書評

『バイリンガル・エキサイトメント』(岩波書店)

  • 2019/05/17
バイリンガル・エキサイトメント / リービ 英雄
バイリンガル・エキサイトメント
  • 著者:リービ 英雄
  • 出版社:岩波書店
  • 装丁:単行本(220ページ)
  • 発売日:2019-03-15
  • ISBN:4000613251
内容紹介:
3.11直後に万葉集の挽歌を想起する。東アジアや移民の問題を、閻連科、多和田葉子、温又柔と語りあう。

国際的な文脈で生きてきた日本語

人はなぜ母語でない言語にひかれ、「多言語的高揚感(バイリンガル・エキサイトメント)」を覚えるのか? 永井荷風はフランスの象徴詩を翻訳する際、「怪物」という漢字に「シメール」と仏語の音表記をルビで振り、二葉亭四迷は「躊躇」に「タユタ(ッた)」と振った。日本に入った漢字とフランス語の音、音読み熟語にやまとことば、こうした異質性の出会いが醸しだすデュアリズムに、私たち日本語話者の心はことさら「ときめく(スパークジョイ)」のではないか?(コンマリ風にいえば)このエキサイトメントには、日本語のたどってきた歴史が刻印されている。リービはそう解き明かす。

令和の出典『万葉集』(漢籍の詩がさらに元ネタにあるが)についても、本エッセー集で手厚くとりあげられているので、この機会に手にとってほしい。リービは言う。「最終的に『万葉集』は何かというと、世界の古代文学における最大級の抒情(じょじょう)詩集です」「日本において、それこそ文字によって初めて表現がなされた時代に、柿本人麿や山上憶良のような最大級の書き手たちが出てきた」。

まだ熟しきれていない文字文化の揺籃(ようらん)期に、彼らが古今世界トップレベルの書き手となり得たのはいかにしてか? 著者は「書き言葉に宿る『表現』力」という一編でこう書いている。「彼らの長歌も短歌も、スケールや深みにおいては、『コミュニケーション』の領域をはるかに超えて」おり、だからこそ「世界の古代文学にほとんど類を見ないような抒情性を創」ることができたのだ。世界でも同じ古代で「似たようなスケールと深みとバリエーションのものはおそらく見つからない」。ここには、“コミュニケーション至上主義”に陥りがちな現代日本への重要なメッセージもあるだろう。

いま日本では、高校の国語から文学の色が薄れ、実社会での意思伝達を重視し始めるという。英語では読み・書きより会話力の養成に力が注がれている。そんな中、卓抜な言語センスで支持を集めるミュージシャン小沢健二もTwitterで、日本の英語教育を批評し、大事なのは「語学」か「交流」か問う今日この頃。

スムースに伝わること、わかりあうこと。双方向のシンパシー。言語と文化のはざまを生きるリービが、『星条旗の聞こえない部屋』から『模範郷』、言葉の通じないチベット行を描いた最新作「西の蔵の声」まで、一貫して行ってきたのは、これらとは方向を異にするなにかだろう。彼は書き言葉の表現について、さらにこう言う。「コミュニケーションと『表現』は違う。<中略>これまでコミュニケートしたことのないことを伝えるのが『表現』である。相手が考えたこともなく、感じたこともないことを、考えさせたり、感じさせるのは大変なことだから嫌がられることも多い。しかしそのようにして新しい世界の把握の仕方を言葉にするのが文学なのである」。作家・李良枝(イヤンジ)の「人は誰しも、朝起きたときに、言葉の杖をつかんで生きる」という文言をリービがしばしば引用するのは、このような考えからだ。

こうした書き言葉の「表現」の力で、『万葉集』はいきなり“世界文学”となり得たが、そこにはすでに国際感覚が感じられるという。たとえば、山上憶良の長歌。リービの恩師でもある国文学者・中西進は、憶良は百済からの渡来人との説を唱えており、この歌人こそがリービ英雄に「日本人に生まれなかった人も日本語で書いていい」と感じさせた国際人の一人だ。朝鮮から来日し、遣唐使として中国へ派遣された憶良の歌には、「唐(もろこし)の遠き境に」という日本文学の中で初めて外国とのボーダーを書いた言葉があり、「はっきりとアジア大陸を視野に入れた文脈の中で、日本は言霊の幸はふ国」と主張されている、と。出自の件はともあれ、漢文で優れた創作をしていた憶良が、「大陸的な文脈を漢文ではなくて大和言葉」で書く、これはどうしたことか? リービが対談で大江健三郎に問うてみると、そこで本書の題名でもあり、幾度も引用されることになる「バイリンガル・エキサイトメント」という言葉が出てきたという。異言語にふれて自分の「言葉が幸はふ」という感覚は、八世紀の頃すでにあったのだとリービは思い至り、『万葉集』の現代性にまたもや気づく。日本文学を読むほどに、「より複雑な国際的な文脈の中で、日本語は千三百年前から生きていた」ことがわかるという。

リービが「日本人になった」と感じた瞬間の一例を挙げる。若いころ、安部公房の翻訳を手がけた際、そこに出てくる象が単数なのか複数なのか尋ねると、安部は「分からない」と。作者なのになぜと不思議だったが、三十年後、リービは自作の英訳者に、このガードマンは単数か複数か訊(き)かれて、あっさり「分からない」と答えるのだ。「もし『ゴーイング・ネイティブ(その土地の人間に同化する)』が本当にあるとすれば、<中略>人種でも生い立ちでもなく、文体の問題なのである」という『模範郷』の一節が響いてきた。

明々後日にやってくる「令和」も思いつつご一読を。閻連科、多和田葉子、温又柔との言語と文化を越境する対談も読み応えがある。
バイリンガル・エキサイトメント / リービ 英雄
バイリンガル・エキサイトメント
  • 著者:リービ 英雄
  • 出版社:岩波書店
  • 装丁:単行本(220ページ)
  • 発売日:2019-03-15
  • ISBN:4000613251
内容紹介:
3.11直後に万葉集の挽歌を想起する。東アジアや移民の問題を、閻連科、多和田葉子、温又柔と語りあう。

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2019年4月28日

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