書評

『パイの物語』(竹書房)

  • 2024/01/25
パイの物語 / ヤン・マーテル
パイの物語
  • 著者:ヤン・マーテル
  • 翻訳:唐沢 則幸
  • 出版社:竹書房
  • 装丁:ペーパーバック(271ページ)
  • 発売日:2012-11-22
  • ISBN-10:4812492084
  • ISBN-13:978-4812492086
内容紹介:
「あんたが神を信じたくなるような話を知っているよ」-1996年春、作家として行き詰まりを感じていた著者は、新作小説の執筆のため南インドを訪れ、ひとりの老人と出会う。老人の名はフランシス… もっと読む
「あんたが神を信じたくなるような話を知っているよ」-1996年春、作家として行き詰まりを感じていた著者は、新作小説の執筆のため南インドを訪れ、ひとりの老人と出会う。老人の名はフランシス・アディルバサミ。彼が話してくれたのは、ここポンディシェリに始まり、たった今逃げ出してきた自分の国、カナダで終わるという不思議な話-パイ・パテル氏の物語だった。帰国した著者は、パイ本人から彼の辿った数奇な運命の全貌を聞く。十数年前、16歳の少年パイが一艘の救命ボートに動物たちと共に残され、太平洋上を227日間さまよった驚くべき漂流譚…それが、この「物語」である。2002年度ブッカー賞受賞作、アカデミー賞監督アン・リーによって映画化。
皆さん、これ、児童書じゃありませんから。あと、お菓子の話でもありませんから。パイはπ、主人公の十六歳の少年ピシン・モントール・パテルの愛称なんであります。

ったく、装幀のコンセプトで損をするとはこのことですよ。世界でもっとも権威ある文学賞のひとつ、ブッカー賞受賞作品をこんな児童書みたいな装幀で売り出さんとする版元の意図がわからない。というわけで、声を大にして訂正させてもらいます。これはっ、児童書では、あ・り・ま・せ・ん! デフォー作『ロビンソン・クルーソー』のスタイルを借りた上で、“語り=騙(かた)り”並びに“信用ならざる語り手”の手法を駆使した大人のための小説なんです。

一九七七年、インド南部の町で動物園を経営する一家が新天地を求めてカナダに移住せんと、何頭かの動物と共に日本の貨物船に乗り込む。ところが、船は沈没。主人公のパイは救命ボートに乗ることができて一命をとりとめるのだけれど、やがてそこに顔なじみのリチャード・パーカーが乗り込もうとしてくる。それを必死で阻止するパイ。……いや、別にこの主人公少年が非情だというわけじゃないんです。装幀画や帯の紹介文で明かされてるから、書いてもいいと思うんですが、リチャード・パーカーってのは三歳の雄のベンガルトラなんですよ。その他、ボートに乗り込んで助かったのは、ケガをしたシマウマ、ハイエナ、オランウータン。かくして、小さなノアの箱舟といった様相を呈したボートの上で熾烈な生き残り競争が始まり――。

宗教と動物学に魅せられたパイ少年の幼年期を描いた第一部。七ヵ月以上もの間、大海原をトラと共に漂流することになったサバイバルを描く第二部。そして、大変な哀しみを伴う驚きをもたらす第三部。海洋冒険小説や漂流小説の系譜に連なる第二部がメインの作品ではあるし、このパートの面白さは格別でもあるのだけれど、第三部を読むと印象はガラリと変わってしまうはず。生き残るために少年がどれほどのものを諦め、どれほどの苛酷に耐え、どれほどの絶望に直面したのか。その本当の意味が切々と伝わってくる、短いながらも衝撃的なパートなのです。ライターズ・ブロックにぶちあたった作者本人を思わせる作家が、稀有な体験をした男を紹介される「覚え書きとして」という導入部と呼応しあう出色の着地点というべきでしょう。曲者の物語を愛する、すべての読書人にお薦めしたい傑作なんであります。

【下巻】
パイの物語 / ヤン・マーテル
パイの物語
  • 著者:ヤン・マーテル
  • 翻訳:唐沢 則幸
  • 出版社:竹書房
  • 装丁:ペーパーバック(271ページ)
  • 発売日:2012-11-22
  • ISBN-10:4812492092
  • ISBN-13:978-4812492093
内容紹介:
1977年7月2日。インドのマドラスからカナダのモントリオールへと出航した日本の貨物船ツシマ丸は、太平洋上で嵐に巻き込まれ、あえなく沈没した。たった一艘しかない救命ボートに乗り、助かっ… もっと読む
1977年7月2日。インドのマドラスからカナダのモントリオールへと出航した日本の貨物船ツシマ丸は、太平洋上で嵐に巻き込まれ、あえなく沈没した。たった一艘しかない救命ボートに乗り、助かったのは、動物たちを連れカナダへ移住する途中だったインドの動物園経営者の息子パイ・パテル16歳。ほかには後ろ脚を骨折したシマウマ、オランウータン、ハイエナ、そしてこの世で最も強しく危険な獣-ベンガルトラのリチャード・パーカーが一緒だった。広大な海洋にぽつりと浮かぶ船。残されたのは僅かな非常食と水のみ。こうして1人と4頭の凄絶なサバイバル漂流が始まった…。2002年度ブッカー賞を受賞した文学史上類を見ない出色の冒険小説が、アカデミー賞監督アン・リーによって映画化。

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【この書評が収録されている書籍】
そんなに読んで、どうするの? --縦横無尽のブックガイド / 豊崎 由美
そんなに読んで、どうするの? --縦横無尽のブックガイド
  • 著者:豊崎 由美
  • 出版社:アスペクト
  • 装丁:単行本(560ページ)
  • 発売日:2005-11-29
  • ISBN-10:4757211961
  • ISBN-13:978-4757211964
内容紹介:
闘う書評家&小説のメキキスト、トヨザキ社長、初の書評集!
純文学からエンタメ、前衛、ミステリ、SF、ファンタジーなどなど、1冊まるごと小説愛。怒濤の239作品! 560ページ!!
★某大作家先生が激怒した伝説の辛口書評を特別袋綴じ掲載 !!★

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パイの物語 / ヤン・マーテル
パイの物語
  • 著者:ヤン・マーテル
  • 翻訳:唐沢 則幸
  • 出版社:竹書房
  • 装丁:ペーパーバック(271ページ)
  • 発売日:2012-11-22
  • ISBN-10:4812492084
  • ISBN-13:978-4812492086
内容紹介:
「あんたが神を信じたくなるような話を知っているよ」-1996年春、作家として行き詰まりを感じていた著者は、新作小説の執筆のため南インドを訪れ、ひとりの老人と出会う。老人の名はフランシス… もっと読む
「あんたが神を信じたくなるような話を知っているよ」-1996年春、作家として行き詰まりを感じていた著者は、新作小説の執筆のため南インドを訪れ、ひとりの老人と出会う。老人の名はフランシス・アディルバサミ。彼が話してくれたのは、ここポンディシェリに始まり、たった今逃げ出してきた自分の国、カナダで終わるという不思議な話-パイ・パテル氏の物語だった。帰国した著者は、パイ本人から彼の辿った数奇な運命の全貌を聞く。十数年前、16歳の少年パイが一艘の救命ボートに動物たちと共に残され、太平洋上を227日間さまよった驚くべき漂流譚…それが、この「物語」である。2002年度ブッカー賞受賞作、アカデミー賞監督アン・リーによって映画化。

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初出メディア

Invitation(終刊)

Invitation(終刊) 2004年5月号

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