書評

『アムステルダム』(新潮社)

  • 2024/06/06
アムステルダム / イアン・マキューアン
アムステルダム
  • 著者:イアン・マキューアン
  • 翻訳:小山 太一
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:文庫(211ページ)
  • 発売日:2005-07-28
  • ISBN-10:4102157212
  • ISBN-13:978-4102157213
内容紹介:
ロンドン社交界の花形モリーが亡くなった。痴呆状態で迎えた哀れな最期だった。夫のいる身で奔放な性生活をおくった彼女の葬儀には、元恋人たちも参列。なかには英国を代表する作曲家、大新聞社の編集長、外務大臣の顔も。やがてこの三人は、モリーが遺したスキャンダラスな写真のために過酷な運命に巻き込まれてゆく。辛辣な知性で現代のモラルを痛打して喝采を浴びたブッカー賞受賞作!
とかくお涙頂戴系の作品ばかりが話題になりやすい、いかにも湿度高めなニッポンの読書界。が、しかし、皆さん。笑いなくして、何が人生かっ。新しい世紀を迎えるにあたってさえ暗い話題が先行しがちな今だからこそ、気持ちだけでもカラッとさせましょうよ。

そこでおすすめしたいのがコミック・ノベルの本場、英国小説であります。天下の奇書『トリストラム・シャンディ』(岩波文庫)を書いた十八世紀のロレンス・スターン、十九世紀のディケンズ、二十世紀に入っては『交換教授』(白水uブックス)で知られるデイヴィッド・ロッジ等々と人材には事欠きません。もちろん、トール・テイル(ほら話)の宝庫アメリカ文学にだって笑いはあります。でも、イギリス人の笑いはアメリカ人のそれとは少し違うんです。人肌に近い温もりのあるユーモアに対して温度が低いエスプリ、とでも言えばいいでしょうか。つまり、読者や登場人物との間に距離を置いて突き放すシニカルな笑い。それがイギリス文学独特の風刺の苦みや黒い笑いを引き出すんです。そして、今回取り上げるイアン・マキューアンの『アムステルダム』もまた、英国小説のその手の持ち味を堪能させてくれる逸品なのです。

男性遍歴を重ねた魅惑的なファム・ファタール、モリーが死に、葬儀に参列した元恋人の三人(英国を代表する作曲家クライヴ、辣腕の新聞紙編集長ヴァーノン、野心家の外務大臣ジュリアン)。やがて、生前のモリーが戯れに撮った何枚かの写真が発見される。そこにはジュリアンの露(あらわ)な姿態が収められていて、首相の座を狙う彼にとっては致命的なスキャンダルになりかねない。その写真が火種となり、三人の男たちの人生が複雑に絡みあって事態は思ってもみない方向に突き進むのだが――!

という、ある種のオチが用意された小説なのだけれど、しかし、皆さん、これはいわゆる「よく出来たお話」的単純なアイデア・ストーリーとは次元が違う小説なんです。シチュエーションの妙がもたらす皮肉な結末が生む苦い笑いの魅力もさることながら、そこに至るまでの細部を大切にした才気溢れる描写が素晴らしい! 交響曲が作られる過程、新聞社の内幕、かつての愛の思い出、それに比べ醜い現世での自己保身のあれこれ。淀みのない華麗な筆致が、もっとも美しい瞬間にこそ、もっとも醜いものを見いだしてしまう(その逆もまた真)人間、その本質をイキイキと描き出しているんです。しかも、そうした読んで面白いエピソードの集積が全て、実は「!」な結末の伏線になっているのだから凄いでしょう? ここには文学という芸術が二十世紀に至って到達した洗練の極みがあります。まさに大人のための小説。

この小説がお気に召しましたら、最新翻訳『愛の続き』(新潮社)もぜひ! これまた三角関係を描いているのですが、こちらのほうは多分にニューロティック(神経症的)で恐ろしい内容になっています。恐怖もイギリス文学の得意分野。これを機に、英国小説を愉しみ倒して下さいませ。

【この書評が収録されている書籍】
そんなに読んで、どうするの? --縦横無尽のブックガイド / 豊崎 由美
そんなに読んで、どうするの? --縦横無尽のブックガイド
  • 著者:豊崎 由美
  • 出版社:アスペクト
  • 装丁:単行本(560ページ)
  • 発売日:2005-11-29
  • ISBN-10:4757211961
  • ISBN-13:978-4757211964
内容紹介:
闘う書評家&小説のメキキスト、トヨザキ社長、初の書評集!
純文学からエンタメ、前衛、ミステリ、SF、ファンタジーなどなど、1冊まるごと小説愛。怒濤の239作品! 560ページ!!
★某大作家先生が激怒した伝説の辛口書評を特別袋綴じ掲載 !!★

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

アムステルダム / イアン・マキューアン
アムステルダム
  • 著者:イアン・マキューアン
  • 翻訳:小山 太一
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:文庫(211ページ)
  • 発売日:2005-07-28
  • ISBN-10:4102157212
  • ISBN-13:978-4102157213
内容紹介:
ロンドン社交界の花形モリーが亡くなった。痴呆状態で迎えた哀れな最期だった。夫のいる身で奔放な性生活をおくった彼女の葬儀には、元恋人たちも参列。なかには英国を代表する作曲家、大新聞社の編集長、外務大臣の顔も。やがてこの三人は、モリーが遺したスキャンダラスな写真のために過酷な運命に巻き込まれてゆく。辛辣な知性で現代のモラルを痛打して喝采を浴びたブッカー賞受賞作!

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初出メディア

ミセス

ミセス 2001年12月号

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