書評

『模範郷』(集英社)

  • 2020/10/15
模範郷 / リービ 英雄
模範郷
  • 著者:リービ 英雄
  • 出版社:集英社
  • 装丁:文庫(184ページ)
  • 発売日:2019-03-20
  • ISBN-10:4087458504
  • ISBN-13:978-4087458503
内容紹介:
1950年代、6歳から10歳まで台湾にいた「ぼく」。日・米・中・台の会話が交錯する旧日本人街「模範郷」。そこは間違いなく「ぼく」の故郷であり、根源であった。何語にも拠らない記憶の中の風景… もっと読む
1950年代、6歳から10歳まで台湾にいた「ぼく」。日・米・中・台の会話が交錯する旧日本人街「模範郷」。そこは間違いなく「ぼく」の故郷であり、根源であった。何語にも拠らない記憶の中の風景が変わり果てたことを直視したくない「ぼく」は、帰郷を拒んでいた。だが知人の手紙を機に半世紀ぶりにかつての家を探しに行くことを決意する。越境文学の醍醐味が凝縮された一冊。第68回読売文学賞受賞作。

恐れ超え、記憶の場に踏み込む

リービ英雄の最初の小説「星条旗の聞こえない部屋」が発表されたのは一九八七年。英語で生まれ育ったアメリカ人が日本語で書いた小説として話題をよんだが、それ以来、彼は日本語で書かなければならない理由を、自伝的素材を使いながら、創作を通して自問自答しつづけてきた。

八年ぶりの本作は、日本領有時代に台湾に創られた日本式住宅街、「模範郷」を再訪する表題作で幕開ける。その家は「『家はどこなのか』と聞かれたらそこだと答える」原風景、家族の記憶が詰まった場所だ。当然だろう。世界はそこだけ、という六歳から十歳の時期を過ごしたのだから(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は2016年)。

人の案内でそこに接近し、塀に沿った側溝を覗き込んだとたん、「何語にもならない」ここだ、という感覚に襲われ、顔を涙が濡らしているのに気づく。

中国は繰り返し訪れたが、模範郷があった台湾の台中には一度も来ていない。ためらわせた理由は二つあったはずだ。一つは、創作の源泉だった記憶が塗り替えられる恐れ。もう一つはもっと潜在的なものだったかもしれない。その家は、父親が他の女性の元に去って家族が崩壊した場、母が障害を負って生まれた弟と「ぼく」をひとりで育てる決意をした場だった。そこに身を置いて無意識の領域が蓋を開けてしまうのを、恐れる気持ちがあったのではないだろうか。

記憶を梃(てこ)にして回想記のスタイルで書いてきた著者が現実界に踏み込んでいく緊張と不安が、論理と感覚と感情のバランスを絶妙にとった筆致で綴られる。一個人の数奇な運命を超えて、言葉や空間や情景が生の輪郭を形づくるさまを浮き彫りにする。

パール・バックの『大地』に触れた「ゴーイング・ネイティブ」の最後、「人種でもなく生い立ちでもなく、文体の問題なのである」という言葉が実践されているのを感じた。何にも寄りかからない、急がない文章の力だ。
模範郷 / リービ 英雄
模範郷
  • 著者:リービ 英雄
  • 出版社:集英社
  • 装丁:文庫(184ページ)
  • 発売日:2019-03-20
  • ISBN-10:4087458504
  • ISBN-13:978-4087458503
内容紹介:
1950年代、6歳から10歳まで台湾にいた「ぼく」。日・米・中・台の会話が交錯する旧日本人街「模範郷」。そこは間違いなく「ぼく」の故郷であり、根源であった。何語にも拠らない記憶の中の風景… もっと読む
1950年代、6歳から10歳まで台湾にいた「ぼく」。日・米・中・台の会話が交錯する旧日本人街「模範郷」。そこは間違いなく「ぼく」の故郷であり、根源であった。何語にも拠らない記憶の中の風景が変わり果てたことを直視したくない「ぼく」は、帰郷を拒んでいた。だが知人の手紙を機に半世紀ぶりにかつての家を探しに行くことを決意する。越境文学の醍醐味が凝縮された一冊。第68回読売文学賞受賞作。

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初出メディア

朝日新聞

朝日新聞 2016年05月15日

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