書評
『マリナー氏の冒険譚』(文藝春秋)
P・G・ウッドハウスはイギリスの愛すべき偉大な作家だ。ただの偉大な作家ではない、「愛すべき」という言葉を添えずにはいられない作家なのだ。
その魅力は、私なぞが文章で下手にゴチャゴチャ説明するまでもない。とにかく書店でこの本を手に取ってもらいたい。淡いブルー地に猫や酒瓶などを図案化した表紙の本です。この本のたたずまいが気に入ったら、絶対に中身のほうも楽しめるはず。文藝春秋のP・G・ウッドハウス選集の装丁は、よく作品世界の魅力を伝えていると思うから。
『マリナー氏の冒険譚』(文藝春秋)は、『ジーヴズの事件簿』『エムズワース卿の受難録』に続く、P・G・ウッドハウス選集の三弾目。今回はマリナー氏という謎の紳士が、ゆきつけの酒場「釣遊亭(アングラーズ・レスト)」で毎回一話、自分の親類たちが体験した珍談奇談を披露するというかたちになっている。
シャレ者の青年がオテンバ娘に恋をして、彼女への愛ゆえに悪童二人の子守りを引き受け、さんざんな目に遭う話。柔弱で無気力な副牧師が、叔父が開発した「バックーUーアッポ」という薬を試したおかげで人格一変、恋も出世も手に入れた話。オシャレには絶大な自信を持つ男が、ふとしたことから泥棒に間違えられ恋を断念する話……。
何しろP・G・ウッドハウスは一八八一年に生まれ、二十代の頃から人気作家として活躍し、一九七五年に九十三歳で亡くなる最晩年まで執筆し続けていたという人だ。この『マリナー氏の冒険譚』は一九二〇年代後半から三〇年代にかけて書かれている。当時のイギリスの富裕な男女が繰り広げる、いくぶんドタバタ調のコメディが春風駘蕩のタッチで描かれている。
そう、春風駘蕩。大らかで、ほがらかで、のほほんとしている。「人間なぜ生きるのか」とか「ほんとうの私とは」といったシリアスな問いはいっさいない。にもかかわらず幼稚には陥らず、どこか大人っぽい。貴族だろうが主教だろうが農夫だろうが、人間に大差なし、みな同じようにマヌケなものだという視線が感じられるせいだろう。
そういう意味で、私はウッドハウス作品はイギリスの落語だと思う。ウッドハウスは一九三〇年にアメリカのハリウッドにライターとして招かれて、一年間過ごした。ハリウッド映画界の裏側を見聞した成果は、戯画化したかたちでこの『マリナー氏の冒険譚』の何編かになっている。
この本でウッドハウスに興味を持ったら、ぜひぜひ『ジーヴズの事件簿』『エムズワース卿の受難録』を読んでいただきたい。実は私は、こちらのほうが好き。ジーヴズとエムズワース卿その人物像の戯画化のすばらしさに、きっと捻る!
【この書評が収録されている書籍】
その魅力は、私なぞが文章で下手にゴチャゴチャ説明するまでもない。とにかく書店でこの本を手に取ってもらいたい。淡いブルー地に猫や酒瓶などを図案化した表紙の本です。この本のたたずまいが気に入ったら、絶対に中身のほうも楽しめるはず。文藝春秋のP・G・ウッドハウス選集の装丁は、よく作品世界の魅力を伝えていると思うから。
『マリナー氏の冒険譚』(文藝春秋)は、『ジーヴズの事件簿』『エムズワース卿の受難録』に続く、P・G・ウッドハウス選集の三弾目。今回はマリナー氏という謎の紳士が、ゆきつけの酒場「釣遊亭(アングラーズ・レスト)」で毎回一話、自分の親類たちが体験した珍談奇談を披露するというかたちになっている。
シャレ者の青年がオテンバ娘に恋をして、彼女への愛ゆえに悪童二人の子守りを引き受け、さんざんな目に遭う話。柔弱で無気力な副牧師が、叔父が開発した「バックーUーアッポ」という薬を試したおかげで人格一変、恋も出世も手に入れた話。オシャレには絶大な自信を持つ男が、ふとしたことから泥棒に間違えられ恋を断念する話……。
何しろP・G・ウッドハウスは一八八一年に生まれ、二十代の頃から人気作家として活躍し、一九七五年に九十三歳で亡くなる最晩年まで執筆し続けていたという人だ。この『マリナー氏の冒険譚』は一九二〇年代後半から三〇年代にかけて書かれている。当時のイギリスの富裕な男女が繰り広げる、いくぶんドタバタ調のコメディが春風駘蕩のタッチで描かれている。
そう、春風駘蕩。大らかで、ほがらかで、のほほんとしている。「人間なぜ生きるのか」とか「ほんとうの私とは」といったシリアスな問いはいっさいない。にもかかわらず幼稚には陥らず、どこか大人っぽい。貴族だろうが主教だろうが農夫だろうが、人間に大差なし、みな同じようにマヌケなものだという視線が感じられるせいだろう。
そういう意味で、私はウッドハウス作品はイギリスの落語だと思う。ウッドハウスは一九三〇年にアメリカのハリウッドにライターとして招かれて、一年間過ごした。ハリウッド映画界の裏側を見聞した成果は、戯画化したかたちでこの『マリナー氏の冒険譚』の何編かになっている。
この本でウッドハウスに興味を持ったら、ぜひぜひ『ジーヴズの事件簿』『エムズワース卿の受難録』を読んでいただきたい。実は私は、こちらのほうが好き。ジーヴズとエムズワース卿その人物像の戯画化のすばらしさに、きっと捻る!
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