書評
『約束』(早川書房)
家族の死を縦糸に30年、南アの歪み
英国のブッカー賞はこのところ、アイルランド(近年とくに勢いがある)、スコットランド、ニュージーランド、カナダなどの作家が選ばれ、ゆるやかな英連邦色が盛り返しているようだ。二〇二一年受賞の南ア作家デイモン・ガルガットの『約束』もじつにブッカーらしい小説と言える。物語は南アの首都プレトリアを舞台に一九八六年に始まり、およそ三十年にわたってアフリカーナーの一家スワート家の没落の歴史がたどられる。アフリカーナーとは、オランダから入植した白人を中心とした民族グループである。
全体は十年の間隔をおいた四章に分かれ、それぞれの物語の起点に死と葬式がある。つまり、十年ごとに主要人物が亡くなるのだ。各章は、一家の母、父、娘、息子が主要人物になり、各自の視点が交錯するため、同じ出来事がまるで異なる位相から語られることもある。
「母編」では、母レイチェルの死を、末娘で十三歳のアモールは受け入れられずにいる。急に思いだされてきたのは、二週間前に両親の間で交わされた会話だ。父親のマニは母に、長年住んできた家をメイドのサロメに正式に譲ると約束していた。それが母のたっての願いだったのだ。タイトルの「約束」はここから来ている。
しかしこの約束は一向に果たされる気配がない。サロメは黒人女性なので、その家の法的所有権を得られないという。
「父編」では、一家の母の死から約十年。父マニが昏睡状態に陥っているという。彼はアルコールの問題を抱えていたが、それを断ち切るのと引き換えに、ある地元牧師の教えに深く傾倒していた。牧師の言を信じ、毒蛇の檻に入っても神に守られることを証明しようとしたのだ。篤信が狂信の域に入っていたと言える。
マニの遺言と相続に関する家族会議の最中に、アモールはサロメの家の件をいま一度問いかけるが、事態は進展しない。
「アストリッド編」では、長女の空虚な人生が語られる。つねに心満たされず、夫以外の男性を求めてしまう彼女は、とうとう罪悪感から告解に行くものの、神父に赦されることはなく、その後の帰り道に非業の最期を遂げることになる。
アストリッドと対照的に妻の浮気に苦しむのが「アントン編」の長男だ。しかしその結婚生活の挫折には、じつは不妊治療と、彼の小説執筆の長い停滞が関係しているのだ。アントンは妻に辱められた末、自らを銃で撃つ。
こうして家族が死に絶えたのち、物語にほとんど登場しなかったサロメにアモールが家を譲るという、ある意味唐突でいびつな構成になっている。それは有色人種への「真実と和解」を真に追究しきれていない南アという国の歪みそのものでもあるだろう。時代の変転は突然やってくる。
語りの三人称文体には、自由間接話法と自由直接話法がふんだんに使われ、その視点の切り替えはほとんど魔術的だ。文体面ではウルフにも喩えられようが、宗教、信心の起爆力、カトリック神父への告解、不義の関係、死に際での改宗、思想への傾倒、小説家の存在、これらの要素とその組み立て方からして、グレアム・グリーン『情事の終り』が設計図の下敷きにあるのは確かだろう。