内戦下のスリランカを疾走する幽霊
「<はざま>は混雑しすぎです。このままでは<下>の人々の心は汚染されてしまう。あちこち走り回っては人々の耳に邪悪な考えを吹き込む食屍鬼(グール)が多すぎるのです」と、登場人物のひとりが言う。<はざま>は、この世<下>とあの世<光>の間にあり、死者たちが最初に目覚める場所だ。本書の主人公にして語り手のマーリも、そこで七つの月(七日間)の猶予を与えられ、<下>に残して来た気持ちを整理して<光>に向かうことを求められる。
<下>こと現世は、1990年のスリランカ、コロンボ。シンハラ人が牛耳る政府と、タミル人武装組織<LTTE>の間で内戦が続き、インドから派遣された平和維持軍<IPKF>、共産主義を掲げる人民解放戦線<JVP>ら、複数の勢力が武装闘争、報復、テロを繰り広げていた時代だ。暗殺や汚職も横行し、流れ弾に当たる子どももいる。こんな中で無念の死を遂げた人々が<はざま>へ行くわけだから、魂は彷徨(さまよ)ってしまう。亡霊たちの怨恨や満たされざる欲望は、現世の混乱に拍車をかける。
七日間は短い。整理がつかず、また整理する気もない死者たちは、盛んに下界へちょっかいを出す。
しかし、マーリの無念はむしろ、混乱を終結させられなかったことに由来する。彼は政治的な組織には属さないフリーランスの戦場カメラマンだ。自分の撮影した決定的な証拠写真が世に出れば、不正は終わり、地獄のような暴力の連鎖も断ち切られ、正義が行われると信じている。ああ、それなのに、死んでしまうとは! しかも、なんで死んだのか、誰に殺されたのか、さっぱりわからない。
マーリにはもう一つ悔いがある。最愛の人DDを残して来たことだ。ハンサムでスポーツマンのDD。危険な仕事はやめて外国にいっしょに行こうと、何度も言ってくれた恋人。常にその真摯な願いをはぐらかしたばかりか、ギャンブルにのめり込み、マリファナに溺れ、一夜限りの相手と寝てはDDに嘘を吐きまくった不誠実さ。誰よりも愛しているのに。いや、いたのに。そして自分に思いを寄せる親友のジャキにも、本当のことを言わずつらい思いをさせた。マーリが、エイズが死に至る病と思われていた時代の、クローゼット(隠している)のゲイであることもこの小説を読むための重要なポイントだろう。
マーリは現世に残して来た写真のネガの在り処をなんとかDDとジャキに伝え、果たせなかった正義を行おうとする。そのために、悪霊(デーモン)と、ある取引をする――。
冥界と俗世、現在と過去を縦横無尽に行き来するマーリの魂が、「おまえ」に語り掛ける形で小説は進行する。じたばたするマーリを少し離れて見つめるもう一人のマーリから発せられるような、この独特の語り。辛辣でほろ苦く自分も他人も深く刺す寸鉄のようなユーモア、疾走感と浮遊感が、全編を強烈に貫いている。
マーリの写真は不正をただすのか。彼は誰に殺されたのか。
90年代のスリランカを読みながら、誰しも現代の世界の混沌を思い浮かべるに違いない。滑稽で恐ろしく、悲しみに満ちていながら、愛おしさに胸打たれる。一読、忘れられない感情を引き出す、2022年ブッカー賞受賞作。