至って平凡な調理法を挟み、『源氏物語』の口語訳を原稿用紙で換算している箇所などもある。

人名や語彙をまとめて書き記しているページが何ヵ所かあり、また、「新語の由来」として、「猟奇(佐藤春夫)」「苦微笑(久米)」「ニュアンス(和辻)」などと列挙していたり、「小説の会話と実際のことば」として「ソイヂヤア、チヤツチヤア、「泣ける」「させて頂きます」「拝呈」往復ハガキの復の宛名の下へ「様」をつけること、猫のしっぽと寺田寅彦氏「私はあの人を好きだ」「私はあの人を気に入った」などと書き留めている(「潺湲亭」)。「泣ける」「させて頂きます」は、「武州公秘話ノート」でも「流行語」として再度書き留められているので、よほど気になっていたのだろう。今日でも多用され、未だに違和感のある言い回しだが、その使用は戦後すぐにまで遡るというのは意外だった。

 
トイレの話題は、やはり気になるらしく、「子」には、「汽車の便所(二等の便所の狭スギルコト 腰かけ便所の不便なこと、水を流さないこと)/(失礼ですが今大便をなすつたのはあなたですか)とアトの客にきかれたこと」などという、思わず笑ってしまうような記述もある(同様の箇条書きは、「武州公秘話ノート」でも反復されている)。

それの影響か、すぐあとで「○怪談――自分の糞が或る人間の顔の形ににてゐる、――さう云う夢を毎日つゞけて見る話」などというアイディアを書きつけているのもおかしい。

実現しなかったプランとして殊に興味深かったのは、「子」に記されている次のようなものである。

「A(M)とB(W)が二十歳頃に交接した姿を映画に写しておく。それから四十年を経て二人がその映画を取り出して見、それの刺激に依つて交接する」

『鍵』で、ポラロイドカメラという新しい記録メディアとエロティシズムとの関係をいち早く小説に取り入れた谷崎ならではの発想で、自身の体質的な想像力と、テクノロジーと人間との関わり方に対する一種の予見性とが、説得力を以て一致するこの小説家の幸福を思わずにはいられない。

ヴィデオや写真といった記録メディアに頼らず、時の隔たりを挟んで誰かを思慕したり、性欲に駆られたりするというのは、谷崎作品の定石だが、「松の木影」の中にも「関係しても、実在の夫人としてゞなく観念上の女として崇拝する、そして関係したあとで又その記憶でオナニをし、それが真の恋愛、且仏道の奥義なりとする、そして遂にその娘をすてる」などという案が見えている。谷崎のエロティシズムに於いては、時間的、空間的、次元的(三次元の現実か二次元のメディアか)、あるいは関係上の距離が重要だったが、それを生み出すために、崇拝してみたり、遠ざけてみたり、思い出の中で慈しんだりと、様々な工夫を重ねていることが窺われる。

その他、方々にちりばめられた鷗外、露伴、鏡花、芥川、……などの小説家の名前も気になる。中には、「幸田露伴の「運命」を現代口語に訳すこと」などという面白い計画もある。年少の作家の名前はほとんど出てこないが、僅かに「◎文章論 三島ユキオの谷崎源氏評」という走り書きなどを確認することができる。

個人的には、更に、旧知の渡辺千萬子(ちまこ)さんの生い立ちその他についての詳述「千萬子ノコト」や、千萬子さん自身の手による「プリムさん」、「シユレム氏」といった外国人との交際の覚え書きなどは、感慨深いものだった。
谷崎潤一郎全集 - 第二十五巻 / 谷崎 潤一郎
谷崎潤一郎全集 - 第二十五巻
  • 著者:谷崎 潤一郎
  • 出版社:中央公論新社
  • 装丁:単行本(749ページ)
  • 発売日:2016-09-07
  • ISBN:4124035853
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学生時代の神童ぶりが伝わる「初期文章」、作家の本音がみえかくれする「談話筆記」。そして戦争中に焼失したと考えられていた「松の木影」を含む、「続松の木影」「子」「丑」「武州公秘話ノート」など、未発表資料「創作ノート」を多数収載する。着想から実作にいたる、文豪の鬼気迫る創作の過程を初公開。

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初出メディア

中央公論

中央公論 2016年10月号

雑誌『中央公論』は、日本で最も歴史のある雑誌です。創刊は1887年(明治20年)。『中央公論』の前身『反省会雑誌』を京都西本願寺普通教校で創刊したのが始まりです。以来、総合誌としてあらゆる分野にわたり優れた記事を提供し、その時代におけるオピニオン・ジャーナリズムを形成する主導的役割を果たしてきました。

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