忘れられた街々をたずねて
著者の陣内秀信氏は、若い頃からずっと、もう三十年近く、都市の都市たるゆえんを探究してきた。人が集まって作られる街の魅力について、広場や市場のあり方について、あるいはそうした人々の住まいや活動と地形の関係について、歴史や文化の影響について、と、さまざまな面から都市を解析し、また、都市を通じてさまざまなことを語ってきた。最初はベニスにはじまり、日本に帰って東京に取り組んだ。そうした成果については『東京の空間人類学』(筑摩書房・現ちくま学芸文庫)などで知る読者も多いだろう。昔の学者ならこの辺で止めて、あとは枠内充実の道を選んだ。ところが、戦後育ちの陣内氏のフィールドワークはどうにも止まらない。北京へ、中近東のイスラム都市へと、学生たちを連れて伸びてゆく。
かつて海外のフィールド・ワークといえば、ある地域にかぎられていたが、彼は、ユーラシア大陸を東から西まで自由に飛び回る。どんな言葉のどんな街にも、巻尺とカメラと野帖をもって入り込む。その点は欧米の研究者と似ているのだが、関心がちがう。どちらかというと欧米の都市研究者が重要視しないような小さなまとまりのある街を好む。
となると、これはもうイタリアに帰るしかない。ベニスをはじめ個性豊かな中小都市が群立し、北から南に伸びる半島は都市の宝庫の様を呈している。しかし、ベニスなどのローマ以北のイタリアでは物足りない体になってしまっていた陣内氏は、一転、南イタリアを目ざした。古代より続く地中海の都市の伝統を、キリスト教化の波にも近代化の波にも飲み込まれずに、色濃く伝える南イタリアの忘れられた街をたずねて。
たとえば、長靴半島のクルブシの位置にあるマテーラ。かつてトルコからスペインまで地中海の沿岸部に広く分布した洞窟都市の伝統を今もしっかり残している。陣内氏が世界一とタイコ判を押すのだから間違いない。
崖のいたる所に洞窟住宅を掘り抜き、急な斜面に階段をとりつけながら、何層にもセットバックして重なる高密度な農業共同体の集落を築き上げた。地上の住居も加わって、地上と地下が渾然一体となった迫力のある洞窟都市の光景を生み出したのである。
遠く眺めると、まるで巨大な蜂の巣のような姿がどうして出来上がったのかを陣内氏は調べ、イスラム勢力に追われたギリシャの修道僧たちの隠れ家として生まれたことを知る。そして、得意の巻尺と野帖を使ってフィールド・ワークに入り、地上の家と地下の洞窟住居が共通の中庭をもっていること、その中庭には子沢山南イタリアのたくさんの子供たちが遊び、家畜まで放し飼いにされていたことを明らかにする。
読み進むうち、見知らぬ街の姿が前頭葉のあたりにくっきり浮かび上がり、本を投げ出して自分も行きたくなるが、そうもいかないからトイレに行って、一息ついて、また読む。
今度はケズネのアマルフィ。郷土史家に紹介されて、
ムオーイオ氏を訪ね、彼らの住宅を含むこの建物の大半を実測できた。袋小路の奥というアプローチ、狭いアトリウムを囲んで高層に伸びるいささか圧迫感のあるつくりからは想像もできないほどに、それぞれの住戸の内部が広く、明るいのに驚かされた。家のバルコニーからは、真っ青な海もドゥオモ(聖堂)の正面や鐘楼も、そして背後に聳(そび)える険しい崖もすべて手に取るように見える。
ああ、南イタリアへ! 行きたい。
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